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真瀬樹里の父親は千葉真一で母親は野際陽子!新田真剣佑や前田郷敦は異母弟

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真瀬樹里さんは、お父さんが千葉真一さん、お母さんが野際陽子さんという芸能一家で育ちました。

しかし過去には野際陽子さんと何十年も確執があったそうです。

今回は、真瀬樹里さんの両親、そして異母兄弟などについて調べてみました。

真瀬樹里の父親は千葉真一

真瀬樹里さんのお父さんは、俳優の千葉真一さんです。

千葉真一さんは、1959年に東映へ入社、1960年のドラマ『新 七色仮面』の二代目・蘭光太郎として主演デビューしました。

映画『事件記者シリーズ』、『八州遊侠伝 男の盃』などで主演を務め、シングル「男一匹生きるなら」で歌手デビューを果たしています。

活躍は日本だけにとどまらず、『カミカゼ野郎 真昼の決斗』、『ゴルゴ13 九竜の首』、『武士道ブレード』、『風雲 ストームライダーズ』、『キル・ビル』など海外映画にも出演しました。

真瀬樹里さんと千葉真一さんは、『寺子屋ゆめ指南』、大河ドラマ『風林火山』、『キル・ビル』などで共演しました。

真瀬樹里の母親は野際陽子

真瀬樹里さんのお母さんは、女優の野際陽子さんです。

真瀬樹里さんさんは、1958年にNHKにアナウンサーとして入局、『おはようみなさん』の司会など週3本のレギュラー番組を担当し、1962年3月にNHKを退職しました。

その後は『女性専科』や『3時にあいましょう』に出演、1968年にドラマ『キイハンター』がスタート、その他にも『ずっとあなたが好きだった』、『ダブル・キッチン』、『誰にも言えない』、『スウィート・ホーム』など多くの作品に出演しました。

真瀬樹里は野際陽子と確執があった?

真瀬樹里さんは、野際陽子さんと長年確執があったことを明かしています。

野際陽子さんは千葉真一さんとの離婚後、女手一つで真瀬樹里さんを育てました。

一人娘の真瀬樹里さんを愛情深く育てる一方で、しつけや教育に関しては厳格で、真瀬樹里さん曰く勉強やピアノで間違いが続くと怒鳴るだけではなく手が飛んでくるほどの教育ママだったそうです。

芸能活動についても「高校を卒業するまでは普通の生活を送るべきだ」という野際陽子さんの思いから、真瀬樹里さんは一切芸能活動が出来ませんでした。

いくら言っても分かってもらえないのが苦しかったため、真瀬樹里さんはいつしか野際陽子さんに対して壁をつくるようになってしまいました。

そんな状況が変わったのは、真瀬樹里さんが30歳を過ぎたときでした。

ささいな口論がきっかけで、一番甘えたいお母さんに甘えられなくて寂しかった積年の思いを泣きながら真瀬樹里さんは野際陽子さんにぶつけ、和解したのです。

以降は野際陽子さんが亡くなるまで、良好な関係を築いていたそうです。

真瀬樹里の実家や生い立ち

1975年1月1日に誕生した真瀬樹里さんですが、この時野際陽子さんは38歳11カ月で、当時の芸能界では初産の最高齢記録でした。

両親の影響で幼い頃から女優に憧れを抱き、5歳の時にはお父さんから舞台の誘いがあったにもかかわらず、野際陽子さんの反対により参加することが出来ませんでした。

この時真瀬樹里さんが演じるはずだった役を別の方が演じているのを見て、「絶対女優になってやる」と思ったそうです。

そして女優の仕事に役立つ技能を身に付けるために、ピアノ、ヴァイオリン、ボイストレーニング、バレエ、日本舞踊、水泳、スキーなどを習い、大学入学と共に女優デビューしました。

野際陽子さんは生前自身が購入した数億円の200平米の自宅で暮らしており、真瀬樹里さんは現在その家で生活しています。

新田真剣佑と前田郷敦は異母弟

真瀬樹里さんは、俳優の新田真剣佑さんと眞栄田郷敦さんと異母兄弟という繋がりがあります。

父親が共に千葉真一さんで、野際陽子さんとの離婚後に千葉真一さんは再婚、その再婚相手との間に誕生したのが新田真剣佑さんと眞栄田郷敦さんでした。

3人は作品での共演はないものの、2019年11月7日に行われた千葉真一さんの芸能生活60周年記念祝賀会に出席していました。

まとめ

野際陽子さんと千葉真一さんを両親にもつ真瀬樹里さんは、二人と同じ芸能界に入りました。

これからの活躍が二人に届けられるよう、頑張ってほしいですね。

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