久保田磨希さんは、大河ドラマ「花燃ゆ」や朝ドラ「まんぷく」をはじめ、数々の話題作に出演してきた実力派女優です。
存在感のある演技で注目される一方、飾らない人柄もあって幅広い世代から親しまれています。
そんな久保田磨希さんについては、どんな学生時代を過ごしてきたのか、また実家やお父さん・お母さんとの関わり、兄弟との関係などにも関心が集まっています。
たとえば学歴や家庭環境は、その後の女優としての歩みにどんな影響を与えたのでしょうか。
今回は、久保田磨希さんの出身高校や大学のエピソードに加えて、家族にまつわるエピソードまで丁寧に掘り下げていきます。
久保田磨希の学歴
久保田磨希さんは京都府福知山市の出身で、生まれ育った地元で学びながら人柄や価値観を形づくってきました。
学生時代のエピソードには、現在の女優としての芯の強さや明るさにつながるヒントが多く見られます。
ここでは小学校から大学までの学歴と当時の様子をまとめます。
久保田磨希の出身小学校
久保田磨希さんの具体的な小学校名は明らかになっていませんが、地元の福知山市内の小学校に通っていたと考えられています。
幼い頃から人前に立つことが好きで、周囲を楽しませる存在だったと伝えられています。
演技の道に進む土台は、すでにこの頃から芽生えていたのかもしれませんね。
久保田磨希の出身中学
久保田磨希さんの出身中学校は、京都府福知山市にある福知山市立南陵中学校です。
生徒会副会長を務めるなど、責任感が強くリーダーシップのある生徒だったそうです。
勉強面でも成績優秀で、とくに英語に力を入れていたとされています。
真面目さと積極性の両方を持ち合わせた姿は、後に舞台や映像の世界で信頼を得る人柄につながっています。
久保田磨希の出身高校
久保田磨希さんの出身高校は、京都府立福知山高等学校です。
地元では伝統ある進学校として知られており、久保田磨希さんも学力が高いことで知られていました。
高校受験の際には、お母さんから「そんなに勉強せんでもエエ」と声をかけられ、上位クラスではなく1類を受験して合格したというエピソードを語っています。
厳しい受験競争のなかで肩の力を抜きつつ、自分らしい選択をしたことが印象的です。
部活動や友人関係については明らかになっていませんが、地元での生活を大切にしながら高校時代を過ごしたようです。
久保田磨希の出身大学
久保田磨希さんは大阪芸術大学に進学し、芸術学部放送学科で学びました。
在学中は演劇部に所属し、舞台経験を積みながら役者としての基礎を磨いていきました。
学業よりも演劇活動に熱中していたともいわれ、卒業後はそのまま女優の道に進んでいます。
大阪芸大は関西から多くの表現者を輩出しており、同じ時期に学んだ仲間たちの存在も大きな刺激になったはずです。
久保田磨希さんの学歴を振り返ると、地元で培った誠実さと大学での実践的な学びが、女優としての礎になっていることがよく分かります。
久保田磨希のプロフィールや経歴
久保田磨希さんは大阪芸術大学を卒業後、本格的に女優を志して芸能活動を始めました。
デビュー当初は関西を拠点にしており、地元・KBS京都の広報番組『サタデーふう』でリポーターを務めるなど、演技以外の分野でも経験を積んでいます。
生年月日:1973年2月27日
出身地:京都府福知山市
血液型:A型
身長:170㎝
趣味:文鳥飼育・フラダンス・ひる寝・お寺めぐり・プロレス観戦・線香花火・ヨガ
特技:砲丸投げ・早食い・バスケットボール・早口言葉・健康料理
全国的に注目を集めたきっかけは、2003年のフジテレビ系時代劇『大奥』で演じた奥女中役です。
鷲尾真知子さんや山口香緒里さんと共に”奥女中トリオ”として出演し、「美味でございます」という決め台詞が話題となりました。
当時30歳でのブレイクで、一気に知名度が広がりました。
さらに2005年のドラマ『アタックNo.1』では、32歳ながら女子高生役に挑戦。
大人びた風格と溌剌さをあわせ持つ演技が印象を残しました。
その後も舞台『ピーターパン』や映画『極道の妻たち 情炎』、ドラマ『33分探偵』など、ジャンルを問わず幅広い役柄を演じています。
また、NHK作品にも多く出演しており、連続テレビ小説『やんちゃくれ』『まんぷく』、大河ドラマ『花燃ゆ』への出演で”実力派女優”の評価を確立しました。
