東京ヤクルトスワローズの顔として長年活躍し、数々の輝かしい記録を打ち立てた古田敦也さん。
引退後も多方面で名前を聞くことがありますが、最近はどんな活動をされているのか気になる方も多いのではないでしょうか。
また、現役時代の実績から「なぜ監督にならないのか」と不思議に感じる声も根強くありますよね。
この記事では、古田敦也さんの現在の活動内容をはじめ、監督になれないと言われる背景や、年収・生涯年俸に関する情報まで詳しくまとめました。
ぜひ最後までチェックしてみてください!
古田敦也は監督になれない?
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2021年からヤクルトの春季キャンプの臨時コーチを務めている古田敦也さんですが、現役を引退してから監督に就任したことはありません。
ネット上では「監督になれない理由」について、様々な噂がありました。
監督になれないと言われる理由①選手からの人望がない
古田敦也さんは、選手時代の2006年~2007年まで、選手兼任監督を務めていました。
この時独自の野球理論でチーム内の改革を行い、それに多くの選手が理解できなかったことから古田敦也さんと選手たちの間に溝が生まれてしまったといわれています。
また古田敦也さん自身が誰に対しても物怖じせず、言いたいことははっきりいう性格であることも溝が出来た原因の一つだったようです。
監督になれないと言われる理由②ヤクルトのフロントとの確執
古田敦也さんに監督の話が舞い込んできた時、ヤクルトの左腕であった石井一久さんがメジャーに移籍することを球団は容認していました。
しかし古田敦也さんは選手兼任監督を引き受ける条件として、「現有戦力を流出させないこと」を挙げていたのです。
そのため、石井一久さんのその年にメジャーへの移籍が出来なくなってしまいました。
このことでフロントは悪者にされ、さらに現場以外でも、「球団名に東京を付ける」、「東京を本拠地にするスポーツチームでネットワークを作る」などフロントに口出しをしたことで、フロントとの関係は悪化してしまったそうです。
古田敦也は現在何をしている?
現役引退後も、古田敦也さんはさまざまな分野で精力的に活動を続けています。
スポーツキャスターや野球解説者としてテレビに出演する機会は多く、的確な分析とわかりやすい解説に定評がありますよね。
特に試合中継では、現役時代に培った視点から深掘りするコメントが、野球ファンから高く評価されています。
また、タレントとしてバラエティ番組に登場することもあり、意外な一面を見せる姿も親しまれています。
最近では、YouTubeチャンネルも開設し、自身の経験を生かした野球トークや、現役選手へのインタビュー企画なども配信中です。
こうした活動からも、古田敦也さんが多方面にわたって支持を集めていることが伝わってきますね。
さらに、2021年には日本女子ソフトボールリーグ機構の理事に就任しました。
この人事については、スポーツ界全体の発展に貢献したいという古田敦也さんの思いが背景にあると、いくつかのメディアで紹介されています。
女子スポーツの振興にも積極的に関わっている姿勢は、とても印象的ですよね。
加えて、2023年には古巣・東京ヤクルトスワローズの春季キャンプで臨時コーチを務めたほか、アメリカ・メジャーリーグのアリゾナ・ダイヤモンドバックスからも臨時コーチに招かれるなど、その指導力に対する評価は国内外で高まっています。
特にダイヤモンドバックスへの参加については、野球解説番組などでも「国際的な信頼を得ている証」として話題になりました。
このように、単なる元プロ野球選手にとどまらず、指導者、解説者、タレント、クリエイターと多方面で活躍の場を広げている古田敦也さん。
スポーツ界全体を見据えた活動スタイルに、多くの人が共感しているのも納得ですよね。
現役時代の輝かしい実績を持ちながらも、それに甘んじることなく新たな挑戦を続けている姿は、多くのファンにとって今も変わらず憧れの存在だといえるでしょう。
古田敦也のプロフィールや経歴
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名前:古田敦也
生年月日:1965年8月6日
出身地:兵庫県
血液型:B型
身長:182cm
所属事務所:株式会社エーポイント
小学3年生の時に地元の少年野球に入った古田敦也さんは、中学高校と野球を続け、大学時代には日本代表選手に選ばれるなどの活躍をしました。
卒業後も社会人として野球を続け、1988年のソウルオリンピックにも出場、銀メダルを獲得し、1989年のドラフト会議では2位で東京ヤクルトスワローズから指名を受け入団しました。
当時の監督であった野村克也さんから才能を認められ、1年目からレギュラーで活躍、オールスターゲームにも選出されています。
その後も活躍し続け、シーズン盗塁阻止率.644と通算盗塁阻止率は.462という日本記録を作り、史上14位タイの8度の年間打率3割を達成し、捕手としての生涯打率の日本記録保持者になりました。
