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又吉直樹の実家は沖縄?父親と母親・祖父や祖母・兄弟についても

又吉直樹の実家は沖縄?父親と母親・祖父や祖母・兄弟についても お笑い芸人
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お笑いだけでなく、作家としても芥川賞を受賞するなど活躍の幅を広げているピースの又吉直樹(またよしなおき)さん。

又吉さんといえば東京のイメージが強いのではないのでしょうか。

今回は、又吉さんの実家やご家族について徹底調査しました。

又吉直樹の実家は沖縄?

又吉さん自身は大阪府寝屋川市出身ですが、ご実家は沖縄にあるそうです。

『第14回沖縄国際映画祭』に出席された際に、ご実家のお話をされていました。

父が沖縄出身で、母は奄美大島出身なので2人とも南。社会人になって出て行ってそこで暮らし始めたので僕は大阪で生まれ育った。父は今も沖縄に住んでいる。

ピース又吉、大阪出身も実家は沖縄、雰囲気は東北「どこの人なのかわからない」 | マイナビニュース (mynavi.jp)

祖父母が沖縄に住んでいたそうで、小さい頃はよく沖縄に遊びに行っていたそうです。

又吉直樹の生い立ち

又吉さんは姉2人と両親の5人家族で、家は四軒長屋の文化住宅で比較的貧乏な家庭だったそうです。

又吉さんの父・己敏さんによると、おもちゃは一切買えなかったと話します。

直樹が小学生のころに親戚からファミコンをもらったんやけど壊れてしもてな。それ以来ゲームやおもちゃは一切買ってない。それでも直樹(又吉)は文句を言うこともなかった。

両親が明かした芥川賞芸人「又吉直樹」という男(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/4) (gendai.media)

小学生から始めたサッカーの練習で父兄が差し入れたジュースにも手を出そうとしなかった又吉さん。

さらに、母親とのこんなエピソードもあります。

家族で焼肉に行ったとき、母が「焼肉2枚でお腹いっぱいやから、あんたら食べ」といって子供たちに譲ろうとすると、又吉さんは「お茶漬けでお腹いっぱいや」といってそれを母に食べさせようとしました。

両親が明かした芥川賞芸人「又吉直樹」という男(週刊現代) | 現代ビジネス | 講談社(2/4) (gendai.media)

後にご両親は「直樹自身うちが貧乏ってわかっていた」と回想します。

そして、又吉さんが小学3年の時に、ダウンタウンの漫才をみて衝撃を受け、お笑い芸人になる夢を持ちます。

中学2年のころに太宰治の『人間失格』に衝撃を受けて、そこから読書にも没頭し始めます。

中学生の頃は友達がいなかったそうで、休憩時間も1人で過ごすことが多かったそうです。

同時に小学校からサッカーも続けており、中学卒業後はサッカーの名門校である北陽高等高校(現:関西大学北陽高等学校)に進学しインターハイにも出場します。

大学からサッカーの推薦が来るも、それを蹴って高校卒業後は吉本のお笑い養成所であるNSCに入学します。

又吉直樹の父親

又吉さんのお父さんは、名前は「又吉己敏」さんで沖縄出身で水道設備の職人さんでした。

お父さんのユニークなエピソードが有名です。

大人のビデオの隠し場所を模索していたお父さんは、考え抜いた結果「ここに大人用のビデオあり。観覧は自由」と書いてそのまま普通の押入れにしまっていたそうです。

また又吉さんは、ご両親に対して「ある意味僕は両親のファン」とは言いながらも、父親に言われたことがトラウマになっていると話します。

6歳の時にお父さんの沖縄の実家で宴会があり、三線の音を聞き、お父さんが踊りだしたそうです。

そこへ、「直樹も踊れ」と親戚から言われた又吉さんは、嫌々ながらも場の空気を壊したくないという思いから、頑張って踊ったらとてもウケたのでした。

この時に6歳だった又吉さんは、「人を笑わすってこんなに気持ちいいんや」と感じました。

そんな気分のまま、台所で麦茶を飲んでいるところにお父さんがやってきて、「おまえ、調子に乗んなよ」と強烈な一言を浴びせらてしまいます。

それを聞いた又吉さんは、「ああ、確かに調子に乗っていたな」と思い、それから調子に乗っていると思われるのが怖いと感じるようになってしまったのです。

完全にトラウマになってしまったみたいですね。

ちなみにこのエピソード、父・己敏さんは酔っ払っていて全く覚えていないそうです。

又吉直樹の母親

又吉直樹さんのお母さんは、「又吉みよ子」さんという方で奄美大島のご出身で看護師をされていました。

お母さんをちょっと変わった人だと、又吉さんは話しています。

芸人としてテレビに出始めた又吉さんの姿を見て、お母さんは「お母さんはたった4,5人の前でしゃべるのも緊張する。直樹も大勢の前で話すのしんどいやろ。あんた1人くらい養えるから帰っといで」と言っったのでした。

10年の下積み時代を乗り越えて、やっとテレビに出られたのになんでやめろというのかと、又吉さんは思ったそうです。

もしかしたら、小学生や中学生の頃の引っ込み思案だった又吉さんのことを思い出したのかもしれませんね。

2014年に放送された『又吉直樹、島へ行く。母の故郷~奄美・加計呂麻島へ』では又吉さんが母・みよ子さんの故郷を訪れ、お母さんに詩を贈りました。

「好きなことで苦しむ人、生きるために必要なことを楽しめる人」

お母さんとは仲が良く、月に1度はメールのやりとりをしているそうです。

又吉直樹の祖父母

又吉さんのおじいさんの宝善さんは、沖縄出身で又吉さんが生まれてから、すぐにお亡くなりになっています。

又吉さんはおじいさんのことは、ほとんど言い伝えでしか知らないそうです。

「自分のことは語らず、不思議な存在だった」と又吉家では言い伝えられています。

かなりの苦労人だったようで、16歳でハワイに移住し過酷な労働やひどい差別を受けていて、苦労の末1941年、真珠湾攻撃の半年前にハワイから沖縄に戻りました。

又吉さんのおばあさんの千代さんはあまり情報はありませんでした。

調べた限り、2019年の時点では90歳を越えられていますが、まだお元気に過ごされているそうです。

又吉直樹の兄弟は姉が2人

又吉さんには4歳年上の愛美さんと、3歳年上の成美さんの2人の姉がいます。

又吉さんが小さい頃に、姉と一緒に父の前で漫才を披露したことがあるそうです。

又吉さんに漫才をするきっかけをつくったのは、なんとお姉さんたちでした。

ちなみにその漫才を見た父・己敏さんはお酒を飲みながら「何が面白いんだ」と子供の遊び心に対して、バッサリと言ってしまいます。

又吉さんがまだ売れない頃、お姉さんとこんな会話があったそうです。

又吉:『みんな売れちゃってさぁ、なんで俺だけテレビにでられへんねやろ?』

姉:『あのさ、直樹は面白すぎるんじゃないの?』

お姉さんは又吉さんのことをずっと応援していたのがうかがえる素敵なエピソードですね。

まとめ

又吉さんのご家族は、独特でありながらも愛のあるご家族だなという印象を受けました。

また、又吉さんの書く小説には少年時代が投影されているものも数多くあります。

貧乏でありながらも、自分の家庭環境を受け入れ自意識と向き合い続けた少年時代が、名作を生み出すきっかけになっていたのですね。

今回は、又吉直樹さんの年収や印税を徹底調査しました。

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