女優の冨士眞奈美さんは、1956年に芸能界デビューしました。
結婚により一時引退していたこともあったものの、今も活動を続けています。
今回は、そんな冨士眞奈美さんの経歴や結婚、子供などについて調べてみました。
冨士眞奈美の若い頃が美しすぎる!
冨士眞奈美さんの若い頃の姿はこちらです。
若い頃、自分の思う「美人」の典型の一つが冨士眞奈美さんだったな。 pic.twitter.com/BRHzz1FiOH
— 襟座美晴(えりざ)♂️ (@elisadrinker) January 4, 2018
【冨士眞奈美タイム】※リクエスト分
— デジミ【D.M.C】official (@DigitalMixComp) December 8, 2020
(1938-)
美しい pic.twitter.com/9BbwlTOaNg
冨士眞奈美さんですが、あまり見たことがないシリアスな表情が良いのでアップします。 pic.twitter.com/AaMOzdgqUx
— ちよ (@chiyo8e) September 4, 2022
若い頃の冨士眞奈美さんは可愛らしいんですよ〜↓ #徹子の部屋 pic.twitter.com/YkCamnd3gF
— らうおう (@Krjg14W) October 17, 2016
つか、若い頃の冨士眞奈美の美しさよ。エキゾチックでイタリアの女優さんみたい。ソフィア・ローレン的な。 pic.twitter.com/lW18VEYnqt
— いちご味🍓駄々 (@dada_bya) May 19, 2018
とても美人ですね。
この美しさは男女共に支持されていました。
冨士眞奈美のプロフィールや経歴
映画『小林多喜二』情報-しんぶん赤旗3月25日号にて冨士眞奈美さん(宮本百合子役)が映画撮影時のお話をされております。DVDは7月3日発売!https://t.co/T1Hn3uZnKf pic.twitter.com/CEiqwrWdPL
— DIG(復刻)&PAD(封切新作)レーベル@各種DVD発売中! (@DIGmov) April 2, 2018
名前:冨士眞奈美
生年月日:1938年1月15日
出身地:静岡県
血液型:A型
身長:154cm
所属事務所:アンテーヌ
俳優座付属養成所第7期生の冨士眞奈美さんは、1956年にNHKのドラマ『この瞳』の主役に抜擢されてデビューしました。
1957年にはNHK専属の第一号となり、『輪唱』の三姉妹役で共演した馬渕晴子さん・小林千登勢さんとNHK三人娘と呼ばれて人気を博し、1960年からは『東は東』の司会を務めるなど、20代の頃からテレビドラマとバラエティーのレギュラーをこなしていました。
1961年には『こわれた人形』、『浜木綿の咲く道』といった楽曲も発表しています。
現在は加齢のために意図的に活動を減らしているというものの、2019年には映画『ばあばは、だいじょうぶ』、2020年にドラマ『相棒 Season19 第5話「天上の棲家」』に出演しました。
冨士眞奈美と噂の流行作家とは?笹沢左保?
<冨士眞奈美「亡くなる1か月前に会いたいと言われ…」かつて熱愛を報じられた流行作家との思い出・・>
— 花子の館 (@ceMCIkFDtz8bjP3) August 5, 2022
富士が20代前半に噂のあった流行作家さんが,40年ぶりに会いたいと知人を介して連絡があった。。って話!!
再度のプッシュで割烹店で会って。。
その一カ月後に彼が他界….。 pic.twitter.com/6lR5xW2Joq
冨士眞奈美さんは、20代前半の頃に、ある流行作家と結婚間近という報道が週刊誌でありました。
その作家は、笹沢左保さんという方です。
笹沢左保さんは、ドラマ化されて大ヒットした『木枯し紋次郎』シリーズの原作者として知られ、推理小説、サスペンス小説、恋愛論などのエッセイ、歴史書等、380冊近くもの著書を残した作家です。
しかし報道は全くの事実無根で、冨士眞奈美さんは週刊誌に異議申し立てをすることを考えていたそうです。
元々笹沢左保さんが恋愛体質で冨士眞奈美さんを浮名を流していたこともあり、関係につかれた冨士眞奈美さんから離れ、それから40年ほど会うことはありませんでした。
ところが笹沢左保さんから声をかけられ40年後に再会、1ヶ月に笹沢左保さんは天国へと旅立ちました。
冨士眞奈美さんは、「私にとっても彼はいろいろな意味で忘れ得ぬ人だったと思う」と語っています。
冨士眞奈美の元旦那は林秀彦
#徹子の部屋
— こーちゃん (@zhucunhaoyi56) September 19, 2022
冨士さんの元旦那さんイケメンじゃん❕🤔 pic.twitter.com/H8NOJj4ldN
冨士眞奈美さんは、1974年に脚本家の林秀彦さんと結婚しました。
林秀彦さんは、学習院高等科を卒業後、ドイツのザール大学やフランスのモンペリエ大学に留学し、哲学を専攻、映画やテレビの脚本を執筆しました。
2010年11月19日、肺炎の為亡くなっています。
冨士眞奈美と林秀彦の馴れ初め
冨士眞奈美さんと林秀彦さんの最初の出会いは公表されていません。
結婚前の30代半ばの冨士眞奈美さんは、結婚や出産に焦りがありませんでした。
しかし山岡久乃さんと共演した時に「女性は子供を持つか持たないか、ちゃんと考えた方がいい」とのアドバイスを受け、結婚を意識するようになったそうです。
そして、その頃身近にいたのが林秀彦さんだったため、結婚を決めたのでした。
冨士眞奈美と林秀彦が離婚した理由
冨士眞奈美さんは、林秀彦さんと1984年に離婚しました。
結婚後は女優業を引退してCM出演やエッセイ・小説などの執筆などは続けていたものの、主婦業に専念していた冨士眞奈美さんは、娘を授かり、育てた時間はかけがえのないものだったとは思いつつも、自由のない日々に、いつしかストレスが溜まっていました。
そこでお互い自由に仕事するためと、冨士眞奈美さんの方から離婚を切り出したのだそうです。
離婚後は女優復帰した冨士眞奈美さんですが、結婚はいい経験になったようで「ずっと独身だったら肝臓を悪くして死んでいたかも。私の人生、悪くないじゃない?と思うの」と話していました。
冨士眞奈美の娘は岩崎リズ
冨士眞奈美&岩崎リズ親子
— 銀幕スタア(邦画)TV出演情報 (@houganojidai) June 12, 2021
6/14(月) 徹子の部屋
・骨折歴の多い冨士さん、昨年は背骨を骨折し全治3カ月
・子ども時代から現在に至るまで長年続く冨士さんの“過保護”に娘は…https://t.co/xARFKhrrBo pic.twitter.com/AJbFkeei1t
冨士眞奈美さんには、娘さんが一人います。
名前は、岩崎リズさんと言います。
岩崎リズさんは、女子美術短期大学造形科彫塑専攻を卒業にインディーズバンドで活動するかたわら、日本脚本家連盟ライターズスクールにてシナリオを学び、テレビドラマの企画に関わり、脚本家になりました。
2009年には小説を発表し、現在は冨士眞奈美さんと共にテレビ番組にも出演しています。
まとめ
冨士眞奈美さんは、若い頃から女優として活躍し、結婚・出産・離婚などを経て、今も多くの方に親しまれています。
今後も健康第一で、芸能活動を続けていってほしいですね。