人気ドラマ『時効警察』シリーズや映画『モテキ』に出演していた麻生久美子さんは、女優として活動しています。
私生活では2007年に結婚、現在は2児の母親でもありますが、麻生久美子さんにはつらい過去がありました。
今回は、麻生久美子さんの経歴と過去について紹介します。
麻生久美子のプロフィールや経歴
生年月日:1978年6月17日
出身地:千葉県
血液型:B型
趣味:ドライブ、映画鑑賞、漫画
特技:陶芸
所属事務所:ブレス
アイドル歌手を目指していた麻生久美子さんは、履歴書を現在の事務所に送ったことがきっかけで、1995年に行われた第6回『全国女子高生制服コレクション』に参加、見事グランプリを受賞しデビューが決まりました。
映画『BAD GUY BEACH』で女優&映画デビューしたものの、麻生久美子さんはあまり女優には興味がなかったそうです。
1998年には映画『カンゾー先生』のオーデションに合格し出演、それまで無名だった麻生久美子さんはの知名度は一気に上がりました。
また、この作品での演技が評価され、第23回報知映画賞助演女優賞、第20回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞、第22回おおさか映画祭新人賞、第22回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞などを受賞しています。
2006年にはドラマ『時効警察』に出演し、翌年の『帰ってきた時効警察』では役名で歌手デビューを果たしました。
2015年、『怪奇恋愛作戦』でドラマ初主演を果たしました。
若い頃は別名で黒歴史だった
麻生久美子さんは、デビュー時「広田絵美」という芸名で活動していました。
ヌードなど過激な写真が載っているエロ雑誌に、制服姿や超ハイレグの水着姿を見せており、AV方面に進んでいた可能性もあったという噂もあります。
売れるために必死だったのかもしれません。
現在麻生久美子さんや所属事務所は、別名義で活動していたことを公にはしていません。
「過激なことをやっていた」という過去は、麻生久美子さんにとって話したくないことなのだと思います。
麻生久美子の高校や大学
麻生久美子さんが通っていた学校について調べました。
麻生久美子さんが通っていた高校は、千葉県立佐倉南高等学校です。
学生時代は貧乏だったことから、度々いじめにあっていたそうです。
石を投げられたり、突然道路で押されて車に轢かれそうになったこともあり、麻生久美子さんのお母さんが「必死に育てた娘の命にかかわることはやめて」と相手の親に話したこともあったと明かしています。
そんな麻生久美子さんは高校2年生で芸能界入りしましたが、すぐブレイクを果たしたというわけではないため高校を転校することなく卒業しています。
高校卒業後は進学せず、芸能活動1本に絞りました。
進学しなかった理由は、芸能活動が忙しかったからではなく、進学するお金がなかったから進学できなかったのだと思われます。
麻生久美子の生い立ちが壮絶だった!
麻生久美子さんは、幼い頃から貧乏だったことを明かしています。
貧乏だった理由は、麻生久美子さんのお父さんがギャンブル好きで、麻雀に一晩で20万も使ってしまうなどし借金生活を送っていたからです。
家にはいつも借金取りがいたそうで、生活費を1円も入れずにギャンブルに熱中するお父さんとは「あまり話した記憶がない」と麻生久美子さんは明かしています。
さらに夫婦喧嘩も絶えなかったそうで、麻生久美子さんがお母さんに「別れていいよ」と話したことで両親は離婚、母子家庭になり麻生久美子さんのお母さんは仕事を3つ掛け持ちして生活を支えるものの貧乏生活は変わりませんでした。
貧乏時代はザリガニがご馳走だったそうで、麻生久美子さんは「おいしかったですよ。友達はみんな水槽に入れてたけど、うちは鍋に」と明かしていました。
他にも道端に生えている雑草を食べていて、麻生久美子さんはお母さんに「もし食べ物が何もなくなっても、これで生きて行けるね」と話していたそうです。
麻生久美子さんは、貧乏だった時代を明かす際「悲しい」、「死にたかった」などネガティブな言葉で話すのではなく「みんなザリガニ食べないの?」などと明るく話しています。
周りは「麻生久美子さんは可哀想だった」と感じてしまう人が多いと思いますが、麻生久美子さんは前向きに過ごしていたからこそ、当時を振り返ってもあまりネガティブな言葉が出てこないのかもしれませんね。
まとめ
麻生久美子さんはザリガニや草を食べながら生活していた時代や、自分のやりたいと思っていたこととは異なる仕事をこなしていた時代がありました。
しかし今は女優として活躍し、私生活でも家族とともに安定した暮らしをしています。
これからも麻生久美子さんには幸せな生活を送ってほしいですね。
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