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林家ペーパー子の若い頃は?年齢や本名・事務所や年収も調べてみた

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夫婦で活動している林家ペーパー子さんですが、若い頃はどんな姿だったのでしょうか。

何がきっかけで芸能活動を始めたのでしょうか。

今回は、林家ペーパー子さんの経歴や若い頃の姿、年収などについて調べてみました。

林家ペーパー子の若い頃はどんな感じ?

林家ペーパー子さんは、初代林家三平さんの弟子でした。

特に林家パー子さんは女弟子として売れっ子で、結婚時はあまり売れてなかった林家ペーさんは「おかみさんだって『パー子と結婚する』って言ったら『えー! うそ!!』ってお茶の湯のみ飛ばしたくらい」と語っています。

ネット上でも、「若い頃の林家パー子さんが可愛い」と話題になっていました。

林家ペーのプロフィールや経歴

名前:林家ペー
生年月日:1941年11月29日
出身地:大阪府
血液型:B型
身長:157cm
所属事務所:P&P企画

子供の頃から芸人になろうと思っていた林家ペーさんは、江戸っ子に憧れていたため高校卒業後に上京、当時人気落語家だった初代林家三平さんへの弟子入りを目指しました。

「いきなり訪ねて弟子入り頼んでもを断られるだろう」という考えから、上京後に思いついたダジャレやギャグを何度も林家三平さん宛に送り続け、その結果林家三平さんから「今度自宅に遊びにいらっしゃいと手紙が届き、1964年10月に入門しました。

入門当初から落語ではなく、スーツ姿ででギター漫談を主に演じていました。

2008年には「落語もやってみたい」と考えを改め、一門の後輩である林家たい平さんに落語家として弟子入り、「林家たいぺー」の高座名で活動しています。

林家パー子のプロフィールや経歴

名前:林家パー子
生年月日:1948年8月13日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:157cm前後
所属事務所:P&P企画

元々は演歌歌手を目指していたという林家パー子さんは、作詞家の石坂まさをさんに弟子入りし、歌のレッスンを受けていました。

1968年のある日、石坂まさをさんに連れられて初代林家三平さんの自宅を訪問、この時に初代林家三平さんの奥さんである海老名香葉子に気に入られ、その日のうちに初代林家三平さんに弟子入りしました。

結婚後はバラエティー番組やトーク番組だけではなく、ドラマ『脳にスマホが埋められた!』、『家政夫のミタゾノ』などにも出演しています。

林家ペーパー子の本名

林家ペーさんの本名は、「佐藤 嘉彦」さんと言います。

初代林家三平さんに弟子入りした当初は『林家ペー平』と名付けられたものの、その後姓名判断で「素晴らし過ぎる名前だ。いずれ師匠を食ってしまうほどの大物になるだろう」と告げられたそうです。

小心者である林家三平さんが弟子の台頭を恐れ、「平」を取ってしまったとのことでした。

また林家三平さんが既に亡くなっているため、「ペー」の書体がひらがなかカタカナかは謎のままで、番組などでは「横書きの時はカタカナ、縦書きの時はひらがな」と話しています。

林家パー子さんの本名は、「佐藤 粋子」さんです。

林家三平さんの奥さんから「あなた明るくていいわ。パーッと気持ちが華やぐから、あなたは“パー子さん”ね」と言われ、そのまま芸名になったとのことでした。

林家ペーパー子の所属事務所

林家ペーパー子さんは、「P&P企画」に所属しています。

こちらは夫婦二人の個人事務所になっており、マネージャーはいるものの、スケジュール管理は夫婦で行っているそうです。

林家ペーパー子の年収

林家ペーパー子さんの年収は公表されていません。

夫婦としては長年テレビの世界で活動を続けています。

林家ペーさんは漫談家として落語協会にも所属し、舞台に立っています。

芸歴が長いことからギャラもそれなりに高いと思われることから、年収は夫婦で数千万円越えになるのかもしれません。

まとめ

幼い頃から芸人になろうと思っていた林家ペーさんと、元々は演歌歌手を目指していた林家パー子さんは、初代林家三平さんの存在がなければ出会うことも、夫婦になることもなかったかもしれません。

初代林家三平さんは天国へと旅立ってしまいましたが、これからも夫婦二人で多くの人を明るく楽しませてほしいですね。

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