元乃木坂46の山崎怜奈さんは、小学生の頃から子役として活動し、郁文館中学・高校を経て慶應義塾大学SFCへ進んだ努力家として知られています。
卒業後はラジオや歴史企画、エッセイなど多方面で活躍し続け、SNSでも「れなちさんの声が好き」「言葉が沁みる」といった温かな反応が絶えません。
今回は、そんな山崎怜奈さんの子役時代から現在の活動まで、一次情報をもとに丁寧にまとめました。
山崎玲奈は子役出身だった!
毎週何気なくみてた仮面ライダーキバにれなちが子役で出演してたなんて今日一番の衝撃なんやが pic.twitter.com/rMS1rrjug9
— こやおじ (@Bigmoonano) July 26, 2019
山崎怜奈さんが子役だったこと、初めて知った方も多いかもしれません。
私もそのひとりで、「えっ、あの子がれなちさん…?」と数秒固まった覚えがあります。
怜奈さんは小学生の頃、芸能事務所「キャロット」に所属してドラマ・映画・舞台と幅広く出演していました。
『仮面ライダーキバ』では17話と18話に登場し、“悩める不機嫌少女”として物語の核心に関わる役どころ。
今見返しても、当時の空気をしっかりつかんでいて、ずっと印象に残る存在なんですよね。
さらに映画『クローズドノート』(2007年)や『劇場版 私立バカレア高校』(2012年)、舞台『時空警察ヴェッカーχ』シリーズなど、ジャンルを問わず経験を積んでいました。
ただ本人いわく、「100回オーディションを受けても1回も受からなかった時期があった」とのこと。
小学生でそんな壁に向き合い続けたと思うと胸がきゅっとしますし、その粘り強さが今の芯の強さにつながっているようにも感じます。
SNSでは「キバ見直してたられなち出てきてビビった」という声もあって、昔の出演シーンがふと話題になる瞬間が今でもあります。
こんな“意外な再会”も、ファンにとってはちょっと嬉しい出来事なんですよね。
山崎玲奈の学歴
山崎怜奈さんの学歴には、昔から“努力家”というイメージがつきまといますよね。
実際にたどってみると、その印象がただのイメージではなく、積み重ねの結果なんだとよくわかります。
山崎玲奈の出身小学校
公式発表はありませんが、一次情報では東京都江戸川区立一之江第二小学校とされています。
地元でのびのび育った様子が目に浮かびます。
4・5年生は手芸部、6年生では吹奏楽部。
“気になるものを試してみる”感じがすごくれなちさんらしくて、小学生の時点で好奇心の方向がすでに動き出していたんだな…と感じました。
山崎玲奈の出身中学
小学校卒業後は、郁文館中学校(偏差値58)に進学しました。
2010年4月に入学し、2013年3月に卒業しています。
この頃は完全に“勉強モード”だったそうで、国立大学を見据えてかなり本気だったようです。
SNSでも「ガリ勉だった」という話が出るほどで、集中力の強さを感じます。
部活動にも参加しなかったのは、当時の覚悟がそのまま出ているようで、少し胸に刺さりました。
山崎玲奈の出身高校
高校も郁文館高等学校(偏差値52〜62)に内部進学しました。
すでに乃木坂46としての活動が始まっていた時期で忙しい毎日だったはずですが、その中でも英検2級と漢検2級を取得。
やると決めたらきちんとやり切る人柄が伝わってきます。
修学旅行はマレーシアで、現地での経験が今の価値観にもつながっていそうです。
山崎玲奈の出身大学
高校卒業後は慶應義塾大学環境情報学部(SFC)にAO入試で進学(偏差値約70)。
受験のために活動を一時休止し、「1日中勉強していた」というエピソードは何度聞いても胸がぎゅっとします。
SNSでは「れなちの勉強ガチ勢ぶりが好き」という声もあり、努力そのものを好いてくれるファンが多い印象でした。
入学後もきちんと通って卒業し、アイドル活動と学業の両立を自然にこなしていた点も本当にすごいと感じます。
山崎玲奈のプロフィールや経歴
名前:山崎怜奈
生年月日:1997年5月21日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:164cm
山崎怜奈さんのこれまでの歩みを並べてみると、“知性・好奇心・努力”の三つがずっと並走しているように見えて、読めば読むほど納得してしまいます。
芸能界に入ったきっかけは、お母さんが勝手にオーディションを応募したことだったというエピソードも印象的ですよね。
2013年に乃木坂462期生オーディションに合格し、2015年には正式メンバーへ。
選抜経験こそないものの、アンダーメンバーとしてしっかり存在感を発揮し、27thシングル「ごめんねFingerscrossed」収録の「錆びたコンパス」ではついに初センターに抜擢されました。
このときはSNSでも“ついにれなちが”という声が多く、当時の空気を思い出すと今でも少し胸が熱くなります。
その後はメディアでの活躍も一気に広がり、2019年には冠番組「乃木坂46山崎怜奈歴史のじかん」がスタートします。
