ネット上で工藤静香さんの実家がお金持ちという噂があり、実家はどんな感じなのか気になりますね。
そして工藤静香さんには兄弟や姉妹はいるのでしょうか。
そこで今回は、工藤静香さんの実家と家族構成について調べてみたいと思います。
工藤静香の実家はお金持ち?
工藤静香さんの実家は、東京都羽村市で『津軽』という小料理屋を経営していました。
現在実家は中目黒にありますが、中目黒の実家は工藤静香さんが歌手として成功し、両親にプレゼントしたそうです。
最高の親孝行ですし、ご両親は娘の工藤静香さんを誇りに思ったでしょうね。
それまでは羽村市に実家があったと思われるので、お金持ちではなく、ごく普通の一般家庭だったのではないでしょうか。
工藤静香の生い立ち
工藤静香さんは、1970年4月14日に青森県で生まれ、その後東京都羽村市に引っ越しました。
幼い頃、工藤静香さんは2歳年上のお兄さんといつも一緒に遊んでいて、女の子らしい遊びは全くしてこなかったそうです。
外で活発に遊んでいた女の子でしたが、工藤静香さんは小学校低学年の頃からおしゃれに目覚めます。
そして劇団『東俳』に所属し、小学校4年生の頃にはひとりで都心へ通っていました。
工藤静香さんは小学生ながら、『仕事なのだから、体調が悪くても休んではいけない。人に迷惑はかけてはいけないと思った』と話しており、早くからしっかりした考えを持っていたことが伺えます。
中学生になった工藤静香さんは、『ミス・セブンティーンコンテスト』で特別賞を受賞しました。
これをきっかけに、工藤静香さんは芸能界デビューをすることになります。
この時のオーディションは完全にノリで応募したと明かしている工藤静香さんは、他の参加者とは違いすっぴんにタンクトップという出で立ちで参加していました。
それでも入賞するのですから、当時から周りとは違う光るものを持っていたのでしょう。
その後、『セブンティーンクラブ』を結成しますが、まったく売れずに解散してしまいます。
高校生になった工藤静香さんは、『夕やけニャンニャン』のオーデションコーナーで合格し、おニャン子クラブに入ることになります。
おニャン子クラブ時代の工藤静香さんは『ヤンキーキャラ』で人気を集めましたが、舞い上がることなく本人はいたって冷静でした。
出しゃばることなく淡々としていた工藤静香さんでしたが、1987年8月に『禁断のテレパシー』でソロデビューを果たし、オリコン1位を記録。
その後、ヒット曲を連発し、工藤静香さんは中山美穂さん、南野陽子さん、浅香唯さんと共にアイドル四天王と呼ばれ爆発的な人気を誇りました。
若くしてスターになった工藤静香さんですが、実力はもちろん、幼い頃からしっかりした考えを持っていたからこそ、今でも芸能界で活躍できているのだろうなと感じます。
工藤静香の父親
工藤静香さんのお父さんは、工藤勘七さんです。
青森県出身の勘七さんは、青森で板前として働いていたのち、東京都羽村市で『津軽』という小料理屋を経営していました。
勘七さんは絵を描くことが趣味だったそうで、仁科展に絵を出品し、見事入賞した経験もあります。
残念ながら勘七さんは、2005年に虚血性心不全で死去しています。
工藤静香さんはお父さんについて、『情に厚く、ハンサムで、とてもチャーミング。今でもとても愛されている』明かしています。
工藤静香の母親
工藤静香さんのお母さんは、工藤武子さんです。
北海道富良野市出身の武子さんは、13人兄弟の末っ子だったそうです。
女優さんと間違われるほど美しかった武子さんは、結婚前は美容師として働いていました。
工藤静香さんが幼い頃からおしゃれに興味があったのは、お母さんがおしゃれでキレイな人だったからかもしれませんね。
武子さんは子宮がんを患っていたことがあったそうですが、工藤静香さんの賢明な看病で闘病生活を乗り越え、見事回復しました。
武子さんは工藤静香さんのInstagramに登場したことがあり、とても元気そうな様子ですし、80歳とは思えないほど若々しいです。
工藤静香の兄弟や姉妹
工藤静香さんには2歳年上のお兄さんがいました。
しかし、工藤静香さんが中学生の時に、バイクの事故で亡くなっています。
お兄さんはまだ10代という若さで亡くなってしまい、工藤静香さんの悲しみは相当なものだったのではないでしょうか。
今でもお墓参りに行ったことをInstagramに報告していて、大好きだったお兄さんを忘れたことは一時もないのでしょう。
まとめ
工藤静香さんのお父さんとお兄さんはすでに他界されていましたが、お母さんは病気を克服し、お元気な様子でした。
とても家族仲が良く、工藤静香さんは家族を大事にしているんだなと感じます。
これからもご家族を大事に、Instagramなどで幸せな様子を報告して欲しいですね。