俳優として長いキャリアを重ねてきた寺島進さんは、北野武監督作品の常連として知られ、”北野組の顔”とも呼ばれる存在です。
2025年11月には誕生日の投稿が話題になり、「深川生まれの畳屋の次男坊」という原点に触れる声も多く寄せられていました。
最近は『さんま御殿』の”東京下町バトル”出演が発表され、SNSでは「江東区トークが楽しみ」と盛り上がりを見せていますね。
そんな寺島進さんの歩みを振り返ると、実は若い頃の下積みや、松田優作さん・北野武さんとの出会いなど、今の渋さにつながるエピソードが驚くほど豊富です。
さらに、オフィス北野から現在の事務所への移籍理由、代表作の変遷、そして安定した年収に至るまで、知りたくなるポイントもたくさんあります。
この記事では、寺島進さんの若い頃から現在までを一つの流れとして整理し、作品の裏側や仕事観がどこにあるのかをやわらかく紐解いていきます。
読むほどに”深川育ちの役者魂”が見えてくる内容になっています。
寺島進の若い頃はどんな感じ?
俳優として名が知られるまでの寺島進さんには、想像以上に長く濃い下積み時代があります。
高校卒業後、「好きな道でやったらどうだ」というお父さんの一言に背中を押され、寺島進さんは演技の世界へ踏み出しました。
こうして進学したのが、殺陣やアクションを専門的に学べる三船芸術学院です。
とはいえ、学費も生活費も自力でまかなう必要があり、飲食店の黒服、スタントの見習い、撮影現場の雑務など、体力勝負のアルバイトを掛け持ちする日々が続きます。
深川で育った根っこの”粘り強さ”が、この時期に大きな支えになったようです。
寺島進が若い はぐれ刑事 pic.twitter.com/cN4U3vNveK
— 堀・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・田(サブ) (@helicapter2) November 24, 2016
今日のガイアの配信
— ユウキせつ菜 (@infinit_aim) March 27, 2019
若い寺島進が出演してて驚いた
ウルトラマンて、昔からこういうことがよくあるから気を抜けない pic.twitter.com/bqC739wCIe
レフリー、若い頃の寺島進みたいでかっこいい pic.twitter.com/wo4zdb9xXX
— 久ヘ㋨G御ぢ (@kuheojisan) November 24, 2022
この頃の寺島進さんは、とにかく現場を経験したい一心で小さな役でも積極的に参加していました。
スタッフの動き方を盗むように観察し、チャンスがあれば殺陣の技術を披露する。
そんな姿勢が周囲の目に留まり、やがて映画の端役を任されるようになります。
転機になったのは、松田優作さんの初監督作品『ア・ホーマンス』(1986)でした。
撮影現場では松田優作さんに直接声をかけられ、食事に同行するなど交流が生まれたと語られており、寺島進さんにとっては”役者として本当に立っていいのか”という確信を得られた瞬間でもあります。
さらに大きな転機が訪れたのが、北野武監督の『その男、凶暴につき』(1989)。
この作品での存在感が評価され、”北野組”の常連へと繋がっていきます。
寡黙で緊張感のあるキャラクターを演じた寺島進さんの芝居は、後の代表作にも共通する「セリフ以上に表情で語るスタイル」の原型と言われています。
当時の現場は決して華やかではなく、撮影に呼ばれない期間も長かったそうです。
それでも寺島進さんは「とにかく現場に立ち続ける」ことを大切にし、空いた時間はアクション練習と台本読み込みに充てていました。
SNSでも2025年11月の誕生日投稿に寄せられたコメントの中には「昔のチンピラ役の鋭さが忘れられない」「北野映画で一番光ってた」という声が多く、初期の姿が今なおファンの心に残っていることがわかります。
こうして積み重ねた日々の延長線上に、『ソナチネ』『HANA-BI』『BROTHER』といった名作での重要な役どころが生まれ、寺島進さんは”バイプレイヤーの枠”を超えた存在として確立していきました。
実力と粘り強さでチャンスをつかみ取ってきた若い頃の努力が、現在の”静かで熱い芝居”へとつながっているのだと思います。
(一次情報:https://japanmusic.jp/biography/terasima/)
寺島進と北野武の関係
寺島進さんの俳優人生を語るうえで、北野武監督との関係は欠かせません。
1980年代後半のデビュー期から少しずつ縁が深まり、1993年にオフィス北野へ所属してからは”北野組の常連”として数多くの作品に参加してきました。
