ユーミンこと松任谷由実さんがどんな学生時代を過ごしたのか、気になる人は多いですよね。
立教女学院中高で音楽や美術に親しみ、高校3年生で作曲家デビューを果たすなど、その感性の豊かさは若い頃から際立っていました。
さらに注目なのは、実家が東京・八王子の老舗「荒井呉服店」だということ。
大正時代から続く格式ある呉服店に生まれた”お嬢様”として、品のある環境の中で育ったそうです。
ピアノや三味線を習い、芸術と文化に囲まれた日々が、今のユーミンさんの音楽世界を形づくったのかもしれません。
そんな彼女の学歴や家族の素顔をたどると、知られざる原点が見えてきます。
松任谷由実の学歴
松任谷由実さんの歩んできた学歴は、幼少期の音楽教育から美術大学での創作まで、一貫して”芸術の感性”に貫かれています。
小学生の頃からピアノや三味線を習い、音と表現に親しんできた経験が、その後のシンガーソングライターとしての才能を育てたようです。
中学・高校では立教女学院に通い、知性と芸術を両立する環境の中で感性を磨きました。
さらに大学は芸術系の多摩美術大学に進学。
絵画や日本画に没頭しながら音楽活動も並行して行い、在学中の1972-07-05に「返事はいらない」でデビューを果たしています。
学業と音楽の両立という点でも希少な経歴であり、後に「風立ちぬ」「卒業写真」など多くの名曲を生む原動力となったことがうかがえます。
(https://yuming.co.jp/profile/)
松任谷由実の出身小学校
松任谷由実さんは、八王子市立第一小学校出身です。
小学生の頃から活発で、代表委員会の議長を務めるなどリーダーシップを発揮していました。
成績表はオール5といわれるほど優秀で、勉強だけでなく芸術にも熱心でした。
幼い頃からピアノや三味線を習い、家にあった楽器に自然と触れていたそうです。
実家が八王子の老舗「荒井呉服店」だったこともあり、文化や芸術に囲まれた環境が、創造的な感性を育んだのかもしれません。
家庭の中で音楽が特別なものではなく”日常”だったという点が、後の作品の豊かな表現力につながったように感じられます。
松任谷由実の出身中学
小学校卒業後は、立教女学院中学校に進学しました。
偏差値は55〜61と高く、知的な校風と礼儀正しい教育方針で知られています。
中学では聖歌隊に所属し、合唱の中でハーモニーを学びながら音楽的な感性をさらに深めていきました。
また、美術にも関心が強く、3年生の頃には御茶の水美術学院にも通い始めています。
放課後にデッサンを学び、夜には音楽を聴く——そんな日々の積み重ねが”言葉と音の両方で表現する”原点となったようです。
ちなみに、この頃から六本木のディスコに通い、最新の洋楽に触れていたというエピソードも。
感性の幅を広げる経験が、高校以降の創作活動に直結していきます。
松任谷由実の出身高校
中学校卒業後は、立教女学院高等学校に進学しました。
偏差値はおよそ66で、進学校としても知られています。
高校時代には、すでに作詞・作曲の才能が芽生え、高校3年生のときには加橋かつみさんへ「愛は突然に…」を提供。
プロの作曲家としてデビューを果たしています。
この頃に作られた「ひこうき雲」は、のちに映画『風立ちぬ』の主題歌として再び注目を浴びることになりました。
美術や音楽を自由に学べる立教女学院の環境が、彼女の感性を大きく育てたといえます。
周囲が受験一色になる中、松任谷由実さんは創作の時間を惜しまず、音楽と美術のどちらにも情熱を注いでいたそうです。
松任谷由実の出身大学
高校卒業後、松任谷由実さんは多摩美術大学・美術学部絵画学科(日本画専攻)に進学しました。
偏差値はおよそ48で、芸術系では全国的にも人気の高い大学です。
大学では日本画を専攻しながら、在学中の1972-07-05に「返事はいらない」で歌手デビュー。
芸術大学で学んだ”空間の構成”や”色彩のバランス感覚”は、アルバムジャケットやステージ演出にも活かされていきます。
ちなみにネット上では一時「立教大学文学部出身」とする情報も流れていますが、公式プロフィールでは明確に多摩美術大学在学中にデビューと記載されています(https://yuming.co.jp/profile/)。
芸術と音楽を同時に追求していた大学時代は、松任谷由実さんの世界観を決定づけた大切な時期でした。
松任谷由実の実家は荒井呉服店でお嬢様だった!
