演歌歌手・新沼謙治さんの隣には、かつて“バドミントンの女王”と呼ばれた湯木博恵さんがいました。
実力・気品・芯の強さを兼ね備えた女性として知られ、二人は公私ともに深い絆で結ばれていたそうです。
そんな彼女は、2011年に病で他界。今もファンの間では「素敵なご夫婦だった」と語り継がれています。
一方で、なぜか松居直美さんとの結婚説が噂されることも。
二人の出会いから別れ、そして噂の真相まで──背景を丁寧にひもといていきます。
新沼謙治の嫁は湯木博恵
【 新沼謙治…嫁の湯木博恵との馴れ初めから結婚まで 】
— GOSSIP-HISTORY (@GOSSIP_HISTORY) June 22, 2019
演歌歌手で俳優でもある「新沼謙治」さん。
世界一に4度君臨したバドミントン選手の「湯木博恵」さん。
そんな二人が結婚したのは…https://t.co/T0meTFuou9#新沼謙治#湯木博恵 pic.twitter.com/kf9LVRkBoF
新沼謙治さんの奥さんは、日本バドミントン界のレジェンドともいえる存在です。
その人物とは、数々の国際大会で輝かしい成績を収めた元トップアスリート・湯木博恵さん。
競技人生の中で積み上げた実績は、まさに伝説的です。
湯木博恵さんは1960〜70年代に活躍した名選手で、1969年に全英オープン女子シングルスで初優勝。
翌年も連覇を果たし、その後も通算4度のシングルス優勝という快挙を成し遂げました。
さらに1971年には高木紀子さんとのペアでダブルスでも優勝し、《単複両方での全英制覇》という快挙を達成しています。
1972年のミュンヘン五輪ではデモ競技として行われたバドミントンで3位に入賞。
また、女子国別対抗戦である**「ユーバー杯」では日本代表として3度の世界制覇に貢献しています。
国内でも全日本総合選手権で6度の優勝(うち5連覇)**を記録するなど、「バドミントンの女王」と呼ばれるにふさわしい実力とキャリアを築きました。
2002年には日本人として初めて、国際バドミントン連盟(現・世界バドミントン連盟)の殿堂入り。
これは世界の競技史においても極めて高い評価を受けた証であり、今なお後進の目標とされる存在です。
現在は表立った活動こそ控えているものの、スポーツ界のレジェンドとしてその名は広く知られており、長年にわたって多くの人に影響を与え続けています。
新沼謙治さんとの結婚は、音楽界とスポーツ界という異なる分野の第一人者同士の結びつきとして、今もファンの間で語り継がれています。
新沼謙治と湯木博恵の馴れ初め
オリンピックで「日本のバドミントン・チーム」も凄く頑張っていますが、中継を見ていて思い出すのが「新沼博恵(湯木博恵)」さんです。
— 水島裕 (@goofyalice2013) July 25, 2021
バドミントン世界王座に4度も輝き、ひとりぼっちで、世界で戦ったこともあるとか。
物凄い人です。#バドミントン#オリンピック#チャンピオン pic.twitter.com/N5WS37SKvW
新沼謙治さんと湯木博恵さんが出会ったきっかけは、まさにバドミントンが取り持ったご縁でした。
1981年に東京で開催されたユーバー杯(世界女子団体バドミントン選手権)の観戦に訪れた新沼謙治さんが、会場でテレビ解説を務めていた湯木博恵さんと出会ったことが始まりです。
このとき、名刺交換を交わした際に湯木博恵さんから「練習にもいらしてみてください」と声をかけられたことが大きな転機となりました。
後日、新沼謙治さんは実際に練習場を訪れ、「勝負をお願いします」と申し出て、現役時代の湯木博恵さんと直接対決したといいます。
当然ながら実力の差は歴然で、プロ選手の湯木さんから1本も取ることができずに完敗。
しかしこの経験がかえって新沼謙治さんの闘志に火をつけたようで、「また来ます」と約束し、その後も何度も練習場に通うようになりました。
こうしたやり取りの積み重ねが、やがて互いへの信頼と好意を育てていったとされています。
また、湯木博恵さんは新沼謙治さんより7歳年上ということもあり、結婚後もしばらくの間は「湯木さん」と呼んでいたとのこと。
年の差を感じさせない関係性のなかにも、新沼さんなりの礼儀や敬意がうかがえます。
夫婦間での喧嘩も「結婚当初に2回ほど」しかなかったというエピソードがあるように、落ち着いた大人同士の穏やかな関係が続いていたことが伝わってきます。
こうした馴れ初めからも、新沼謙治さんの誠実さと、湯木博恵さんの器の大きさが感じられますね。
スポーツと音楽という異なる世界で活躍する二人が出会い、惹かれ合った背景には、共通する”真剣さ”や”ひたむきさ”があったのかもしれません。
新沼謙治は湯木博恵と死別・死因は?
