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里見浩太朗の実家や本名・生い立ちは?父親と母親や兄弟についても

俳優
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俳優の里見浩太朗さんは、武田家の武将の末裔だったと言われています。

お父さんやお母さんはどんな人でどんな幼少期を過ごしたのでしょうか。

今回は、里見浩太朗さんの実家や両親、兄弟について調べてみました。

里見浩太朗の実家は?

里見浩太朗さんは、東京都渋谷区道玄坂で生まれます。

しかし、幼い頃にお母さんの実家がある静岡県富士宮市に引っ越して、そこで育っているので、東京都渋谷区生まれで静岡県富士宮市出身と表記されることが多いのです。

お父さんが当時軍人だったため、渋谷区にある軍人の住宅に住んでいたのではないかと言われてます。

東京を空襲が襲ってくるために、お母さんの実家に疎開したそうです。

そこから、高校生までは静岡県富士宮市に住んでいました。

里見浩太朗の本名

里見浩太朗さんの本名は、「佐野 邦俊(さの くにとし)」といいます。

芸名については、所属していた東映の『里見八犬伝』がヒットしたことで演技がいいということで、「里見浩太郎」と名付けられたのです。

1970年に当時不振だったことから、現在の「里見浩太朗」に改名しました。

里見浩太朗の生い立ち

里見浩太朗さんは、幼い頃に静岡県富士宮市へ疎開という形で、移り住み育ちます。

お父さんは戦死してしまい、国から恩給をもらっていたのですが、それだけでは苦しい生活だったのが、戦後恩給も打ち切られてしまい、裕福ではなかったそうです。

グレて喫煙や家出などをするような中学時代を送りますが、高校生の時には、『NHKのど自慢大会』に出場し、上京後に東映ニューフェイスで合格しています。

まさに絵に書いたようなサクセスストーリーと言っても良いかもしれません。

里見浩太朗の父親

里見浩太朗さんのお父さんは、「里見亀一」さんという方で、旧日本帝国陸軍の麹町憲兵隊に所属していました。

1937年に中国の支那駐屯憲兵隊に配属され、9月に山西省で戦死したのです。

新聞などでは英雄と祀り上げられ、死因は割腹自殺と報じられたのですが、後に同じ部隊にいたお父さんの仲間から、負傷した体で軍刀を抜いて反撃に出たところ手榴弾によって亡くなってしまったと知らされました。

お父さんの家系は山梨県南部町で、初代である佐野光次さんは武田信虎に仕えた武将で、代々佐野家は武田家の家臣として仕えた一族でした。

そのため、祖父の佐野勝三郎さんは、農業や林業、塩の販売など手掛けており、村では一番の財産の持ち主だったそうです。

里見浩太朗の母親

里見浩太朗さんのお母さんは、佐野エツさんといいます。

パン屋で働いていたところ、お父さんと出会い結婚しました。

里見浩太朗さんが生後8ヶ月の時に、旦那さんを亡くし、お父さんの恩給が入る頃は内職をしていましたが、恩給が打ち切られると古着の行商などをして、里見浩太朗さんとお兄さんを養ったのです。

2003年に亡くなっており、享年93歳でした。

里見浩太朗の兄弟や姉妹

里見浩太朗さんには、お兄さんが一人います。

お兄さんに関する情報は、ほとんどありませんでした。

里見浩太朗さんの5歳年上で、里見浩太朗さんが高校時代に『NHKのど自慢大会』に出場するように勧めたのが、お兄さんだったのです。

お兄さんの勧めがなかったら、今の里見浩太朗さんの活躍もなかったのかもしれません。

まとめ

幼少期はまだ戦時中で、里見浩太朗さんが戦時下での厳しい暮らしを体験している年代であることを考えると、今も現役で活躍しているのはかなりすごいですよね。

グレてしまったこともあったといいますが、お母さんの支えやお兄さんの勧めで今の姿があると思うと、感慨深いものがあります。

まだまだ現役で活躍している里見浩太朗さんのこれからにも注目していきたいですね。

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