深川育ちの泥くささと鋭い眼差しが、北野映画の世界観と驚くほどマッチしたことは多くの映画ファンが知るところです。
初期作品では『その男、凶暴につき』(1989)や『ソナチネ』(1993)、その後も『HANA-BI』『BROTHER』『キッズ・リターン』など、主要キャストとして欠かせない存在になりました。
北野監督は寺島進さんの”目だけで空気を変える芝居”を高く評価しており、現場でも信頼の厚い俳優だったといわれています。
実際に、2018年の退社時には北野監督が「十分義理を果たした」「あいつはうちの大事なやつ」と語っているメディア記事(2018-08-04/日刊スポーツ)が残っており、単なる役者と監督以上の絆が築かれていたことが伝わります。
北野武監督を寺島進が語るhttps://t.co/EaRQiOKeD5 pic.twitter.com/5f5mvIP4ay
— パジャマの専門店 SLEEPY (@shop_sleepy) January 11, 2018
寺島進さん自身も、北野作品の現場は”特別な時間”だったと折に触れて語っています。
表情や呼吸ひとつで空気を作る演出に刺激を受け、自分の芝居観を大きく変えた時期でもあります。
若い頃はガムシャラなタイプだった寺島進さんも、北野監督のそぎ落とした演技指導を受けたことで、”引き算の芝居”が自然と身についていったようです。
オフィス北野が縮小体制へ移行した2018年、寺島進さんは25年の所属を経てジャパン・ミュージックエンターテインメントへ移籍します。
キャリアの節目にあたる決断でしたが、北野監督とは離れず、新作脚本の話題や再共演の意向がメディアで語られるなど、師弟関係は現在も変わらず続いているようです。
2025年時点のSNS投稿でも、誕生日祝いとともに「北野映画の寺島さんが一番好き」という声が根強く、”北野組の顔”というイメージは今なお健在です。
こうした背景を眺めていくと、寺島進さんの俳優像は1つの時代を横断して作られてきたことがわかります。
深川の下町気質、三船芸術学院で磨いたアクション技術、松田優作さんとの邂逅、そして北野武監督との長い歩み。
それぞれの経験が重なり、現在の”静かに熱い”芝居へとつながっています。
寺島進さんの存在感が映像作品の中で際立つのは、こうした積み重ねが息づいているからなのかもしれません。
(一次情報:https://www.oricon.co.jp/news/2116544/)
寺島進のプロフィールや経歴
寺島進さんは1963年11月12日生まれ、東京都江東区深川の出身です。
A型で身長165cm。
現在はジャパン・ミュージックエンターテインメントに所属し、劇場映画からドラマ、舞台まで幅広い作品で活躍しています。
2025年11月の誕生日にはSNSで多くのファンが祝福し、「深川の頑固で優しい役が似合う」「北野映画の寺島さんが一番渋い」といった声が寄せられていました。
本日11月12日は
— 映画『湯道』公式アカウント【2023年2月23日(木・祝)公開】♨️ (@yudo_movie) November 12, 2022
/
#寺島進 さんの“BATH”day 🎂♨
\
🎵Happy birthday to 湯~#湯道 では、
強面で頑固者ですが、子供のころから知る三浦兄弟を気に掛ける、料理屋「寿々屋」を営む店主を演じます。
どんな人間模様が描かれるのか…
お楽しみに!✨ pic.twitter.com/bzw0DEOzxR
名前:寺島進
生年月日:1963年11月12日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:165cm
所属事務所:ジャパン・ミュージックエンターテインメント
俳優を目指した原点には、子どもの頃からの映画好きと「好きな道で行けよ」と背中を押してくれたお父さんの存在があります。
高校卒業後に三船芸術学院へ進み、殺陣やアクションを基礎から学ぶと、さらに殺陣集団「剣友会」へ所属。
鍛錬の日々と並行して、飲食店の黒服や現場スタッフの手伝いなど、さまざまなアルバイトで生活を支えながら演技の経験を積んでいきました。
1984年頃からテレビドラマの端役に出演し始め、1985年『私鉄沿線97分署』では暴走族の杉山役として初めて名前のある役を獲得します。
当時の寺島進さんは、とにかく現場に立つ時間を増やすことを大切にしており、台本読みやアクション稽古を欠かさなかったそうです。
転機となったのは、松田優作さんが監督を務めた映画『ア・ホーマンス』(1986)。