新沼謙治さんは、2011年9月に最愛の妻・湯木博恵さんを病気で亡くしています。
死因は甲状腺がんで、晩年は闘病生活を送っていたことが明らかになっています。
がんが発覚したのは2010年の秋ごろ。
湯木博恵さんが何気なく「ちっちゃいイボが首のところにあるのよね」と話したことがきっかけで、大学病院を受診したそうです。
そのときは、新沼謙治さんもご本人も深刻な病気だとは思わず、「帰りにお寿司でも食べて帰ろうか」と話していたと振り返っています。
しかし、検査結果で告げられたのは「余命1年」という厳しい宣告でした。
それ以降、湯木博恵さんの壮絶な闘病生活が始まります。
新沼謙治さんの証言によれば、博恵さんは最後まで弱音を吐かず、病室の中でも手すりにしがみつきながら歩くほど気丈にふるまっていたといいます。
プロスポーツの世界で戦ってきた者らしい精神力の強さが、ここにも表れていたのでしょう。
また、がんのなかでも甲状腺がんは一般的に進行が緩やかで予後が良いタイプとされることが多いですが、すべての症例がそうとは限らず、悪性度の高いタイプや進行が早いケースもあります。
湯木博恵さんの場合も、診断から約1年で帰らぬ人となったことから、かなり進行した状態での発見だったと考えられます。
公に詳細な治療内容などは明かされていませんが、新沼謙治さんの発言や当時の報道※からは、夫婦で困難な時間を支え合いながら過ごしていた様子が伺えます。※参照:「婦人公論」2012年3月号インタビューなど
長年連れ添ったパートナーとの別れは、新沼謙治さんにとってかけがえのない喪失だったはずです。
歌手として活動を続ける中にも、どこか穏やかで深みのある表情が印象的なのは、きっとこの経験を通して得た人生観がにじみ出ているからかもしれません。
松居直美とは結婚していない!師弟関係だった
徹子の部屋 新沼謙治 & 松居直美 | 2019年8月19日 – 19.08.19https://t.co/7tRQEeKQYa#徹子の部屋 #新沼謙治 #松居直美 #2019年8月19日 pic.twitter.com/C95MHQ6Coc
— Tetsuko’s Room (@TalkshowTetsuko) August 19, 2019
新沼謙治さんと松居直美さんが「夫婦では?」と誤解されることがありますが、実際には結婚していません。
一部ネット検索やSNSでは、2人の関係性を「夫婦」だと混同する声が見られるものの、実際にはバドミントンを通じた”師弟関係”という立場です。
この誤解が広まった背景のひとつが、2019年放送の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で2人が揃って出演したことにあるようです。
番組内では親しげなやりとりが話題になり、視聴者の中には「仲が良すぎて夫婦のように見えた」という印象を抱いた人もいたようです。
しかし実際には、松居直美さんがバドミントンを趣味として始めた際に、新沼謙治さんから技術的な指導を受けていたというご縁がきっかけで関係が深まったとのこと。
お二人とも大のバドミントン好きで、芸能界きっての”バド仲間”として知られています。
松居直美さんはかつて、インタビューで新沼謙治さんのことを「芸能界で一番バドミントンがうまい人」と評しており、その発言からも深い信頼と尊敬の念がうかがえます。
ちなみに、新沼謙治さんは日本バドミントン協会公認の指導者資格も持っているとされ、芸能活動と並行して長年にわたってバドミントン普及にも貢献してきた人物です。
このように、2人の関係は”趣味を通じての良き仲間”であり、プライベートな交際や結婚の事実は一切ありません。
誤解を避けるためにも、噂が出回っている背景にはテレビ出演やバドミントンの絆があることを理解しておくとよいでしょう。
まとめ
新沼謙治さんの奥さまだった湯木博恵さんは、バドミントン界で伝説的な功績を残した方であり、お二人の出会いや関係性には人柄の良さがにじんでいました。
がんの発覚からわずか1年という短い闘病生活のなかでも、湯木博恵さんは最後まで気丈にふるまい、新沼謙治さんにとってかけがえのない存在だったことが伝わってきます。
また、松居直美さんとの関係が夫婦と誤解された背景には、テレビ出演やバドミントンを通じた親しい交流があったことが理由のようです。
実際には師弟関係であり、良き仲間として信頼し合う間柄だったことがわかりました。
こうした背景を知ると、新沼謙治さんの歌や人柄にも、深みや優しさを感じるという方も多いのではないでしょうか。
今後も、ファンの心に寄り添うような歌声を届け続けてくれることを願いたいですね。