作品によっては脇役でありながら強烈な存在感を示し、物語を支える名バイプレイヤーとしての地位を築いています。
現在はドラマや映画だけでなく、バラエティ番組や情報番組でコメンテーターを務めるなど、活動の幅を広げています。
SNS上でも「安心感のある演技」「存在感がすごい」といった声が寄せられており、女優としてのキャリアを積み重ねながら、多方面で信頼を得ていることがうかがえます。
久保田磨希さんの経歴を振り返ると、一つの役や作品をきっかけに着実にステップアップしてきた道のりが見えてきます。
表現者としての真摯な姿勢が、今なお幅広い世代から愛される理由といえそうです。
久保田磨希の所属事務所
久保田磨希さんは、現在ホリプロのグループ会社である「プロダクションパオ」に所属しています。
公式プロフィールはホリプロのサイト内に掲載されているため、実質的にホリプロのマネジメントのもとで活動している形です。
プロダクションパオは、女優・タレントのマネジメントを幅広く手がけている会社で、東ちづるさんや今陽子さんといった個性派の女優やアーティストも所属しています。
久保田磨希さんのように、舞台やドラマだけでなく、バラエティ番組やコメンテーターとしても活躍するタレントを支える体制が整っているのが特徴です。
また、ホリプログループは大手芸能プロダクションとして長年の実績を持ち、映画・舞台・テレビドラマへの出演機会に強みを持っています。
久保田磨希さんがNHK大河ドラマや朝ドラ、人気ドラマシリーズに継続的に出演している背景には、こうした事務所のサポート体制も関係していると考えられます。
実際、SNS上でも「安定した出演があるのは事務所の力も大きいのでは」という声が見られ、久保田磨希さん本人の実力と事務所のバックアップが相乗効果を生んでいることがうかがえます。
今後もプロダクションパオとホリプロのネットワークを活かしながら、幅広い活動を続けていくことが期待されます。
久保田磨希の年収
久保田磨希さんの具体的な年収は公表されていませんが、女優としての実績や活動の幅広さを踏まえると、同世代の役者の中でも比較的高い水準にあると考えられています。
これまでにNHK大河ドラマや連続テレビ小説、話題の民放ドラマや映画、舞台など幅広く出演しており、そのたびに安定した存在感を示してきました。
とくにNHK作品への出演はキャリアの信頼性を高める要素でもあり、ギャラ単価にも反映されやすいといわれています。
さらに、久保田磨希さんは女優業にとどまらず、バラエティ番組や情報番組でのコメンテーター活動も継続。
実は2014年放送の番組内で「役者の平均年収は約979万円」と紹介されたことがありましたが(番組調査データより)、数十年にわたって活躍を続けている久保田磨希さんは、この水準を超えている可能性が高いと見られています。
また、舞台女優としての評価も厚く、安定した出演機会を得ている点も収入面を支えている要因です。
SNS上では「堅実にキャリアを積んできたからこそ安心感がある」との声もあり、知名度や信頼度の高さが仕事の継続につながっていることがうかがえます。
こうした状況を踏まえると、久保田磨希さんの年収は数千万円規模に及ぶとの見方もあり、今後も多方面での活動を通じてさらに伸びていくのではないでしょうか。
久保田磨希の実家や生い立ち
久保田磨希さんは京都府福知山市で育ちました。
小学校6年生のときにはすでに身長168cmあり、子どもの頃から大人っぽく見られることにコンプレックスを抱えていたそうです。
いじめを受けることはなかったものの、目立たないように猫背で過ごしていたと振り返っています。
そんな娘に対して、お父さんとお母さんは「どうせ目立つなら一番になれ」と背中を押しており、その言葉に励まされて中学では生徒会副会長を務めました。
人前で話す経験は、その後の女優業にもしっかりと生かされていると語っています。
ご両親は自営業で多忙だったこともあり、一人っ子の久保田磨希さんは自然とテレビを見る時間が多く、「自分以外の自分になりたい」という気持ちを育んでいきました。
