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槙野智章の年収や事務所は?引退理由や出身高校や大学・実家や両親兄弟も調査

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サンフレッチェ広島、浦和レッズ、ヴィッセル神戸、そして1.FCケルンと国内外問わず活躍した元サッカー選手の槙野智章さんは、何故現役を引退したのでしょうか。

どんな環境で育ち、いつからサッカーを始めたのでしょうか。

今回は、槙野智章さんの経歴や出身学校、家族、引退理由について調べてみました。

槙野智章の年収

槙野智章さんの現在の年収は公表されていません。

現役を引退してからまだ数ヶ月ということもあり、引退後の年収がどれくらいになるのかは分かりません。

槙野智章の現役時代の年俸

槙野智章さんの現役時代の年棒は、1億円と言われています。

2017年に初めて1億円になり、以降は2020年まで1億円、2021年に8000万円になるも、2022年には再び1億円になりました。

槙野智章が引退した理由

2022年12月24日に放送された『Going!Sports&News』の冒頭で現役引退を発表した槙野智章さんは、同年12月26日に「現役引退および槙野劇場第二章 開幕宣言会見」を開きました。

そこで引退理由について「今季、満足いくプレーができなかった。 自分が求められることができなかったから」と答えています。

夏に怪我をして自分のパフォーマンスに納得できなくなり、本格的に引退を考え始めたのだそうです。

槙野智章のプロフィールや経歴

名前:槙野智章
生年月日:1987年5月11日
出身地:広島県
血液型:O型
身長:182cm

2006年にサンフレッチェ広島トップチームに昇格した槙野智章さんは、2007年8月に先発メンバーに抜擢され、以降はレギュラーとして定着しました。

2010年にはリーグ全34試合に出場し、33試合ではフル出場、初のJリーグベストイレブンに選出されただけではなく、全試合に出場しながら警告や退場が1つもなかったことから、フェアプレー個人賞を受賞しています。

同年ドイツ・ブンデスリーガの1.FCケルンへ完全移籍をし、2011年1月29日にFCザンクトパウリ戦でブンデスリーガデビュー、2012年に浦和レッズに移籍しました。

2018年8月19日にはJ1第23節の清水エスパルス戦で史上100人目となるJ1通算300試合出場を果たし、2019年11月16日にAFC年間最優秀選手賞の候補に選ばれています。

2021年12月24日にはヴィッセル神戸に完全移籍することが決定し、2022年2月19日に開幕戦でスタメン出場、J1通算400試合出場を果たしました。

他にも2007 FIFA U-20ワールドカップ、ロシアワールドカップメンバーなど日本代表にも選出されていました。

槙野智章の所属事務所

槙野智章さんは、「ホリプロ」に所属しています。

現役時代の2011年にマネジメント契約を結んでおり、現役引退後も契約は続けています。

槙野智章の学歴

槙野智章さんが通っていた学校について調べてみました。

槙野智章の出身小学校

槙野智章さんは、広島市立草津小学校出身です。

小学生の頃は、地元草津の草津小学校のサッカー少年団が4年生からしか入団できなかったため、隣町井口の井口明神小学校のサッカークラブに入団し、プレーしていました。

6年生の時には、FWとしてフジパンカップ広島県大会で3位入賞を果たしています。

槙野智章の出身中学

小学校卒業後は、広島市立庚午中学校に進学しました。

サンフレッチェ広島ジュニアユースに入団し、当初はFWのポジションでプレーしていました。

その後トップ下、サイド、ボランチなど様々なポジションを経て、3年生の時にセンターバックにコンバートされています。

槙野智章の出身高校

中学校卒業後は、広島県立吉田高等学校に進学しました。

偏差値は、40~42です。

サンフレッチェ広島のユースチームに昇格、2年生からセンターバックとしてレギュラーを獲得し、ユースレベルでの3大大会の全てで決勝に進出し2冠達成に貢献しました。

3年生の時は広島ユースおよびおかやま国体における広島県選抜の主将を務め、各年代別代表にも招集されここでも主将を務め中心選手として活躍しています。

槙野智章の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

サンフレッチェ広島トップチームに昇格し、プロデビューを果たしています。

槙野智章の実家や生い立ち

1987年5月11日に広島県広島市内で誕生した槙野智章さんは、幼い頃からお父さんとお兄さんたちがサッカーをしていたため、公園でボールを蹴ったり、外食に行ったときは待ち時間に4人でリフティングをしていました。

またとにかく活発で、小学1年生の時には運動会直前に遊具から落ちて右腕を骨折、しかしギプス姿で徒競走に出場し、ぶっちぎりの1位になったこともあったそうです。

しかし思春期を迎えると喧嘩など悪い方にやんちゃになり、そんな槙野智章さんの姿を見たお兄さんは、自身がやっていた新聞配達のアルバイトを槙野智章さんに託しました。

槙野智章さんにとってこれが最初で最後のアルバイトだったそうで、中学1年から2年間、朝4時半から129軒を回り配達していました。

槙野智章さんはプロになり実家を出ましたが、現在も広島県内に実家があるようです。

槙野智章の父親

成槙野智章さんのお父さんは、槙野成伸さんと言います。

一般人で、職業などは公表されていません。

槙野智章の母親

槙野智章さんのお母さんは、槙野令子さんと言います。

お母さんは槙野智章さんを産んだ時、「色黒で、サルに似ていてどうしよう」と思ったとインタビューで語っていました。

槙野智章の兄弟や姉妹

槙野智章さんには、お兄さんが2人います。

長男の槙野伸一さんは、地元広島の実業団チームに所属しています。

次男の槙野哲人さんは、サッカー関係ではなく一般職に就いているようですね。

まとめ

子供の頃からサッカーが身近にあった槙野智章さんは、プロの選手となり、日本代表として世界を相手に戦っていたこともありました。

引退後の夢については「監督になりたい」と語っており、これからの第二の人生も応援していきたいですね。

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