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河邑ミクの父親と母親や兄弟は?実家が貧乏だったエピソードも調査

kawamuramiku_family お笑い芸人

美人芸人と話題の河邑ミクさんは、実家がとても貧乏だったと明かしています。

河邑ミクさんはどんな家庭で育ったのでしょうか。

両親や兄弟はどんな人なのでしょうか。

今回は、河邑ミクさんの実家や家族について調べてみました。

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河邑ミクの実家が貧乏だった

河邑ミクさんは、大阪府出身です。

詳しい場所は公開されていませんが、2018年7月に東京に拠点を移すまでは実家で暮らしていました。

幼い頃からとても貧乏で、その理由はお父さんがブランドの服にお金を派手に使うからだそうです。

河邑ミクの実家の貧乏エピソード①食事や遊びも節約

河邑ミクさん家の食事は、もやし炒めばかりでした。

またカップラーメンをわざと長く待って麺をのばして少しでも量が多くなるようにしたこともあったそうです。

河邑ミクさんは平成生まれですがゲーム機を買うお金もなかったため、子供の頃の遊びは白い紙に丸をたくさん書いてツイスターゲームをするなど、家にあるものを使って作っていました。

河邑ミクの実家の貧乏エピソード②家賃3~4万円のアパート住まい

河邑ミクさんの弟さんが生まれるまで、自宅は家賃3万~4万円のアパートでした。

10畳ほどの部屋に部屋を半分に割って3人で使い、シャワーはなくゾウのジョーロを使っていたため、河邑ミクさんはそのジョーロがバスグッズだと思っていました。

また台所で給湯器からのお湯をシャワー代わりに浴びていたこともあったそうですよ。

河邑ミクの実家の貧乏エピソード③バイト掛け持ち

河邑ミクさんの両親は、共働きでした。

しかしそれでも生活費がなかったため、河邑ミクさんは高校から遊園地、コンビニ、タコ焼き屋、うどん屋、お好み焼き屋などのバイトをしていました。

3つ掛け持ちしていたこともあったそうで、18歳からはバイト代の半分を家に入れるようになり、芸人になった今も実家に仕送りしているようです。

河邑ミクの生い立ち

1994年8月8日に誕生した河邑ミクさんは、生まれたときから家が貧乏だったことから、自分の家庭が特別貧乏だとは思わず、前向きでクリエーティブな家庭だと思っていたそうです。

15歳の時に「みんなと私の家は違う」と気付き、18歳の時に交際した彼氏にお米10kgをプレゼントしたところ、ドン引きされてしまったこともありました。

そんな河邑ミクさんは中学生時代に文化祭で漫才をやったことから芸人を目指すようになり、高校卒業と共に松竹芸能の養成所に入学、コンビで活動していましたが、2015年に解散したことをきっかけにピン芸人に転向しました。

河邑ミクの父親

河邑ミクさんのお父さんは、一般人です。

職業は、プロパンガスを運ぶ会社の社員です。

そのため仕事中は作業着ですが、プライベートではブランド服を着ていおり、美的意識が高いことからネイルをしていたこともあるそうですよ。

お父さんは高い服を買い続けるのが止められず、また飽きるのも早いため、河邑ミクさんは「ほとんど着ないで雑巾になってしまうものもある。5万円の雑巾」と語っていました。

河邑ミクの母親

河邑ミクさんのお母さんも一般人です。

お母さんも家計のために仕事をしていますが、職業は明かされていません。

お父さんの行動を許してはいないものの、離婚は考えていないようです。

お母さんは少し天然な方で、河邑ミクさんが高校時代に友人と歩いていると知らないおじさんに後をつけられていることに気付き、それぞれのお母さんを呼びだしたところ、河邑ミクさんのお母さんは濡れたタオルを振り回しながら来ました。

その理由は「家にある最強の武器はこれしかなかった」とのことで、お母さんなりに一番の武器を考えて濡れたタオルを持ってきたようです。

河邑ミクの兄弟や姉妹

河邑ミクさんには、弟さんがいます。

弟さんは一般人で、名前や顔写真などは公開されていません。

自身のお姉さんが芸人をやっているというのが恥ずかしいため、弟さんは周囲に「一人っ子」と言っているのだそうです。

まとめ

ずっと貧乏な家庭で育ってきた河邑ミクさんですが、よくある両親が多額の借金を抱えてしまった、両親が全く働かなかったという話ではなく、お父さんの無駄使いが原因の貧乏暮らしだったようです。

河邑ミクさんが売れることでさらにお父さんの無駄使いが増えてしまうかもしれませんが、家族で普通の暮らしが出来るくらい、芸能界で稼いでほしいですね。

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