タレント、司会者として活動しているタモリさんは、どんな人なのでしょうか。
「昼の顔ではない」と言われていた時期もあったとのことですが、タモリさんはどんな芸をやっていたのでしょうか。
今回は、タモリさんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。
タモリの若い頃や昔の芸風がすごかった?
若い頃のタモリ、めちゃくちゃかっこいいな。一目惚れしてしまった‥ pic.twitter.com/TZ3ltnS5zJ
— 魔女っこれい (@majyokkorei) May 27, 2019
タモリさんはデビュー当時、イグアナの形態模写に代表される体芸、反知性を打ち出した中洲産業大学教授、デタラメ言語「ハナモゲラ」など、テレビ的にはキワモノ芸人的存在だったそうです。
「今で言えば江頭2:50が出てきた様なもので、江頭よりもっと気持ち悪がられていた」と明かしており、今とはかなり違ったようですね。
また深夜バラエティ番組では下ネタ発言が多く、「夜の番組の芸人」というイメージもあったため、タモリさんをお昼の番組『笑っていいとも!』に起用することになった際には「やっていけないのではないか」という声もあったそうです。
タモリさんの定番のネタの一つに「4ヵ国語麻雀」があります。
1人で、アメリカ人、中国人、韓国人、北朝鮮人を1人4役で麻雀をするというものです。
ちなみに話している内容はテキトーで、あたかもその国の人達が話しているかのようにやっているというもので、タモリさんのネタの代表作の一つになっています。
タモリの学歴
タモリさんが通っていた学校について調べてみました。
タモリの出身小学校
タモリさんは、福岡市立西高宮小学校出身です。
小学生の頃は、野球をやっていました。
また毎日暇な日々だったため、祖母から「(料理が出来るようになるために)私が料理をしている姿を見ていなさい」と言われ、祖母が支度する姿を見ていたことが料理を始めたきっかけになったのだそうです。
タモリの出身中学
小学校卒業後は、福岡市立高宮中学校に進学しました。
中学では剣道部と陸上部に所属、陸上部では短距離200mを走っていました。
タモリの出身高校
中学校卒業後は、福岡県立筑紫丘高等学校に進学しました。
偏差値は、72です。
高校では剣道部と吹奏楽部に所属、吹奏楽部ではトランペットを担当していました。
アマチュア無線クラブにも入り、船の無線通信士にも憧れていました。
他にも居合道場も通い、二段を取得しています。
タモリの出身大学
高校卒業後は1年間の浪人生活を送り、早稲田大学に進学しました。
タモリさんは第二文学部西洋哲学専修に在籍、こちらは2014年に廃止されています。
廃止前の偏差値は、60でした。
大学ではモダン・ジャズ研究会に在籍、トランペットを担当していました。
しかし「マイルス・デイヴィスのラッパは泣いているが、お前のラッパは笑っている」などの批評を受け、トランペットは3日でやめてしまい、代わりにマネージャーと司会を担当することになったそうです。
2年生の5月の連休に友人と旅行を計画、学費用の仕送りを旅行用に一旦充てたが返済されず、自分の授業料の支払いが滞ることとなり、3年生の時にタモリさんは学費未納のため抹籍処分になってしまいました。
そのため大学は卒業していません。
タモリのプロフィールや経歴
昨日見た時は出て無かったと思うんだけど、いつの間に?(元)いいともの時間帯の裏になるからって、徹子の部屋がお昼になってからは出てないって話をどっかに見かけたんですが、もう良いかなって感じなんでしょうか。密室芸楽しみ。 #タモリ #徹子の部屋 pic.twitter.com/LY1RjkzFWC
— DD (@ASTRAL_UNIT) December 26, 2021
名前:タモリ
本名:森田一義
生年月日:1945年8月22日
出身地:福岡県
血液型:O型
身長:161cm
所属事務所:田辺エージェンシー