2004年に起こったプロ野球再編問題では、日本プロ野球選手会会長として、球団側に対して先頭に立ち、史上初となるプロ野球ストライキ決行を主導し交渉を導いたのです。
2006年からは選手兼監督を務め、2007年に「チームの成績不振の責任を取りたい」として現役引退と監督退任を発表しました。
古田敦也の所属事務所
古田敦也さんは、現在「株式会社エーポイント」に所属しています。
エーポイントは、主にスポーツ選手や元アスリートのマネジメントを手がけている事務所で、野球界だけでなくさまざまなスポーツジャンルの著名人が在籍していることで知られています。
スポーツ界で活躍してきた方々のセカンドキャリアをサポートする体制が整っているため、古田敦也さんも安心して活動の幅を広げているのかもしれませんね。
ただ、厳密にはマネジメント業務を一手に担っているのは「株式会社ビッグベン」という別会社です。エーポイントとは業務提携という形を取っており、ビッグベンが実質的なマネジメント窓口となっています。
このような二重体制は少し珍しく感じるかもしれませんが、過去のスポーツ紙などでも「専門性の高いマネジメント支援を受けるための形態」として紹介されたことがありました。
もともと古田敦也さんは、現役引退後も解説者・キャスター・タレントなど多方面で活動してきたため、活動領域が非常に広いのが特徴です。
そのため、一般的なスポーツ選手向けマネジメントだけではなく、メディア出演やビジネスイベント、講演活動など多角的なサポートが必要だったのでしょう。
複数の会社が連携し、きめ細やかな支援体制を整えているのは、まさに古田敦也さんならではの特別な環境といえそうです。
また、古田敦也さん自身が非常にプロ意識の高い方として知られていることも、この体制に影響しているかもしれません。
過去のインタビューでも「ひとつひとつの仕事に真摯に向き合う姿勢」を大切にしていることが語られており、マネジメント会社側もそのスタンスを尊重し、細やかなフォローを徹底している印象を受けます。
このように、表面的には「エーポイント所属」となっていますが、実際にはビッグベンのサポートを受ける形で活動を続けている古田敦也さん。
多方面での活躍を可能にしているのは、こうした強力なバックアップ体制があってこそなのかもしれませんね。
芸能活動だけにとどまらず、スポーツ界全体に貢献するようなプロジェクトにも積極的に関わっている現在の古田敦也さん。
所属事務所やマネジメント会社との連携も含め、これからどんな新たな挑戦を見せてくれるのか注目が集まります。
古田敦也の年収
古田敦也さんの現在の年収について、公式な情報は公表されていません。
とはいえ、現役引退後も多彩な分野で活動していることを考えると、かなり高い水準を維持していると考えられますよね。
まず、古田敦也さんはスポーツキャスターや野球解説者として、テレビ番組やスポーツ中継にたびたび出演しています。
スポーツ解説者のギャラ相場は、レギュラー番組であれば1回数十万円以上と言われており、人気や実績によってはさらに高額になるケースもあるそうです。
長年プロ野球界のトップに立ってきた古田敦也さんであれば、当然高いギャラ水準でオファーを受けていると見ていいでしょう。
加えて、講演活動も古田敦也さんの収入源の一つとされています。
引退後にスポーツ界だけでなく、ビジネス界向けの講演にも積極的に登壇しており、リーダーシップやチームマネジメントについて語る内容は企業からも高く評価されています。
講演1回あたりの報酬は有名スポーツ選手の場合、数十万円から100万円規模にのぼることもあるといわれていますので、年間で見ると相当な額になるかもしれませんね。
また、タレントとしてバラエティ番組に出演する機会もあり、出演料が積み重なっていく点も見逃せません。
最近ではYouTubeチャンネルも開設しており、こちらでも広告収入や企業案件などで新たな収益を得ていると考えられます。
特に知名度の高い方が運営するYouTubeチャンネルでは、企業案件1本だけで数百万円規模の報酬が発生することもあるため、ネットメディア領域でも安定した収入を築いている可能性があります。
さらに、2021年からは日本女子ソフトボールリーグ機構の理事も務めており、正式な報酬は不明ですが、こうしたポジションには一定の手当が支払われることが一般的です。
スポーツ界全体に貢献する活動を続ける一方で、しっかりとプロフェッショナルな立場で報酬を得ている点も古田敦也さんらしいですよね。
こうした多角的な活動状況を総合的に考えると、古田敦也さんの現在の年収は少なくとも数千万円以上、場合によっては1億円に近い水準に達している可能性も十分にあると推測されます。
もちろん、収入は年度や活動内容によって変動するため一概には断言できませんが、常に安定した人気と信頼を持ち続けていることを考えると、かなり堅実な収入基盤を築いていると見て間違いなさそうです。
現役時代だけでなく、引退後も多方面で活躍を続ける古田敦也さん。
今後もさらなるチャレンジを通じて、ますます収入面でも存在感を高めていくのではないでしょうか。
古田敦也の愛車
長年にわたりプロ野球界で活躍し、多くのファンを魅了してきた古田敦也さん。
