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秋元康の若い頃がかっこいい!本当に寝ないの?身長や年齢なども

akimotoyasushi_career 作詞家
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音楽プロデューサーとして「おニャン子クラブ」や「AKB48」、「乃木坂46」などのアイドルグループをブレイクさせた秋元康さんは、どんな人なのでしょうか。

ネット上では、若い頃の姿や経歴などが話題になっていました。

そこで今回は、秋元康さんの経歴、美空ひばりさんやとんねるずとの関係、若い頃の姿などについて調べてみました。

秋元康の若い頃がかっこいい!

秋元康さんの若い頃の姿はこちらです。

とてもカッコイイですね。

アイドルグループにいそうなイケメンだと思います。

秋元康は寝ないって本当?

秋元康さんの睡眠時間は、3~4時間ほどです。

多忙であるがゆえに寝れないというわけではなく、放送作家として活動を始めるようになった17歳の頃から睡眠時間はほとんど変わっていないのだそうです。

あまり寝ない理由については、「面白そうなことがあると、眠いというより起きていたいという気持ちになるから」と話していました。

秋元康はハガキ職人だった

秋元康さんが放送作家として業界に入ったきっかけは、ニッポン放送『燃えよせんみつ足かけ二日大進撃』に「平家物語」のパロディーを送ったことでした。

それが放送作家や社員の目に留まったものの、元々募集があったわけではなく、秋元康さんもはがき職人だったわけではないそうです。

秋元康さんはインタビューの中で、「当時ラジオの深夜放送がブームで。募集があったわけでもハガキ職人だったわけでもないのに、コクヨの原稿用紙を買ってきて、なぜか書いたんです」と語っています。

秋元康と美空ひばりの関係

秋元康さんは、自身が30歳のときに美空ひばりさんの『川の流れのように』を作詞しました。

きっかけは、レコード会社の人との雑談のなかで「日本の最大の歌姫である美空ひばりさんの歌詞を書けたら本望です」と言い、その人がたまたま美空ひばりさんに話してくれたことだったそうです。

『川の流れのように』は美空ひばりさんの遺作となりましたが、この曲はシングルではなくアルバムの中の一曲として発表される予定でした。

しかし美空ひばりさんが「シングルにしたい」と強い希望を出したことで、シングルになり、美空ひばりさんが亡くなってからも多くの人に歌い継がれる名曲になりました。

秋元康ととんねるずの関係

秋元康さんは、お笑いコンビ「とんねるず」のブレイクのきっかけを作った人物と言われています。

テレビで頑張っているとんねるずを見て「面白い!」と目をつけたのが秋元康さんで、秋元康さんが企画した番組にとんねるずが多数出演しています。

またとんねるずのヒット曲である『ガラガラヘビがやってくる』は秋元康さんが手掛け、発売から5日間で出荷枚数が100万枚を突破するなど話題になりました。

そして仕事上だけではなく、プライベートでも秋元康さんととんねるずは関わりが深いそうです。

秋元康のプロフィールや経歴

名前:秋元康
生年月日:1958年5月2日
出身地:東京都
血液型:O型
身長:167cm
所属事務所:株式会社秋元康事務所

高校生の時に『燃えよせんみつ足かけ二日大進撃』に「平家物語」のパロディーを送ったことをきっかけに放送作家として声がかかった秋元康さんは、大学入学後に本格的に活動を始めました。

1981年にはアニメ『とんでも戦士ムテキング』の挿入歌「タコローダンシング」で初めて作詞家としてクレジットされ、1985年には小泉今日子さんの「なんてったってアイドル」、とんねるずの「雨の西麻布」などの楽曲をヒットさせています。

さらに同年女性アイドルグループ『おニャン子クラブ』の楽曲を手掛け、全楽曲の作詞を担当、『おニャン子クラブ』のブレイクでさらに秋元康さんの名が広まりました。

2005年に「秋葉原48プロジェクト」を発足、東京・秋葉原で女性アイドルグループ『AKB48』を立ち上げ、総合プロデューサーに就任しました。

『AKB48』以外にも『SKE48』、『NMB48』など全国にアイドルグループを誕生させ、『48』グループは海外にも進出しています。

さらに秋元康さんは2011年度・2012年度のJASRAC賞では2年連続金・銀・銅賞の三賞を独占、2015年12月にはシングル総売上枚数が1億枚を超え、2022年4月28日に紫綬褒章を受章しています。

まとめ

秋元康さんは、若い頃から放送作家、作詞家、そしてプロデューサーとしての才能が多くの人を惹きつけています。

これからもそんな秋元康さんの活躍が楽しみですね。

作詞家
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