当初は女優になることは難しいと考え、「テレビの中の世界を作る人」になろうと大阪芸術大学放送学科に進学。
その後、演劇活動の中で先輩の代役を務めた際に高く評価されたことが転機となり、演じる側の魅力に惹かれて女優を志すようになります。
実家や幼少期のエピソードからは、ご両親の前向きな言葉や、本人の素直な努力が現在のキャリアの礎になっていることがよく伝わります。
家族からの支えと自身の環境が重なり合い、久保田磨希さんの女優人生を形づくってきたといえるでしょう。
久保田磨希の父親
久保田磨希さんのお父さんは、すでに亡くなられています。
正確な時期は明らかにされていませんが、2023年頃にはご本人のSNS投稿を通じて、その事実がファンの間にも伝わっていました。
お父さんは30代まで税務署に勤務したのち、地元・JR福知山駅前で寿司店を開業した方で、久保田さんは「頑固な昭和の職人」と表現しています。
幼少期は両親ともにお店の仕事で多忙だったため、一人っ子の久保田さんは家でテレビをよく見て過ごしていたそうです。
その体験が「自分以外の自分になりたい」という思いにつながり、女優という道を選ぶ原点になったのかもしれません。
ちなみに、寿司店を継がせる意志はなく、役者の道を進むことを応援してくれていたといいます。
久保田さんはお父さんのことを「優しいおじいちゃんのような存在」とも語っていて、厳しさと温かさの両方を持つ人柄だったことがうかがえます。
父の日にはInstagramでお父さんへの感謝を綴ることもあり、久保田さんにとって生涯の支えとなる存在であったことが伝わってきます。
久保田磨希の母親
久保田磨希さんのお母さんは、もともと教師をされていましたが、脱サラしたお父さんの手伝いをするため教師を辞めています。
夫婦ですし店を営んでいたのですがお父さんは先に他界され、お母さんは2020年の夏に地元の京都で永眠されました。
長く認知症を患っていたお母さんの面倒を見るため久保田磨希さんは長年東京と実家を行き来されていて、介護付きの施設で生活していたお母さんに会いに行くたびに認知症が進んでいく姿に切ない想いをされていたことをあるインタビューでも明かしています。
仕事の忙しい合間をぬっても東京から京都に行かれていた様子からも、久保田磨希さんはお母さんをきっと大事にされていたのでしょう。
久保田磨希さんの両親はともに他界されていることが分かりました。
久保田磨希の兄弟や姉妹
久保田磨希さんには兄弟や姉妹はおらず、一人っ子として育っています。
しかも遅くに生まれた子どもだったこともあり、ご両親からはとても大切にされてきたそうです。
久保田さん自身も「鬱陶しいくらいに愛情を注いでもらった」と語っていて、特にお父さんは幼少期から「世界一かわいい」と繰り返し伝えてくれていたのだとか。
両親の仕事が忙しく、幼い頃は一人で過ごす時間も多かった久保田さんですが、その分テレビに夢中になり「自分以外の自分になりたい」という思いを抱くようになりました。
実はこの感覚が、後に女優の道を選ぶ大きなきっかけにつながったと考えられています。
一人っ子としての環境は、両親の愛情を独占できる安心感がある一方で、自分を強く持たなければならない一面もあったはずです。
久保田さんが芸能界という厳しい世界で前向きに挑み続けられる背景には、こうした家庭環境の影響が大きいといえるでしょう。
現在も公式SNSではお母さんとのエピソードや実家の思い出に触れる投稿が見られ、両親との温かい絆が今も支えになっていることが伝わってきます。
まとめ
久保田磨希さんについて、実家や家族との関わり、そして女優になるまでの歩みを振り返ってきました。
子どもの頃にテレビを通じて芽生えた「自分以外の自分になりたい」という思いは、裏方志望から女優へと進路を変えるきっかけになったそうです。
お父さんやお母さんから注がれた深い愛情も、その選択を後押ししたのではないでしょうか。
現在は舞台や映像作品に加えてバラエティなど多方面で活躍しており、これまで培ってきた経験と人柄の温かさが、表現者としての魅力をさらに広げています。
今後の活動にも引き続き注目していきたいですね。
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