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寺脇康文の弟は医者?実家は岐阜でお金持ち?父親と母親も調べてみた

寺脇康文の弟は医者?実家は岐阜でお金持ち?父親と母親も調べてみた 俳優
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俳優の寺脇康文さんの弟は医者で、実家は岐阜にあり、お金持ちなのではと言われています。

そんな寺脇康文さんのご両親はどんな方たちなのでしょうか。

そこで今回は、寺脇康文さんの実家や両親、兄弟について調べてみたいと思います。

寺脇康文の実家は岐阜でお金持ち?

寺脇康文さんの実家は岐阜県岐阜市にありましたが、その後羽鳥市に引っ越したという噂もあります。

寺脇康文さんのお父さんは、『寺脇商事』という会社を経営していて、海外などの美術品を輸入販売していたそうです。

一般的なイメージでは美術商はお金持ちな人の職業ですよね。

美術品が売れると大金が入ってきたそうで、寺脇康文さんの実家もおそらく裕福だったのではと思われます。

寺脇康文の生い立ち

寺脇康文さんは、1962年2月25日に大阪府で生まれました。

幼い頃、甘えん坊だった寺脇康文さんは、幼稚園のころまでお姉さんに添い寝をしてもらっていたそうです。

小学生になった頃には、寺脇康文さんはすでに芸能人への憧れがありました。

絵を描くことも好きで、その頃の将来の夢は『スターか漫画家』だったそうです。

とにかく目立つのと、人を笑わせることが好きだった寺脇康文さんは、クラスの中心的存在でした。

ある時、女子のスカートめくりをやりすぎて、先生から『スカートめくりをやった人はみんなの前でズボンを下ろす』という罰則が与えられました。

そんな中でも寺脇康文さんは、ズボンを下ろせば目立てると思い、万々歳だったのだとか。

その後、中学生になった寺脇康文さんは本気で漫画家になろうと思いましたが、背景がうまく描けずに無理だと思ったそうです。

高校に進学するとドラマ『探偵物語』にハマり、根拠はなかったものの『俳優ならできるかも』と思いました。

なんとなく大学受験をした寺脇康文さんは不合格となってしまい、バイトと予備校に通う生活をしていましたが、数枚の1万円札が入ったバイトの給料を見て衝撃を受けたのです。

このままでいいのかと自問自答の末、寺脇康文さんは予備校を辞め俳優養成所を受験し、俳優としての道を歩み始めることになります。

寺脇康文の弟は医者?

寺脇康文さんには弟さんがいて、寺脇博之さんという名前です。

寺脇博之さんは、お兄さんの面影を感じますが、とても穏やかそうな方ですね。

寺脇博之さんは岐阜大学医学部を卒業後、様々な病院で経験を積み、現在は帝京大学ちば総合医療センター第三内科教授・腎センター長を務めています。

診察を受けた患者さんは、『とても親切で丁寧な説明をしてくれた』と話していました。

お兄さんの俳優としての活躍を喜んでいるそうで、寺脇家はとても温かい家庭なんだなと感じます。

寺脇康文の父親は美術商

寺脇康文さんのお父さんは、一般人のため名前など公表していません。

美術商という仕事だったお父さんは、とても豪快な人で美術品が売れるたびに散財していたそうです。

楽しいことが大好きで、とても明るい人だったと寺脇康文さんはお父さんについて話していました。

また、長男の寺脇康文さんに仕事を継いで欲しいと思っていたお父さんですが、俳優として活躍する息子の姿を見て大変喜んでいたそうです。

お父さんは2013年に81歳で亡くなっていますが、亡くなる直前に寺脇康文さんは電話で会話をしていました。

とても安らかな顔をしていたそうで、明るい人柄でたくさんの人から愛された方だったのではないでしょうか。

寺脇康文の母親は寿司職人

寺脇康文さんのお母さんは、一般人のため名前など公表していません。

なんと寿司職人だったお母さんですが、当時は寿司職人の世界は男社会だったはずです。

そんな世界に自ら飛び込み、寿司職人として立派に仕事をしていたお母さんは、大変革新的な方だったのでしょう。

寺脇康文さんはインタビューの中で、『寿司を握る母の姿はキリっとしてかっこよかった』と話していました。

かっこいい自慢のお母さんですね。

まとめ

寺脇康文さんの実家は美術商を営んでいて、おそらく裕福な家庭だったのではないでしょうか。

弟さんは患者さんから厚い信頼を寄せられる医師で、お兄さんの活躍をとても喜んでいるそうです。

寺脇康文さんのお父さんは息子の活躍を喜んでいて、とても家族思いで素敵な家庭だなと感じました。

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