松任谷由実さんのご実家は、東京都八王子市八日町にある老舗の着物店「荒井呉服店」です。
創業は大正元年(1912年)。
松任谷さんの祖父が創業し、以来100年以上にわたり地域で愛されてきた格式あるお店です。
戦時中の1945年には八王子空襲で店舗が焼失しましたが、1954年に鉄筋コンクリート3階建ての店舗として再建。
ユーミン好きとして一度見ておきたかった、荒井呉服店へ。松任谷由実さんの実家で、大正元年(1912年)創業。
— 辰井裕紀 (@pega3) June 25, 2022
3階建ての旧店舗は老朽化のため建て替え、共同住宅と店舗を備える14階建てのビルに生まれ変わった。ユーミンもコラボアイテムを作ったり、ごくまれに店頭に立ったりすることもあるらしい。 pic.twitter.com/vPXxDCB89Q
店名:荒井呉服店
住所:東京都八王子市八日町9-8
電話番号: 042-625-5291
営業時間:10:00~18:00
定休日:水曜日
さらに2019年には老朽化に伴う建て替えが行われ、現在は共同住宅と店舗を併設した14階建ての新ビルとして営業しています(https://www.araigohukuten.co.jp/)。
営業時間は10:00〜18:00、水曜定休。
高級振袖や古典柄を中心に扱い、地元だけでなく遠方から訪れるお客様も多いことで知られています。
幼少期の松任谷由実さんは、この荒井呉服店の”お嬢様”として育ちました。
当時は従業員が80人ほど在籍し、ご飯を炊く専門のスタッフや風呂を沸かす係までいたというから驚きです。
裕福な家庭環境の中で、音楽や美術などの文化的な刺激に恵まれていたことがうかがえます。
お父さんの荒井末男さんが2代目として店を継ぎ、お母さんの芳枝さんは商売を支えながら家庭を守り、地域でも有名な”しっかり者の奥さま”だったそうです。
そんな家庭で育った松任谷さんは、自然と美しいものや伝統に触れる感性を養い、それが後の音楽やファッションセンスにも繋がっていったのでしょう。
現在の「荒井呉服店」は、松任谷由実さんの姪である荒井哉子さんが4代目を務めています。
店舗では振袖レンタルのほか、着付けや写真撮影、成人式サポートなど幅広いサービスを展開。
地元の商店会「八王子会」とも連携し、地域イベントにも積極的に参加しています。
また、ユーミンさん自身がデザイン協力したコラボ手ぬぐいや和小物なども販売され、ファンの間では”聖地”として知られる存在に。
老舗らしい品格と、現代的なセンスを融合させた店づくりが特徴です。
松任谷由実の生い立ち
1954年1月19日、東京都八王子市で生まれた松任谷由実さん。
幼い頃から音楽に触れる機会が多く、6歳でピアノ、11歳で三味線、14歳でベースを始めるなど、多方面にわたって感性を磨いていきました。
実家が老舗呉服店「荒井呉服店」だったこともあり、日常の中に”美しいもの”が溢れていた環境で育ったといわれています。
そんな中で自然と芸術的なセンスが育まれ、17歳のときに加橋かつみさんへの楽曲提供で作曲家デビュー。
翌年にはシンガーとしても「返事はいらない」でデビューを果たしました。
お父さんの荒井末男さんは「荒井呉服店」の2代目で、婿養子として家業を支えた人物。
華やかな人柄で、ユーミンさんにとってもどこか自由でユーモラスな存在だったようです。
#7月5日 #今日は何の日
— 【今日は何の日?】ゴザルが斬る! (@JapaneseYAP) July 4, 2022
1972年 – 荒井由実(後の松任谷由実)がシングル『返事はいらない/空と海の輝きに向けて』でデビュー
6歳からピアノ、11歳から三味線、14歳からベースを始めた
1971年、加橋かつみに「愛は突然に…」を提供し、17歳で作曲家としてデビューした
※下地の分厚さが違う。 pic.twitter.com/dN0pR2xxfH
一方、お母さんの荒井芳枝さんは家庭を切り盛りしながら、商才にも優れており、輸入品の取り扱いやPTA活動などにも積極的でした。
家庭の中心には常に笑いと活気があり、文化的な刺激に富んだ空間があったといいます。
松任谷由実さんは5人兄妹の4番目(次女)として生まれました。
長男は戦後すぐに亡くなっていますが、次男の荒井邦彦さんは呉服店の3代目を継ぎ、現在の4代目は姪の荒井哉子さん。
弟は医療関係の仕事に携わっているとされ、家族全体がまじめで堅実な印象を与えます。
こうした家庭の支えが、ユーミンさんが創作に集中できる基盤をつくったのかもしれません。
家族の存在は、彼女の音楽や歌詞にもさりげなく影響を与えています。
たとえば「卒業写真」や「やさしさに包まれたなら」といった曲には、家庭やぬくもりを感じさせる情景が多く登場します。
