歌手の水森かおりさんは全国各地のご当地ソングを歌っていますが、出身は東京都北区です。
そして水森かおりさんはどこの学校に通っていたのでしょうか。
そこで今回は、水森かおりさんの実家や家族、学歴について調べてみたいと思います。
水森かおりの実家は北区?
水森かおりさんの実家は東京都北区にあり、自動車部品工場を経営しています。
そして実家のある北区の観光アンバサダーを務めている水森かおりさんは、北区にゆかりのある偉人・渋沢栄一の志を全国に広めるべく、『しぶさわくんの唄』を発売しています。
渋沢栄一が主人公の大河ドラマ『青天を衝け』や水森かおりさんの北区PR活動によって、北区にある飛鳥山公園などの人気が高まっているそうです。
水森かおりさんは、地元北区の知名度向上のための活動に、力を入れているようですね。
水森かおりの生い立ち
水森かおりさんは1973年8月31日に東京都で生まれました。
家族全員が音楽が好きで、水森かおりさんは幼い頃から多様なジャンルの音楽を聴いて育ちました。
歌うことに楽しさを覚えた水森かおりさんは、『ちびっ子のど自慢』やカラオケ大会に出場していました。
当時はただ人前で歌うことが楽しかったので、『幼い頃は歌手になりたいとは思わなかった』と水森かおりさんは話しています。
中学生の時には千葉テレビカラオケ大賞のグランドチャンピオン大会で、3位に輝きました。
水森かおりさんはお姉さんの影響で洋楽にも興味を持ち、高校時代からはニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのファンになりました。
その頃ちょうど英語にも興味を持ち、将来は外資系の会社で秘書として働きたいと思うようになります。
短大に進学した水森かおりさんは、19歳の時にアメリカへ留学しました。
その時にホームステイ先のホストファミリーの前で、『赤鼻のトナカイ』を歌いました。
ホストファミリーが喜んでくれる姿を見て、水森かおりさんは『歌は言葉がわからなくても通じ合うことができる』と思い、歌手を志すように。
帰国後にオーディションを受け、不合格となってしまったものの、長良プロダクション会長の長良じゅんさんにスカウトされました。
レッスンを受けながら事務所のスタッフとして働いた水森かおりさんは、2年後の1995年に『おしろい花』で念願の歌手デビューを果たしたのです。
水森かおりの父親
水森かおりさんのお父さんは一般人のため、名前などの情報は公表されていませんでした。
自動車部品工場を経営しており、黙々と働くお父さんだったようです。
『お父さんはスキーや海に連れて行ってくれた』と水森かおりさんは話していました。
水森かおりさんのお父さんは一生懸命働く、素晴らしいお父さんだったのでしょうね。
水森かおりの母親
水森かおりさんのお母さんの名前は『千代子さん』だそうです。
水森かおりさんのブログには、『お母さんの誕生日には食事へ行き、プレゼントを送った』と書いてありました。
とても仲のいい母子のようですね。
お母さんは水森かおりさんのコンサートにも出向いているそうなので、娘の活躍をとても喜んでいるお母さんなのではないでしょうか。
水森かおりの兄弟や姉妹
水森かおりさんには、7歳年上のお姉さんがいます。
名前は『大出久美子さん』といって、お姉さんも歌が上手でカラオケ教室を開催しているそうです。
幼い頃から地元では『歌うま姉妹』として有名だったのだとか。
お姉さんの久美子さんは、カラオケ教室以外にも北区のインベントなどで活躍しています。
水森かおりの学歴
水森かおりさんはどこの学校へ通っていたのでしょうか。
水森かおりの出身小学校
水森かおりさんは、東京都北区滝野川小学校に通っていました。
水森かおりさんは光GENJIの諸星和己さんの大ファンでした。
水森かおりの出身中学
水森かおりさんは、東京都北区堀船中学校に通っていました。
中学生の時に初恋を経験した水森かおりさんですが、ラブレターを書いたものの渡すことはできませんでした。
水森かおりの出身高校
水森かおりさんは、城西大学付属城西高等学校に通っていました。
城西高校は部活動が盛んで、硬式野球部や陸上部は都内でも有数の強豪校です。
水森かおりさんは帰宅部でした。
同じ高校に通っていた芸能人は、女優の木の実ナナさん、歌手の橋幸夫さん、タレントの野々村真さん、短距離選手のサニブラウン・ハキームさんがいます。
そうそうたる顔ぶれの有名人の出身校だったのですね。
水森かおりの出身大学
水森かおりさんは、城西大学女子短期大学の秘書科に通っていました。
高校時代から秘書に憧れていた水森かおりさんは、エスカレーター式で城西大学女子短期大学に進学しました。
アメリカ留学後、歌手になると決めた水森かおりさんですが、短大は卒業しています。
まとめ
水森かおりさんが幼い頃、歌手になりたいと思っていなかったのは驚きでしたが、アメリカ留学をしたことで歌手になる夢を抱いたのは運命的でした。
一流演歌歌手になった水森かおりさんをご家族はとても誇らしく思うでしょうね。
これからも『歌は言葉がわからなくても通じ合うことができる』という思いを忘れずに、歌い続けて欲しいです。