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太田裕美の若い頃も現在もかわいい!出身高校や大学・事務所や年収も

otahiromi_carrer 歌手

大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」で知られるシンガーソングライターの太田裕美さんは、若い頃から歌唱力はもちろんのこと、見た目の可愛さも注目されていました。

そんな太田裕美さんとは、どんな人なのでしょうか。

今回は、太田裕美さんの経歴や出身学校、病気などについて調べてみました。

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太田裕美の若い頃がかわいい!

太田裕美さんの若い頃の姿はこちらです。

とても可愛らしいですね。

太田裕美は現在もかわいい!

太田裕美さんの現在の姿はこちらです。

若い頃と雰囲気が変わったとはいえ、可愛さは健在です。

太田裕美のプロフィールや経歴

名前:太田裕美
生年月日:1955年1月20日
出身地:東京都生まれ、埼玉県育ち
血液型:A型
身長:非公開
所属事務所:フライングダッシュ

幼い頃から音楽が好きだった太田裕美さんは、1969年に友人の代わりにスクールメイツのオーディションを受け合格、1972年の11月にNHKの音楽番組『ステージ101』のレギュラー出演グループの「ヤング101」のオーディションを受け、ピアノで「ショパンのワルツ」を弾いて合格しました。

翌年の1973年12月にNETテレビのオーディション番組『スター・オン・ステージ あなたならOK!』にで優勝し、渡辺プロと新人養成契約を結んだことをきっかけに1974年11月1日に「雨だれ/白い季節」でデビューしました。

当時のキャッチフレーズは「まごころ弾き語り」で、デビュー初期はフォークソング調のピアノ弾き語り曲が多く、1975年に日本レコード大賞、日本歌謡大賞等で新人賞を受賞しています。

1975年12月に3作目のアルバム『心が風邪をひいた日』からシングルカットされた「木綿のハンカチーフ」が大ヒットし、1976年には『NHK紅白歌合戦』に初出場しました。

さらに当時は大学祭などにも多数出演したため、「学園祭の女王」と言われていたそうです。

人気絶頂だった1982年、太田裕美さんは音楽活動を一時休業し、8か月間アメリカ・ニューヨークに単身留学しました。

「木綿のハンカチーフ」が大ヒットしたことで、新曲を出しても「“木綿”はいい曲でしたね」と言われてしまうため、「もういいかげん、“木綿”は卒業したい」と思っていたそうです。

またデビュー当時から「いずれ音楽に対する思いを見つめ直す時期が来る」と感じていたこともあり、事務所の反対を押し切って留学に踏み切ったのでした。

その後結婚や出産を経て1996年より音楽活動を本格的に再開し、現在はライブ活動なども行っています。

太田裕美の病気はもう治った?

太田裕美さんは、2019年5月に乳がんと診断されました。

その後同年7月のコンサート後に手術をし、8月から抗癌剤治療に入りました。

抗がん剤治療で髪の毛が無くなってしまった時は、まつ毛と眉毛も抜けることも知らなかったため、大きなショックを受けたと明かしています。

辛い治療を乗り越え、現在は経過観察しつつ3カ月に1回の定期検診に通っています。

まだ完治とは言えないものの、芸能活動を行えるくらい健康状態は良好なようです。

太田裕美の所属事務所

太田裕美さんは、「フライングダッシュ」に所属しています。

こちらには、長谷直美さん、赤嶺寿乃さん、姫菜乃さんらも在籍しています。

太田裕美の年収

太田裕美さんの年収は公表されていません。

数々のヒット曲を持ち、他アーティストの楽曲に参加することもあります。

テレビにも出演しており、年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

太田裕美の学歴

太田裕美さんが通っていた学校について調べてみました。

太田裕美の出身小学校

太田裕美さんは、春日部市立武里小学校出身です。

8歳でピアノを習い始め、作曲もするようになりました。

小学校時代はコーラス部にも所属していたそうです。

太田裕美の出身中学

小学校卒業後は、上野学園中学校に進学しました。

太田裕美さんは音楽指導科声楽科に在籍、偏差値は43です。

中学時代は、演劇部に所属していました。

当時については「台詞が少なけりゃ少ないで『え、これだけ?』と思うし、多けりゃ多いで『これじゃ覚えられないよ。素人なんだから』なんて思ったりした」と話していました。

太田裕美の出身高校

中学校卒業後は、上野学園高等学校に進学しました。

太田裕美さんは音楽指導科に在籍、偏差値は45です。

高校でも演劇部に所属していました。

太田裕美の出身大学

高校卒業後は、進学していません。

すでに計納階への道が決まっていたこともあり、進学を希望していなかったようです。

まとめ

デビューから順調なスタートを切った太田裕美さんですが、「木綿のハンカチーフ」の大ヒットにより他の曲が注目されなくなってしまうなど苦しい時期を経験し、病気により「仕事復帰は出来なくなるかも」と不安を抱えたこともありました。

しかしそれらを乗り越え、太田裕美さんは今もステージに立ち続けています。

今後も太田裕美さんが歌い続けていけるよう、応援していきたいですね。

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