華やかなキャリアの裏側には、温かくて少しユーモラスな家族の物語が静かに流れているのです。
(https://yuming.co.jp/profile/)
松任谷由実の父親
松任谷由実さんのお父さんは、荒井末男さんという方です。
東京都八王子市の老舗「荒井呉服店」の2代目として婿養子に入り、家業を継いで支えた人物でした。
もともとは明るく社交的な性格で、商才にも恵まれていたといわれています。
戦後の混乱期を経て店を再建し、地域に根ざした老舗として繁栄させた功績を持つ実業家でもありました。
松任谷由実さんがまだ「荒井由実」として活動していたころ、メディアのインタビューでお父さんとの思い出を語る場面がいくつかあります。
その中でユーミンさんは「父は自由な人で、ちょっと破天荒だったけれど、愛情深くて人を惹きつける力があった」と話していました。
確かに女好きな一面もあったそうですが、それは当時の商人らしい気風を感じさせる一面でもあったようです。
家庭では、松任谷由実さんをとても可愛がり、才能を見出していたとのこと。
幼い頃からピアノを習わせたり、芸術的な感性を伸ばすことを大切にしていたそうです。
ユーミンさんがのびのびと音楽の世界に飛び込めたのは、お父さんの自由で寛容な性格のおかげかもしれません。
荒井末男さんの人間的な魅力とビジネスセンスは、娘のユーミンさんにも確実に受け継がれています。
松任谷由実の母親
松任谷由実さんのお母さんは、荒井芳枝さんという方です。
お母さんはお父さんである荒井末男さんと共に、「荒井呉服店」を二人三脚で支えてきました。
商売の現場では男勝りの行動力を発揮し、仕入れから接客、経理までを一手にこなす頼もしい存在だったといわれています。
戦後の混乱期にお店を再建し、地域に根ざした信頼を築いた立役者でもあります。
家庭では、松任谷由実さんの音楽的才能を誰よりも早く感じ取り、習いごとを積極的に後押ししていたそうです。
ピアノや三味線の稽古に通わせたり、芸術系の学校に進むことを応援したりと、娘の個性を尊重する教育方針を貫いていました。
家庭内では細やかな気配りが光り、近所でも”芯の強い女性”として知られていたそうです。
また、お母さんは商才にも優れており、呉服業のほかに家具や宝石の輸入事業などサイドビジネスも手掛けていました。
時代の先を読む感覚が鋭く、家庭と仕事の両立を自然にこなす姿は、まさに現代的な女性経営者そのもの。
そんな姿勢に影響を受けてか、松任谷由実さんもビジネスと芸術のバランス感覚に長けたアーティストとして成長していったのではないでしょうか。
松任谷由実の兄弟や姉妹
松任谷由実さんは5人兄妹の4番目(次女)として生まれました。
兄弟姉妹それぞれが異なる道を歩みながらも、家業である「荒井呉服店」や地域とのつながりを大切にしてきた家族です。
一番上のお兄さんは、戦後間もない時期に体調を崩し、残念ながら幼くして亡くなられています。
当時の八王子は戦災の爪痕が残り、食糧や医療の不足が深刻だった時代背景がありました。
続く次男の荒井邦彦さんは、家業を継いで「荒井呉服店」の3代目店主となり、老舗の伝統を守りながら新しい取り組みも行ってきました。
現店主の荒井哉子さん(ユーミンさんの姪)は、邦彦さんの意思を継いで4代目を務めています(https://www.araigohukuten.co.jp/)。
お姉さんについては、一般の方のため名前や職業などは公表されていませんが、幼いころからユーミンさんと仲が良く、服や音楽の趣味などを通して影響を与え合っていたといわれています。
弟さんは医療関係の仕事に就き、精神科医として活動されているとの説があります。
ただし、本人発信の公式情報ではないため、詳細は確認されていません。
松任谷由実さんの家族は、それぞれが異なる分野で努力を重ねながらも、互いを思いやる結びつきが強い印象です。
創業から100年以上続く呉服店の伝統や家族の気質が、ユーミンさんの作品に漂う”温かさと品格”を支える原点になっているのかもしれません。
まとめ
松任谷由実さんの人生を振り返ると、立教女学院で磨かれた知性と感性、そして多摩美術大学で培った芸術の視点が、今の豊かな表現力へとつながっていることがよく分かります。
老舗「荒井呉服店」のお嬢様として育った環境は、日常の中に美意識と品格が息づいており、それがユーミンさんの音楽に漂う独特の世界観の土台になっているのでしょう。
幼い頃から芸術や文化に囲まれ、家族に支えられながら自由に表現してきたその歩みは、まさに”創造の連続”。
これからも時代を超えて、多くの人の心を照らし続ける存在であり続けてほしいものです。
ファンとしては、これからの活動や新しい音楽との出会いにも期待が高まりますね。
