仲本工事さんは、「ザ・ドリフターズ」のメンバーとしてコントや音楽活動を、個人でもYouTube、俳優業を行っていました。
そんな仲本工事さんの両親はどんな人なのでしょうか。
今回は、仲本工事さんの実家や家族について調べてみました。
仲本工事の実家は渋谷だった?
仲本工事さんは、東京府東京市渋谷区(現在の東京都渋谷区)出身です。
実家の詳しい場所は分かりませんが、小学校と中学校は「渋谷区立長谷戸小学校」、「渋谷区立鉢山中学校」を卒業しています。
そのため2校の学区内にあったようですね。
仲本工事の本名や芸名の由来
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仲本工事さんの本名は、「仲本 興喜(なかもと こうき)」さんです。
芸名の由来は、2つの説があります。
1つは、「ザ・ドリフターズ」に加入した後、当時在籍していた渡辺プロダクションの先輩・ハナ肇さんに「お前はいつも体が工事中だな(怪我が多かったため)。よし、お前は芸名を『仲本工事』にしなさい」と言われたというものです。
2つ目は、仲本工事さん自身が本名の「こうき」があまり好きではなく、「こうじ」と名乗っていたところ、ハナ肇さんに「こうじはそのままでよい、その代わり道路工事の工事としなさい」と言われたというものでした。
どちらが本当のきっかけなのかは分かりませんでしたが、ハナ肇さんの発言により「工事」になったというのは事実のようです。
仲本工事の生い立ち
ナポリタンを食べながら、いかりやさんの外車の話や、ドリフの思い出を話しました。ホットミルクを飲むと幸せな気持ちになりますネ。https://t.co/BfwSQKliYx#仲本工事のおやじ飯 pic.twitter.com/PUpzNOci3S
— 仲本工事 (@nakamoto_koji1) August 18, 2022
1941年7月5日に誕生した仲本工事さんは、中学から体操選手として活動していました。
高校では個人大会で入賞するなどしていたものの、大学で体操部がなかったことから音楽の方に転身、1965年に「ザ・ドリフターズ」に加入しました。
加入当時は仲本工事さんの両親が芸能界入りに反対していたため、「ザ・ドリフターズ」のメンバーであるいかりや長介さんが毎日仲本工事さんの自宅に通い、説得を続けていたのだそうです。
仲本工事の父親
仲本工事さんのお父さんは、仲本興徳さんと言います。
沖縄県出身の方で、生前は靴職人をしていました。
お父さんはとても厳しく、近所でも「お父さんが怖い」と評判だったそうです。
胃がんを患ったお父さんは、闘病生活を送る中で競馬と出会いました。
毎日バスに乗って競馬場に行くなど元気になったものの、1971年に発生した馬インフルエンザの影響で競馬場が休みになり、意気消沈してしまったお父さんはその年に亡くなってしまいました。
仲本工事の母親
仲本工事さんのお母さんは、仲本静江さんと言います。
お母さんも沖縄県出身で、お父さんとお母さんは20歳差、仲本工事さんとお母さんも20歳差とのことです。
お母さんはお菓子メーカー「ロッテ」の企業コピー『お口の恋人』の考案者で、仲本工事さんがロッテの取材を受ける時に「あれは私が考えた」と教えてくれたのだそうですよ。
そんなお母さんは、2011年に亡くなりました。
仲本工事の兄弟や姉妹
仲本工事さんは、ひとりっ子です。
そのため兄弟はいません。
まとめ
仲本工事さんの実家や家族について紹介しました。
お母さんがロッテの企業コピーの考案者というのは、仲本工事さん自身も驚いたそうです。
これからは空の上にいる両親と共に、「ザ・ドリフターズ」のメンバーや家族を見守ってほしいと思います。