そんな古田敦也さんが愛用している車は、「トヨタ セルシオ」だと知られています。
セルシオといえば、トヨタが誇る高級セダンブランドで、静粛性や乗り心地の良さに定評がありますよね。
1989年の登場以来、国内外で高い人気を誇り、「日本の高級車の象徴」とも称されてきました。
特に当時のセルシオは、世界最高峰の品質を目指して開発されたこともあり、多くの著名人や企業役員にも選ばれていたモデルです。
古田敦也さんがトヨタ車を愛用している背景には、大学卒業後にトヨタ自動車に勤務していた経歴があることが関係しています。
プロ入り前、社会人野球チームであるトヨタ自動車に所属し、社員として働きながらプレーしていた時期がありました
。そのため、車に対する思い入れも自然と「トヨタ一筋」というスタイルになったのかもしれませんね。
過去のインタビュー記事では、「車は一貫してトヨタ」と話していたことがあり、長年変わらぬ愛着を持っていることがうかがえます。
特にセルシオのような落ち着いた高級車を選んでいる点も、古田敦也さんの誠実で品格あるイメージと重なりますよね。
また、セルシオはスポーツカーのような派手さはないものの、静かで力強い走りと高級感あふれる室内空間を兼ね備えているため、「派手さよりも本質を重視する」古田敦也さんらしい選択ともいえるでしょう。
こうした選択からも、表面的な派手さではなく、本質を大切にする古田敦也さんの人柄が感じられる気がします。
なお、現在のトヨタではセルシオという名前は使われていませんが、レクサスブランドとして発展し、セルシオの精神を受け継いだ「レクサスLS」が後継車にあたります。
もし今後、古田敦也さんが車を買い替えるとしたら、レクサスシリーズを選ぶ可能性も高いかもしれませんね。
このように、古田敦也さんの愛車にまつわるエピソードからは、単なる移動手段以上に、過去のキャリアや価値観が深く反映されていることがわかります。
これからも、愛車とともに、さまざまなフィールドで活躍を続ける古田敦也さんに注目していきたいですね。。
古田敦也の現役時代の生涯年俸
古田敦也さんは、東京ヤクルトスワローズで長年活躍し、球界を代表する名捕手として知られています。
そんな古田敦也さんの現役時代の生涯年俸は、推定で約33億円にのぼるといわれています。
これだけの金額を稼ぎ出した背景には、数々のタイトル獲得と、リーダーシップあふれる存在感がありましたよね。
特に注目すべきは、選手としてだけでなく、チームの精神的支柱としても高く評価されていた点です。
リード面や配球術に優れていたことはもちろん、試合全体を読む力にも定評があり、まさに「勝てる捕手」としてヤクルト黄金時代を支えていました。
こうした実績が評価され、高額年俸に結びついたことは間違いありません。
最高年俸は、2006年に記録した3億4000万円です。
この年は、選手兼任監督という異例の立場でもあり、プレーだけでなくチーム運営にも力を注いでいたことが話題になりました。
当時の日本プロ野球界では、選手としての年俸3億円台というのは非常に高額であり、いかに古田敦也さんの存在が特別だったかがよくわかりますよね。
また、現役生活を通して年俸は安定して高水準を維持しており、大きなアップダウンが少なかったことも特徴の一つです。
通常、プロ野球選手は成績によって年俸が大きく変動することが多いのですが、古田敦也さんの場合は高いパフォーマンスを長期間継続できたため、球団からの信頼が厚かったといえるでしょう。
さらに、古田敦也さんは労働組合・日本プロ野球選手会の初代会長も務め、選手の権利向上にも尽力しました。
年俸交渉においても、個人プレーにとどまらず、プロ野球界全体を見据えた交渉姿勢を取っていたことが、過去の報道などからも伝わってきます。
単なる「高給取りのスター選手」という枠を超えた存在だったのは間違いありませんね。
なお、古田敦也さんの生涯年俸約33億円という金額は、同時期に活躍していた他のトップ選手と比較しても非常に高い水準です。
たとえば、メジャーリーガーを除いた日本国内選手の中でも、当時これだけの累計年俸を積み上げられた選手はごくわずかでした。
それだけ、安定した成績と高い付加価値を兼ね備えていた証といえそうです。
このように、古田敦也さんの現役時代の生涯年俸には、単なる個人成績だけでなく、リーダーシップや野球界への貢献度といった要素が色濃く反映されています。
今振り返ってみても、プロ野球史における特別な存在であったことは揺るぎない事実でしょう。
まとめ
東京ヤクルトスワローズ一筋でプレーし、「ミスタースワローズ」とも称された古田敦也さん。
現役引退後も、スポーツキャスターや解説者、指導者として多方面で活躍を続けています。
現時点では監督復帰の話は出ていないものの、現場を離れた今も変わらず野球界に深く関わり続ける姿に、心強さを感じた方も多いのではないでしょうか。
年収や生涯年俸についても、輝かしいキャリアを裏付けるものばかりで、今なおその存在感は色あせていません。
今後もし再びユニフォーム姿を見る機会があれば、多くのファンにとって大きな喜びとなるでしょうね。
引き続き、古田敦也さんのさらなる活躍に注目していきたいと思います!
