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肥後克広の出身高校や大学は?実家や父親と母親・兄弟も調べてみた

higokatsuhiro_carrer お笑い芸人

お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」のリーダーとして長く活躍している、肥後克広さん。

体を張った芸風や独特の間合いで知られる一方、その生い立ちや家族、意外な学歴、そして愛車遍歴まで詳しく知っている人は意外と少ないかもしれません。

この記事では、肥後克広さんの学歴・実家や生い立ち・家族構成・愛車などを、ネットで語られてきた情報やエピソードを整理しながらまとめています。

派手な美談に寄せすぎず、でも人となりが伝わるような視点で紹介していきますので、「肥後克広ってどんな人生を歩んできた人なんだろう?」と気になった方は、ぜひ最後まで読んでみてください。

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肥後克広の学歴

肥後克広さんの学歴については、ネット上でも関心が高く、たびたび話題になります。

芸人としてのイメージが強い一方で、若い頃の進路や学生時代に何を学んでいたのかを知りたい、という声も多いようですね。

ここでは、現在広く知られている情報をもとに、学校ごとに整理していきます。

肥後克広の出身小学校

肥後克広さんは、那覇市立久茂地小学校出身です。

こちらの学校は、2014年3月31日に閉校しました。

子供の頃の肥後克広さんは、人を笑わせるのが大好きな少年だったそうです。

肥後克広の出身中学

小学校卒業後は、那覇市立上山中学校に進学しました。

ものづくりや表現に関心を持つようになったのは、この頃からではないかとも言われています。

後にデザイン系の進路へ進んでいることを考えると、中学時代に芽生えた興味が、そのまま将来につながっていった可能性はありそうです。

肥後克広の出身高校

中学校卒業後は、沖縄県立那覇工業高等学校に進学しました。

偏差値は、39です。

工業系の高校として知られており、専門的な技術や知識を学べる環境が整っています。

芸人という現在の姿からは少し意外に感じる方もいるかもしれませんが、若い頃は「作ること」「表現すること」にしっかり向き合っていたことがうかがえますね。

肥後克広さんは自身の学費と、バイクや8ミリの映写機など欲しいものを買うために、アルバイトをしていました。

アルバイト漬けの日々だったものの、バイト先が楽しかったため続けられたのだそうです。

肥後克広の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

進路を決める時期に「就職するのも嫌だし、進学といっても勉強するのも嫌だし、特にやりたいこともなかった」という肥後克広さんは、お母さんから「運転免許は取っておけ」と言われました。

そこで進路相談の三者面談で、先生に「天久の自動車学校に進学します!」と宣言、先生からは「は?」という反応を去れたものの、高校卒業後に自動車学校に通っていました。

その後上京し、白金のデザイン事務所で商業デザイナーとして働いていたものの、半年ほどで退職し沖縄に帰郷しています。

肥後克広のプロフィールや経歴

名前:肥後克広
生年月日:1963年3月15日
出身地:沖縄県
血液型:AB型
身長:179cm
所属事務所:太田プロダクション

1度目の上京は半年で終わってしまった肥後克広さんですが、沖縄に帰ってからもすることはなく、「沖縄発のお笑い芸人になる」という夢を持って2度目の上京をしました。

そして当時絶大な人気を誇っていた萩本欽一さんの所に弟子入りを志願したものの「君はスターになるから僕の所にいない方がいいよ」と断られ、渋谷のストリップ劇場に入ることになりました。

そこで「コント赤信号」の渡辺正行さんと出会い、「今度、若い芸人を集めてお笑いライブをやるから、肥後も出たらどうか」と誘われたものの、ネタがなかなか決まらなかったそうです。

何も決まらないことを渡辺正行さんに話すと怒られ、上島竜兵さんと寺門ジモンさんを紹介され、1回限りのつもりで出演したところ思ったよりもウケたことがきっかけで、トリオ(結成当初はカルテット)「ダチョウ俱楽部」を組むことになりました。

