俳優の大森南朋さんは、お父さんが俳優、お兄さんが映画監督と同じ芸能界で活動しています。
さらに先祖について調べてみると、凄い人たちがいることが分かりました。
そこで今回は、大森南朋さんの家族、先祖について紹介します。
大森南朋の父親は麿赤兒
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大森南朋さんの実父は、俳優の麿赤兒さんです。
麿赤兒さんは、大河ドラマ『太平記』、『武蔵 MUSASHI』やNHK連続テレビ小説『ふたりっこ』、『オードリー』、時代劇ドラマ『水戸黄門』など多くの作品に出演しています。
1974年、1987年、1996年、1999年、2008年に舞踊評論家協会賞、2006年に文化庁長官表彰賞、2018年には第1回種田山頭火賞を受賞しました。
大森南朋さんとは2011年に公開された映画『まほろ駅前多田便利軒』で共演しており、お互いの出演作を観るほど仲が良いそうです。
大森南朋の兄は大森立嗣
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大森南朋さんのお兄さんは、映画監督の大森立嗣さんです。
大森立嗣さんは、映画『さよなら峡谷』や『日日是好日』などで監督を担当、大森南朋さんとお父さんが共演した『まほろ駅前多田便利軒』もお兄さんが監督を務めていました。
大森南朋さんは大森立嗣さんと仲が悪かった時期もあったものの、歳を重ねて二人でご飯を食べに行くくらいになったそうです。
ただベタベタした関係ではなく、「どちらかが死んだら葬式に行くんだろうなという切っても切れない関係だと捉えている」と話していました。
大森南朋の実家や家系図がすごい!
先日の『ファミリーヒストリー』。大森南朋さんのルーツを巡る旅。はじめなんでこれが終戦の日に?と思ってたんですが、観みなきゃダメなやつでした。ラストの洞窟のシーンまでずっと引き込まれました。とにかく面白かったです。 pic.twitter.com/N97PLy5BXm
— タカイチ★ヤング (@takaichiyoung) August 20, 2022
大森南朋さんは、東京都出身です。
父方の先祖は加賀藩前田家の筆頭家臣本多家に仕えた武士、祖父は海軍の参謀まで務めた軍人でした。
母方の5代前は着物や履物など日常生活すぐを貸し出す貸物業レンタル業を営んでおり、曽祖父は日本で初めて普通選挙運動をした団体の幹部だそうです。
大森南朋さんの両親は幼い頃に離婚しており、大森南朋さんはお母さんに引き取られて育ちました。
そのためあまり裕福ではなかったようです。
両親の離婚後はお母さんと共に杉並区に住んでいたとのことですが、現在の実家の場所は公表されていないため不明です。
大森南朋の生い立ち
1972年2月19日に誕生した大森南朋さんは、子供の頃から音楽が好きな子でした。
高校生になるとバンドを結成、大学時代もバンド活動に力を入れていたものの、お父さんのマネージャーに声をかけられ、俳優デビューしました。
そして1996年のCM出演をきっかけに、本格的に役者としての活動を開始しています。
大森南朋の母親もすごい人だった
NHKファミリーヒストリー大森南朋回。
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麿赤兒の状況劇場あたりにきたわよ! pic.twitter.com/7Nsrt7JBmT
大森南朋さんのお母さんは、小林(旧姓)桃枝さんと言います。
桃枝さんは新宿の名曲喫茶のさきがけと言われ、数多の文化人が集った新宿の風月堂で「女王」と呼ばれていました。
その後、23歳の時に新宿の雑居ビルでバー「ダダ」を開店しました。
まとめ
両親、そしてお兄さんだけではなく先祖も武士や軍人など凄い人たちだったという大森南朋さんですが、幼い頃に両親は離婚しており、音楽の道では食べていけず、苦労もたくさんありました。
これからの人生の中でも苦しいことや辛いことがあるかもしれませんが、大森南朋さんらしく俳優活動を続けていってほしいですね。
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