ラジオでもレギュラー番組が増え、とくにTOKYOFM「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」、通称ダレハナは、今ではれなちさんの代名詞のような存在になりました。
SNS上の#ダレハナには「今日のテーマ楽しみ」「れなちさんの声が救い」といった声が途切れず流れていて、好意的な反応が中心です。
言葉で誰かを支える力を持つ方なのだと、改めて実感させられます。
2022年7月に乃木坂46を卒業してからも活動はむしろ広がっていて、ラジオ「今村翔吾×山崎怜奈の言って聞かせて」、タクシー内番組「HEADLIGHT」のMC、歴史イベントへの登壇、新聞や雑誌への寄稿、そしてエッセイ連載「言葉のおすそわけ」など、多方面で活躍を続けています。
エッセイはSNSでも人気で、とくにトランジット失敗の回には「わかりすぎてしんどい…」という共感の声が多く寄せられていました。
日常の小さな出来事をそっと掬い取って言葉にするのが本当に上手な方だなと感じますし、その積み重ねが今の山崎怜奈さんのイメージそのものを形作っているようにも思えます。
クイズ番組でも活躍
山崎怜奈さんは、高学歴を生かしてクイズ番組にも出演しています。
歴史本「歴史のじかん」を出版したり、クイズ番組「Qさま!!」に出演したり、カズレーザーさんのクイズ勉強会に参加したりと、知性派タレントとしての軸も年々太くなっているように見えました。
山崎玲奈の所属事務所
れなちさんが「今どこに所属しているの?」という話題は、卒業後に何度か出ていて、私も当時は発表が出るたびにドキドキしながら追っていました。
乃木坂46として活動していた頃は乃木坂46合同会社に在籍していて、この時期にメディア露出が一気に広がり、「言葉の人」としての土台がじわじわと築かれていったように感じます。
卒業後は大手事務所への移籍を予想する声もありましたが、現在はフリーまたは業務提携に近い形で活動していると見られています。
公式プロフィールにも「フリー」や「業務提携」といった表記が見られ、特定の事務所名は書かれていません。
本人が「個人事務所を立ち上げるにはブレーンが足りない」と話していたこともあり、しっかり準備しながら自分に合う体制を整えようとしているような印象を受けました。
SNSの反応を見ても、事務所そのものより、ラジオやエッセイ、ゲスト出演の内容に関する話題が中心で、「どこに所属しているか」より「何を届けてくれるか」に関心が向いているように見えます。
肩書きや所属先よりも、これまで積み重ねてきた活動そのものへの信頼が強い方なんだな、とあらためて感じさせられます。
山崎玲奈の年収
山崎怜奈さんの年収については公表されていないものの、現在の活動内容を見ていると「だいたいこのあたりなのかな…」と自然に想像できる部分があります。
乃木坂46時代からラジオやテレビ、イベント出演が多かったタイプですが、卒業後はむしろ仕事の幅が広がり、収入源もかなり多様化しています。
たとえば、TOKYOFMの帯番組を担当しているというだけで、タレントとしてはかなり安定した柱になりますし、テレビや配信番組への出演、歴史本の印税、エッセイ連載、イベントや講演会のギャラ、SNSを使った広告案件など、ひとつひとつの積み重ねが確かな収入につながっているように感じました。
SNS反応を見ても、ラジオを中心に活動が途切れず続いていて、“安定して働き続けている人”という印象がとても強いです。
もちろん具体的な数字を断定することはできませんが、同規模の知性派タレントでレギュラーを複数持っているケースを踏まえると、おおよそ数百万円〜1,000万円台に収まることが多いと言われています。
怜奈さんの現在の稼働量を見る限り、このあたりのレンジに近い状況なのかな…と感じました。
あくまで一般的な相場に基づく推測ですが、無理のない範囲のイメージとしては自然だと思います。
まとめ
山崎怜奈さんの歩みを振り返っていると、子役時代の挑戦、乃木坂46での経験、そして現在の知性派タレントとしての活躍まで、どの時期にも“学び”と“好奇心”がまっすぐ通っているのが印象的です。
小学生の頃にオーディションで苦しんだ時期があっても諦めず、郁文館中高や慶應SFCでの努力を重ね、そこにアイドル活動を合わせて両立していた姿には、読んでいて思わず胸がぎゅっとなる瞬間が何度もありました。
いまの彼女を象徴しているラジオ番組「ダレハナ」は、SNSでも好意的な反応がずっと続いていて、「れなちさんの声に助けられた」という声がたくさん寄せられています。
エッセイ連載でも共感のリアクションが多く、何気ない日常の出来事を丁寧に言葉にする力が、読者の気持ちにすっと寄り添っているように感じました。
事務所がどうであれ、活動そのものへの信頼が強いというのも印象的で、これは長年積み重ねてきた姿勢がしっかり届いている証拠だと思います。
歴史、言葉、ラジオという彼女らしい“表現の軸”はこれからもきっと広がっていくはずで、同じ時間を見守ってきたファンとしては、その一歩一歩がとても楽しみです。