撮影現場で松田優作さんに声をかけられ、食事の場に同行したというエピソード(SmartFLASH 取材)もあり、寺島進さん本人は「演じることの面白さを初めて実感した作品」と語っています。
さらに、1989年の『その男、凶暴につき』に出演したことで北野武監督との関係が始まり、本格的に”北野組の常連”として知られるようになります。
『ソナチネ』『HANA-BI』『BROTHER』『キッズ・リターン』など数多くの代表作に出演し、表情だけで空気を変える独特の存在感は、多くの映画ファンを惹きつけてきました。
ドラマの世界でも重要な役どころを務めており、『踊る大捜査線』シリーズでは木島丈一郎役が話題に。
そのキャラクター性が支持され、スピンオフ映画『交渉人 真下正義』や主演ドラマ『逃亡者 木島丈一郎』へとつながりました。
受賞歴も豊富で、2005年度には『交渉人 真下正義』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞、『疾走』『TAKESHIS’』で東京スポーツ映画大賞助演男優賞を受賞しています。
映像作品に加えて、近年は講演会やバラエティ番組でも活躍し、2025年11月には『さんま御殿』への出演告知がSNSで大きな話題に。
「江東区代表としてのトークが楽しみ」と地元にまつわるエピソードへの期待が高まっています。
こうして歩んできたキャリアを見ると、目立たない端役からコツコツと信頼を積み上げ、”唯一無二のバイプレイヤー”へ成長してきた軌跡がよくわかります。
深川の粘り強さと現場主義の姿勢が、寺島進さんの演技を今も支えているのだと思います。
(一次情報:https://japanmusic.jp/biography/terasima/)
寺島進の所属事務所
寺島進さんは現在、ジャパン・ミュージックエンターテインメントに所属しています。
同事務所には谷原章介さん、鈴木杏樹さん、千葉雄大さん、忍成修吾さん、上地雄輔さんなど、ドラマ・映画で活躍する俳優が多く在籍しており、演技派が揃う大手として知られています。
日常的にバラエティやCMでも見かけるタレントが多いことから、幅広いジャンルの仕事を安定して受けられる体制が整っているのも特徴です。
寺島進さんが同事務所へ移籍したのは、2018年のこと。
それまでの約25年間は”北野組”の中心俳優として知られ、オフィス北野に所属していました。
しかし、当時は事務所の組織再編が続き、マネジメント体制が縮小傾向にあった時期でもあります。
ORICON(2018-10-25)などの取材では「新しい環境で挑戦したい」という意向が報じられ、環境の変化が移籍の大きな理由だったことが分かります。
とはいえ、移籍によって北野武監督との関係が途切れたわけではありません。
2018年の退社時には北野監督が「寺島は十分義理を果たした」「これからもうちの脚本に名前は入っている」と語った記事(日刊スポーツ 2018-08-04)が残っており、師弟としての絆は現在も続いていることが伺えます。
実際にSNSでも、2025年11月の誕生日には「北野映画でまた寺島さんを観たい」「渋さのある役が似合う」といった声が多く、ファンの認識も変わらず”北野組の顔”というままです。
移籍後の寺島進さんは、キャリアの幅がさらに広がりました。
テレビ東京系の『駐在刑事』シリーズで主演級ポジションを務め、地方ロケで培った人情味ある芝居が人気に。
映画『湯道』(2023)では強面ながら温かい店主役を演じ、世代を問わず評価されています。
また、2025年11月には『さんま御殿』”東京下町バトル”出演が発表され、地元・深川のエピソードを語る予告がSNSで大きく話題になりました。
「江東区代表のトークが楽しみ」という声が相次ぎ、バラエティでの存在感の高さも改めて注目されています。
こうした近年の動きを追うと、寺島進さんにとってジャパン・ミュージックエンターテインメント移籍は転機であると同時に、さらなるステップアップの土台にもなっているようです。
北野作品で磨いた”静かな熱”に、幅広いジャンルの仕事が加わり、俳優としての表現がより豊かになっています。
今後の出演作にも期待が高まるばかりですね。
(一次情報:https://japanmusic.jp/biography/terasima/)
寺島進の年収
寺島進さんの年収は公表されていないものの、ここ数年の出演本数や仕事の幅広さを見ると、かなり安定した水準にあると考えられています。