大学を除籍になった後は福岡に戻り、タモリさんは保険会社、旅行会社ボウリング場支配人、喫茶店のマスターなどの職を経験しました。
その中で山下洋輔さん、中村誠一さん、森山威男さんと出会い、福岡で生活しつつ、カンパの資金により月1回上京し「素人芸人」として即興芸を披露するという一種の二重生活を開始しました。
そして「面白いことをやっている人間がいる」という噂を聞きつけた赤塚不二夫さんと出会い、バラエティ番組『マンガ大行進 赤塚不二夫ショー』で、テレビ番組初出演を果たしました。
たまたま番組を見ていた黒柳徹子さんから「今の人、誰?すごいじゃない」とその夜のうちに事務所に問い合わせがあり、次いで『13時ショー』の素人芸能コーナー「珍芸スターお笑い大行進」に、2回目のテレビ番組出演を果たしています。
その後、1976年4月の『空飛ぶモンティ・パイソン』で正式なメディアデビューを果たしたタモリさんは、『金曜10時!うわさのチャンネル!!』など、多数の番組に出演しました。
1982年からは『森田一義アワー 笑っていいとも!』、『笑っていいとも!増刊号』の放送が開始、開始当初こそ視聴率が低迷したものの、間もなく人気となり、2014年3月31日の放送終了まで31年半続く長寿番組になりました。
さらに最終回では『生放送バラエティー番組 単独司会最多記録』として、ギネス記録に認定されています。
また、『笑っていいとも!』と同時期にスタートした深夜番組『タモリ倶楽部』も30年以上続く長寿番組となっており、2013年5月には『タモリ倶楽部』が第50回ギャラクシー賞テレビ部門特別賞を受賞しました。
1983年には芸能生活たった8年のキャリアで『第34回NHK紅白歌合戦』の総合司会を担当、NHKアナウンサー以外が「紅白歌合戦」の総合司会を務めるのは史上初という異例の起用でした。
1987年4月3日からは音楽番組『ミュージックステーション』の総合司会を関口宏さんから引き継ぎ、現在も出演しています。
赤塚不二夫への弔事が白紙で話題に
タモリさんが、師匠のように尊敬していた漫画家の赤塚不二夫さんが亡くなられたときの葬儀で弔事を読みました。
その内容はとても長く、最後に「私もあなたの数多くの作品のひとつです。」と伝えた言葉は、今でもタモリさんの名言の一つとして語られることもあります。
そんなタモリさんの弔事は、1800文字以上の文章で内容は赤塚不二夫さんとの思い出なども語られるもので感動的だと話題になったのです。
それと同時に、タモリさんが弔事の際に開いていたメモは白紙で、全てアドリブのような状況で語られたこともとても話題になりました。
このタモリさんの行動については、赤塚不二夫さんへの思いがあるから文字にしたためなかったという見方もありますし、最後はタモリさんらしい芸のようなもので師匠を送り出すということをしたなど様々な見方をする人がいます。
タモリさんらしい粋な行動をしていたことは、間違いありませんね。
タモリの本名
タモリさんの本名は、「森田一義」さんと言います。
祖父が尊敬していたという政治家・田中義一さんから名前をもらおうとしたところ、上下の画数の差が大きく「頭でっかちな子供になる」という理由で、上下ひっくり返して「一義」になったそうです。
タモリの所属事務所
タモリさんは、「田辺エージェンシー」に所属しています。
こちらの事務所には現在、堺雅人さん、永作博美さん、飯沼愛さんらも在籍しています。
タモリの年収
タモリさんの年収は公表されていません。
現在のレギュラー番組は『ミュージックステーション』、『タモリ倶楽部』、『ブラタモリ』で、『笑っていいとも!』終了後は帯番組を持っていません。
それでも長年芸能界で活躍してきた大物であり、単発番組にも出演しているため、年収は数億円になるのではないかと思われます。
まとめ
一般人だったタモリさんは、様々な出会いが繋がり、芸能界入りを果たしました。
バラエティー番組だけではなく、音楽番組なども担当し、幅広い知識を持っています。
これからもタモリさんらしく、テレビ界を盛り上げていってほしいですね。