宇宙飛行士として国際宇宙ステーションでの長期滞在や複数のミッションを成功させてきた野口聡一さん。
26年間JAXAに在籍し、世界的にも知られる存在となりましたが、そのキャリアの中でどれほどの年収を得ていたのか気になる方も多いはずです。
また、宇宙を目指すきっかけとなった学生時代や、通っていた高校・大学はどこなのかも興味をそそりますよね。
さらに、なぜJAXAを退職したのか、その理由や現在所属している事務所についても知りたいところです。
この記事では、野口聡一さんの年収や学歴、経歴をはじめ、退職理由や現在の活動までを丁寧にたどりながら、その人物像に迫っていきます。
野口聡一の現在の年収は?
野口聡一さんの現在の正確な年収は公表されていません。
ただ、JAXA退職後は活動の幅を広げており、株式会社国際社会研究所の理事を務めるほか、日清食品「カップヌードルミュージアム」の名誉館長、日本大学理工学部航空宇宙工学科の特任教授など、複数の肩書きを持っています。
さらに、テレビや講演会、イベント出演などメディア活動も多く、こうした収入を合算すると、年収は1,000万円を超えている可能性が高いと考えられます。
特に企業イベントや講演会の出演料は1回あたり数十万円から100万円規模になることもあり、現役時代とは収入構造が大きく変化しているといえるでしょう。
野口聡一のJAXA時代の給料
宇宙飛行士としての野口聡一さんは、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の常勤職員という立場でした。
JAXA職員の給与は国家公務員の給与体系に準じており、全体の平均年収は約781万円といわれています。
技術系職員の場合、40代で800万円前後、50代では900万円台後半になるケースが多く、野口さんも同等の水準であったと推測されます。
なお、宇宙飛行士は国内外での長期訓練やミッションに伴う手当が支給されるため、年によっては平均よりやや高くなる可能性がありますが、それでも公務員の給与枠を大きく超えることはありませんでした。
野口聡一のJAXAの退職金は?
JAXA職員の退職金も国家公務員の退職手当規程に準じています。
人事院が公表した令和元年度の常勤職員の平均退職金額は約1,548万円であり、26年間勤務した野口さんもこれに近い金額を受け取ったと考えられます。
加えて、宇宙飛行士は国際的なミッション経験を持つ希少な人材であることから、退職後も講演や教育活動、企業との共同プロジェクトなど収益機会が多く、退職金だけでなくその後のキャリアによる収入面での安定性も非常に高いといえるでしょう。
野口聡一がJAXAを退職した理由
野口聡一さんは2022年6月1日付でJAXAを退職しました。
その理由として挙げたのは、「搭乗の機会を待っている後輩宇宙飛行士に道を譲りたい」という思いです。
自身がこれまで3回の有人宇宙飛行ミッションを経験し、そのすべてを無事に終えたことで、大きな区切りを感じたといいます。
特に最後のミッションで行った船外活動では、国際宇宙ステーションの構造物の最端部、いわば「この先は危険領域」という場所まで到達し、「燃え尽きた」と感じる瞬間があったことをインタビューで明かしています。
野口さんは退職を急に決断したわけではなく、3回目のミッションを終えた時点から将来の身の振り方を考え始めていたとされています。
宇宙飛行士は1つのミッションに備えるだけでも数年単位の訓練が必要であり、次の世代に活躍の場を譲ることは組織全体の発展にもつながります。
また、国際的な宇宙開発の現場では若手の経験値を積ませることが重要で、ベテランの退任は次の世代を育てる大きな契機となります。
野口さんの場合、退職後も講演活動や大学での教育、メディア出演を通して宇宙分野の魅力や自身の経験を広く発信し続けており、「現役を退いたから終わり」ではなく、新たな形での挑戦を続けているのが特徴です。
野口聡一のプロフィールや経歴
宇宙観光、一気に加速する 野口飛行士インタビュー「価格破壊もうすぐ」 (室蘭民報)
— 地域のニュースと地震速報 たまに猫のジルとアーク (@cvb_224) July 14, 2021
約半年の宇宙滞在を終えて帰国した宇宙航空研究開発機構(JAXA)の野口聡一飛行士(56)が13日、東京都内で共同通信のインタビューに応…https://t.co/KBVIqoQLR8#地域のニュース#ローカルニュース pic.twitter.com/1lMJbrO6kp
名前:野口聡一
生年月日:1965年4月15日
出身地:神奈川県
血液型:B型
身長:180cm
野口聡一さんが宇宙飛行士を志すきっかけは、高校1年生のときにテレビで見たスペースシャトルの初飛行でした。
「技術者でも宇宙を目指せる時代が来る。自分もいつか宇宙へ行きたい」との強い思いが芽生え、さらに高校3年になって読んだ『宇宙からの帰還』で、夢が確固たる目標へと変わりました。
1996年には旧NASDA(現JAXA)による宇宙飛行士候補者募集に応募し、572人の中から選抜され、NASAジョンソン宇宙センターで訓練を開始。
その後、1998年にはロシアのガガーリン宇宙飛行士訓練センターでも研修を受け、国際宇宙ミッションの基盤を築きました。