若い頃は端役で地道に経験を積む時期が長かった寺島進さんですが、現在ではドラマ・映画・舞台のほか、バラエティ番組や講演会にも呼ばれる”実力派バイプレイヤー”として、幅広い層から支持されています。
たとえば近年では、テレビ東京系の『駐在刑事』シリーズで主要キャストを務めたり、映画『湯道』(2023)など話題作への出演も続いています。
さらに2025年11月には『さんま御殿』”東京下町バトル”への出演が告知され、SNSでは「地元の話が聞けるのが楽しみ」といった声が多数。
ドラマ以外のメディア露出も順調で、安定した人気がうかがえます。
俳優の収入は作品ごとに大きく変動しますが、映画・ドラマに継続的に出演し、加えてバラエティやイベント出演、企業講演なども行っている俳優の場合、年収が1,500万〜2,500万円ほどになると推察されるケースが一般的です。
寺島進さんもまさにそのタイプで、受賞歴やキャリアの長さを考えると、このレンジに入る可能性が高いと言われています。
もちろん具体的な数字は非公開のため、確定的なことは言えません。
ただ、現場からの信頼が厚く、50代以降も主要作品にコンスタントに呼ばれている俳優は多くなく、その点で寺島進さんは長く安定したキャリアを築いている一人です。
今後も出演作が続く限り、この”堅実な高水準”は変わらないのではないでしょうか。
(一次情報:出演歴・受賞歴/https://japanmusic.jp/biography/terasima/)
寺島進の学歴
寺島進さんは、東京都江東区の深川で育ち、学生時代もずっと地元の学校に通っていました。
芸能コースのある学校に進んだわけではなく、いわゆる”普通の公立校ルート”。
それでも後に俳優として花開く感性の土台は、この下町での学校生活で育っていったようです。
ここでは、寺島進さんの出身校を小学校から大学まで順番に見ていきますね。
寺島進の出身小学校
寺島進さんは、江東区立八名川小学校出身です。
深川エリアは昔ながらの人情味もあり、地域行事も多い下町。
寺島進さんも、友達と駄菓子屋に寄ったり、地元のお祭りに参加したりと、飾らない環境でのびのび育ったのではないでしょうか。
寺島進さんは小学生の頃から活発なタイプで、外遊びが大好きなお子さんだったようです。
のちにアクションを得意とする俳優になることを考えると、この頃の体の使い方や経験が少しずつ積み重なっていったのかもしれませんね。
寺島進の出身中学
小学校卒業後は、江東区立深川第二中学校に進学しました。
本人のインタビューでも「部活で野球をやっていた」と語ったことがあり、外野手として汗を流していたそうです。
野球部で鍛えられた体力や基礎的な動きは、アクションシーンや警察・刑事役をリアルに演じるための”土台”になったとも言われています。
また、中学の頃は絵を描くのも得意で、美化ポスターで入賞した経験もあるんですよ。
意外と”アーティスト面”もあったのが素敵ですよね
寺島進の出身高校
中学校卒業後は、東京都立葛飾野高等学校に進学しました。
現在の偏差値は、47です。
こちらも公立校で、当時から進学よりも自分の興味を優先して動くタイプだったようです。
高校時代はバイトをしながら仲間と過ごす時間を楽しみつつ、「自分は何の道に進むのか」を模索していた時期。
のちに映画の世界へ飛び込むきっかけとなった”松田優作さんの作品への衝撃”も、この頃に経験したと語られています。
葛飾野高校は個性を伸ばしやすい学校としても知られており、寺島進さんの”独特の存在感”は、高校生活の中で自然と育まれていったのかもしれません。
寺島進の出身大学
高校卒業後は、三船芸術学院に進学しました。
こちらはすでに閉校しています。
殺陣やスタントなどを学び、宇仁貫三さんに師事していました。
授業は週に3日だったため、授業がない日の昼間に建設現場で、夜に歌舞伎町の水商売などでバイトして学費を稼いました。
まとめ
寺島進さんの歩みを振り返ってみると、深川でのびのび育った少年時代から、剣友会での厳しい下積み、そして北野武作品や『踊る大捜査線』シリーズで存在感を高めていくまで、一本の線でつながっているように感じます。
どの役でも自然に溶け込める柔らかさと、芯の強さをあわせ持つところが、長く愛される理由なんですよね。
記事内で触れた学歴や家族、若い頃のエピソードもすべて、今の寺島進さんを形づくる大切な背景として見えてきました。
これからも映画やドラマで新しい一面を見せてくれそうですし、気になる作品があればぜひチェックしてみてください。
関連する人物記事や作品解説も載せていますので、合わせて読むとより深く楽しめると思います。