トリオの活動だけではなく、個人としてもNHK連続テレビ小説『ちゅらさん』、『監察医 朝顔 第2シリーズ』、『オールドルーキー』などに出演しています。

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肥後克広の年収

肥後克広さんの年収は、はっきりした金額が公式に公表されているわけではありません。

なので、ネット上で見かける「年収◯千万円」みたいな数字は、だいたいが推測ベースなんですよね。

ただ、肥後克広さんほど長く第一線にいる方の場合、「年収=テレビの出演料だけ」では語れないのも事実です。

収入の柱として考えられるのは、たとえばこんな感じです。

  • バラエティやドラマなどの出演(レギュラー/ゲスト)
  • 全国の営業・イベント出演(節目の行事や祭事も含む)
  • CMやナレーションなどのスポット案件
  • 書籍や連載など”言葉で残る仕事”(出た年に寄るけど、印税という形もあり得ます)

ここ数年も露出が続いていて、2026年にはドラマ出演が話題になったり、節分会のような行事への参加も確認されています。

こういう動きがあると、単発の出演が増える年も出てくるので、「この年は高そう」「この年は落ち着きそう」みたいな波が出やすいタイプだと思います。

それと、2025年にはご本人の著書『頼る力』の話題が出ているので、テレビとは別軸で”発信の仕事”もしている流れが見えます。

芸人さんって、こういう「経験を言語化する仕事」が増えると、収入の形も少しずつ広がっていくんですよね。

まとめると、年収は断定できないものの、長期的に仕事が途切れていないタイプなので、ネットで言われる数字に引っ張られすぎるよりも、「収入源が複数ある=年によって上下しながらも安定しやすい」と捉えるのが自然ではないでしょうか。

(https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2025/09/26/kiji/20250926s00041000194000c.html)

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肥後克広の愛車

肥後克広さんは、クルマ好きとしても知られていて、「えっ、その車に乗ってたの?」と驚かれることがちょこちょこあります。

実際、SNSでは「肥後さんの愛車がN-ONEだった」という話題が出たこともあり、番組『おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR, NO LIFE!』絡みで注目した方も多いんですよね。(https://www.bs4.jp/aisya_henreki/articles/85v6x2mugpryjojv.html)

ネット上でよく挙がる現役の愛車としては、以下の2台が定番です。

  • トヨタ・アルファード ハイブリッド
  • ホンダ・N-ONE ツアラー Lパッケージ

また、過去の愛車としては「アメ車〜ミニバン〜輸入車」まで幅広く名前が出ています。具体的には、次のような車種が挙げられることが多いです。

  • ビュイック エレクトラ パークアベニュー
  • シボレー カマロ
  • ホンダ ステップワゴン
  • 日産 エルグランド
  • メルセデス・ベンツ Cクラス

この並びを見ると、単に“移動手段”として乗ってきたというより、時期ごとの生活や仕事のスタイルに合わせて、ちゃんと「乗り味」や「使い勝手」も含めて楽しんできた感じがしますよね。

とくにミニバン系が入っているあたりは、仕事道具としての実用性も大事にしていたのかな…と想像したくなります。

肥後克広の実家や生い立ち

肥後克広さんの生い立ちで、まず印象に残るのが「戸籍上の誕生日」と「実際の誕生日が違う」というエピソードです。

戸籍上は1963年3月15日が誕生日になっていますが、ご本人の話としては、実際に生まれたのは1962年7月15日だった――という内容が伝わっています。

こういう話、最初に聞くと「えっ、そんなことある?」ってなりますよね。

そして、この事実を肥後克広さんが知ったのは小学校高学年の頃。

何かを探しているときに、タンスの中から自分のへその緒が出てきたことがきっかけだったそうです。

そこで「誕生日が違うっぽい」とお母さんに話したところ、返ってきたのがなかなか強烈なひと言で、「この子はどうせバカに決まってるから、誕生日を遅くしてひとつ下の学年にすれば、学校の勉強が少しは楽になると思った」と言われたのだとか。