2005年のスペースシャトル「ディスカバリー」への搭乗を皮切りに、2009年にはソユーズ宇宙船、そして2020年にはSpaceX「クルードラゴン」に搭乗。
日本人で唯一、この3種類すべての宇宙船に乗った宇宙飛行士となりました。
さらに、船外活動の長期インターバルや異なる帰還方法の成功によってギネス世界記録にも認定されています。
2022年6月にJAXAを退職したのち、教育・産業・社会的立場での活動に精力的に取り組んでいます。
日本大学での特任教授、IHIアカデミー長(2025年4月就任)、立命館大学学長特別補佐、世界経済フォーラム主任フェローなど多彩な肩書きを持ち、宇宙にとどまらず産業界や学術界での発信役として存在感を示しています。
さらに2025年7月には、著書『宇宙飛行士・野口聡一の着陸哲学に学ぶ 50歳からはじめる定年前退職』が「プラチナエイジスト 文化教育部門賞」を受賞し、”50代からの自分らしい挑戦”というメッセージが社会的にも評価されています。
野口聡一の所属事務所
野口聡一さんは、特定の芸能事務所やマネジメント会社には所属していません。
テレビ番組や講演会、イベントなどへの出演も、基本的には自身や関係団体を通じて直接調整しているようです。
JAXA退職後は、日本大学理工学部での特任教授職や株式会社国際社会研究所の理事、「カップヌードルミュージアム」名誉館長といった公的役職を務めながら、メディアや企業イベントにも数多く登場しています。
このように事務所に依存せず活動できるのは、長年の宇宙飛行士としての実績と国際的な知名度、そして幅広い人脈があるからこそです。
講演依頼は大学や関連団体を通じて受けるケースが多く、宇宙や科学技術、教育に関するテーマで全国各地を回っています。
芸能活動というよりも、「宇宙開発の第一線を経験した専門家」としての立場を活かした活動が中心で、その発信力や説得力は事務所所属のタレントとは異なる独自の存在感を放っています。
野口聡一の学歴
野口聡一さんは、幼少期から複数回の転校を経験しながらも、学業と課外活動の両方に意欲的に取り組んできました。
小学校時代には音楽やスポーツ、ボーイスカウトなど多彩な活動に親しみ、中学・高校では陸上や野球といった運動部で体力と精神力を磨いています。
高校在学中にスペースシャトルの初飛行を目にしたことが、宇宙飛行士を志す原点となりました。
その後、国内トップレベルの理工系教育機関である東京大学工学部航空学科に進学し、大学院まで進んで航空宇宙工学を専門的に学びます。
こうして積み重ねた知識や探究心、努力を惜しまない姿勢が、後のJAXA宇宙飛行士としてのキャリアを築く確かな土台となったのです。
野口聡一の出身小学校
野口聡一さんは、太子町立斑鳩小学校に入学しました。
5年生の時に、横浜市立汐見台小学校に転校しています。
さらに6年生の時に、茅ヶ崎市立浜須賀小学校に転校しました。
小学生の頃は親の勧めで通った音楽教室に通い、ボーイスカウトや野球チームにも入っていました。
特に得意な科目はなかったものの、本を読むことが好きで国語の授業が好きだったそうです。
野口聡一の出身中学
小学校卒業後は、茅ヶ崎市立浜須賀中学校に進学しました。
中学時代は野球部と陸上部の両方に所属し、運動面でも積極的に活動していました。
陸上では短距離やリレーに取り組み、チームでの協力や自己記録の更新に挑む経験を積んでいます。
この時期もまだ「宇宙飛行士になりたい」という夢を公にはせず、限られた家族だけに語っていたとされています。
野口聡一の出身高校
中学校卒業後は、神奈川県立茅ヶ崎北陵高等学校に進学しました。
偏差値は、64です。
高校では陸上部に所属し、日々の練習を通じて体力と精神力を鍛えました。
高校1年生のときにスペースシャトルの初飛行を目にしたことが、後の人生を変える大きなきっかけとなります。
この瞬間から「技術者として宇宙に行く」という将来像が心の中に芽生えましたが、その思いはこの時点でも両親以外には打ち明けていませんでした。
野口聡一の出身大学
高校卒業後は、東京大学に進学しました。
野口聡一さんは航空宇宙工学部航空学科に在籍、偏差値は72です。
在学中はジェットエンジンに関する研究に打ち込み、航空機の推進技術や構造解析など専門的な知識を深めました。
卒業後は同大学大学院工学系研究科航空学専攻修士課程へ進み、さらに高度な研究を行っています。
大学・大学院で培った航空宇宙分野の知識と研究経験は、後に宇宙飛行士選抜試験に合格するための大きな基盤となりました。
まとめ
野口聡一さんは、幼い頃は乗り物が好きな少年でしたが、高校時代に見たスペースシャトルの初飛行が人生の大きな転機となり、やがてギネス記録にも名を刻む宇宙飛行士となりました。
JAXA時代には国際的なミッションを数多く経験し、退職後も教育・研究・産業界で幅広く活躍を続けています。
その歩みからは、夢を追い続ける情熱や挑戦し続ける姿勢の大切さを感じ取った方も多いのではないでしょうか。
これからも野口さんが、宇宙の魅力や探究心の素晴らしさを多くの人に伝え、次世代へ希望をつなぐ存在であり続けてくれることを願っています。
興味を持たれた方は、ぜひ関連情報や過去のミッションの記録もあわせてご覧になってみてください。