言い方はパンチがありますが、裏を返すと「少しでも生きやすいように」と考えたお母さんのリアルな生活感も見えてきます。

笑い話っぽく聞こえる一方で、当時の家庭の事情や、お母さんのたくましさを感じる話でもありますよね。

そんな肥後克広さんは、沖縄県那覇市久茂地で生まれ、中学生の時にハーバービューホテルの裏側の家へ引っ越したとも言われています。

沖縄の土地感がある人なら「あのあたりかな」と想像しやすいかもしれませんが、こうしたエピソードからも、地元・那覇の中で生活しながら育ってきた様子が伝わってきます。

肥後克広の父親や母親

肥後克広さんのご両親は、芸能人ではなく一般の方です。

だからこそ詳しいプロフィールがたくさん出回っているタイプではないのですが、家庭の話として印象的なエピソードはいくつか伝わっています。

まずお父さんについては、肥後克広さんが中学生になる前に病気で亡くなったと言われています。

子どもの頃にお父さんを亡くすというのは、気持ちの面でも生活の面でも大きかったはずで、後の発言やエピソードの端々に「家の事情が楽ではなかった空気」を感じる人もいるかもしれません。

そしてお母さんは、肥後サワエさんというお名前で、奄美大島出身の方だとされています。

お父さんが亡くなってからは、沖縄そばの食堂を切り盛りしながら子どもたちを育てた――という話がよく知られています。

このあたり、さきほどの「誕生日をずらした」話ともつながりますが、言葉は豪快でも、根っこは”生活を回しきる強さ”なんですよね。

子どもを育てるために目の前の現実と向き合って、できることを全部やっていたお母さん像が浮かびます。

また、肥後克広さんがテレビで活躍するようになってからは、お母さんもバラエティ番組に出ることがあり、「お母さんもキャラが立ってる」という感じで話題になったこともありました。

親子の距離感が近い雰囲気が伝わってきて、見ている側もなんだかほっこりするタイプの登場でしたね。

なお、お母さんは2010年3月に亡くなったとされています。

芸人として長く活動する中で、家族の存在が支えになっていた部分もあったのかもしれません。

肥後克広の兄弟や姉妹

肥後克広さんには、お姉さんが2人いると言われています。

兄弟姉妹についても、芸能活動をしているわけではないため、名前や顔写真などの詳しい情報は公表されていません。

ただ、家族エピソードとしてよく語られているのが、お姉さんの誕生日にまつわる話です。

3つ年上のお姉さんの誕生日は5月25日とされていますが、これもお母さんが「ごご(5×5)にじゅうご(25)で覚えやすいから」という理由で決めたものだったそうで、本当の誕生日は忘れてしまった――というエピソードが伝わっています。

ここまで来ると、「ああ、この家らしいな」と思う人も多いのではないでしょうか。

誕生日の話にしても、きっちり管理された家庭というよりは、日々の生活を最優先で回していく中で生まれた、ある意味でとても人間味のあるエピソードですよね。

兄弟姉妹について多くを語らない肥後克広さんですが、こうした断片的な話からは、細かいことよりも”生きていくこと”を大事にする家庭環境で育った様子が伝わってきます。

その感覚が、後の芸風や立ち位置にも、どこか影響しているのかもしれません。

まとめ

お父さんを早くに亡くし、決して裕福とは言えない環境の中で育った肥後克広さんですが、そうした背景を感じさせないほど、今では長く愛される芸人さんになりました。

誕生日のエピソードや、お母さんの豪快な一言、生活を支えるために働き続けた姿などを振り返ると、笑える話の裏側に、家族で必死に生きてきた時間があったことが伝わってきますよね。

それは決して美談に寄せる必要はなく、「そういう家庭もあるよね」と自然に受け止められるリアルさがあります。

お笑い芸人として成功し、「ダチョウ俱楽部」が老若男女に知られる存在になった今も、その根っこにあるのは、地に足のついた生活感や人との距離感なのかもしれません。

空の上から見守ってくれている両親に、これからもたくさんの笑顔を届けられるよう、肥後克広さんには無理せず、長く活躍を続けてほしいですね。

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