樋口恵子さんは、評論家で「高齢社会をよくする女性の会」の理事長も務めています。
結婚歴は2回とのことですが、相手はどんな人だったのでしょうか。
今回は、樋口恵子さんの経歴や出身学校、結婚などについて調べてみました。
樋口恵子の夫は再婚で事実婚だった
樋口恵子さんの2番目の旦那さんは、ジャーナリストの新井直之さんです。
新井直之さんは、東京大学在学中に同大学新聞研究所の第1期研究生となり、1951年に共同通信入社、社会部、文化部を経て文化部次長、科学部長、編集委員、調査部長を歴任し、1978年に退社しました。
以降は創価大学文学部教授、東京女子大学現代文化学部教授に就任し、日本ジャーナリスト会議設立時には共同支部幹事を務め、1973年から1979年まで同会議副議長を務めました。
1996年に脳梗塞を発症し、1999年に亡くなっています。
事実婚を選んだ理由
樋口恵子さんと新井直之さんは、婚姻届を提出していない事実婚でした。
何故事実婚を選んだのか、その理由については明かされていないため不明です。
樋口恵子と夫の馴れ初め
樋口恵子さんと新井直之さんの馴れ初めは公表されていません。
評論家とジャーナリストということで、仕事がきっかけで出会ったのかもしれませんね。
樋口恵子の子供は娘が1人
樋口恵子さんには、最初の旦那さんとの間に一人娘がいます。
娘さんは一般人でメディアに出演したことはありませんが、医師だと噂されています。
樋口恵子さんとは娘さんとの関係について「毎日喧嘩ばかり」と明かしながらも、3分もすると娘さんから『梨、むこうか?』と普通の会話をしてくれるとのことで、仲は良いようですね。
樋口恵子の元夫はどんな人?
今朝からのNEWSで岡本行夫氏がコロナ感染で死去したと
— kimiyo (@ladykimiyo) May 7, 2020
ショック😂
昨日の「徹子の部屋」では評論家の樋口恵子氏がゲスト
もう88歳になられるのですね
私は子供の頃から日曜日になると必ず両親と一緒に政治経済の番組を見ていて
特に樋口さんのコメントは女性からの目線でのコメントが好きでした❤️ pic.twitter.com/sWSRKJHPMt
樋口恵子さんは、自身が企業に勤務していた時代に知り合った男性と25歳の時に最初の結婚をしました。
この時はまだ一般人だったということもあり、旦那さんの詳しい情報は公開されていません。
横浜の新興住宅地で娘さんと家族3人で生活していたものの、結婚して4年後に旦那さんが亡くなってしまいました。
当時専業主婦だった樋口恵子さんはこのことをきっかけに、働くようになったのだそうです。
樋口恵子の自宅
親子同居歴60年の評論家・樋口恵子さん88才|娘との同居はまるでシェアハウス…https://t.co/p7MG0JKRgR#生き方 pic.twitter.com/BPkq5G3EPH
— 介護ポストセブン (@kaigo_postseven) January 14, 2021
樋口恵子さんの自宅は、東京都内にあると思われます。
詳しい場所は公開されていないため、分かりませんでした。
樋口恵子さんが84歳の時、築45年の木造建築の自宅を建て替え、バリアフリーも意識した家になりました。
今は娘さんと愛猫たちと暮らしています。
樋口恵子のプロフィールや経歴
樋口恵子さんの指摘です。日本会議の関連団体が理想とするサザエさん一家ですが実は昔の伝統や常識からはほど遠い女系家族です。サザエはこの家の娘。約30年間の連載で夫マスオの実家が登場したのは4回だけです。家庭教育支援法案について考えます https://t.co/wguxlMebYw pic.twitter.com/vx7QjmGgpZ
— 小川一 (@pinpinkiri) May 5, 2017
名前:樋口恵子
生年月日:1932年5月4日
出身地:東京都
血液型:O型
身長:非公開
東京大学在学中に同大新聞研究所で特別研究生としてジャーナリズムを研究していた樋口恵子さんは、時事通信社、学習研究社、キヤノンで勤務していました。
1971年にフリーの評論家となり、1986年~2003年までは東京家政大学教授を務め、1989年度の日本女性放送者懇談会賞を受賞しました。
2003年には東京都知事選挙に出馬し、生活者ネットや社民党、みどりの会議からも支援を受けたものの、落選しています。
メディアの活動にも積極的で、『愛川欽也パックイン・ジャーナル』、『ウェークアップ!』などに出演していました。
2022年には『どっこい生きてる90歳 老~い、どん! 2』を出版し、話題を集めました。
樋口恵子の学歴
樋口恵子さんが通っていた学校について調べてみました。
樋口恵子の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
東京・目白の小学校に入学したそうですが、卒業証書は持っていません。
その理由については、「まだ印刷所にあったので、1945年3月10日の東京大空襲で焼けてしまったのです」と語っていました。
樋口恵子の出身中学
小学校卒業後は、都立第十高等女学校(現・豊島高等学校)の併設中学校に入学しました。
当時は戦時中だったため、警報サイレンが鳴ると校庭の片隅にある防空壕に駆け込む日々だったそうです。
また樋口恵子さんは1年生のときに初期の肺結核と診断され、1年半近く療養生活を送っていました。
樋口恵子の出身高校
中学校卒業後は、東京女子高等師範附属高等学校(現・お茶の水女子大学附属高等学校)に進学しました。
現在の偏差値は、78です。
高校時代は、創設されたばかりの新聞クラブの初代編集長になりました。
樋口恵子の出身大学
高校卒業後は、東京大学に進学しました。
樋口恵子さんは文学部美学美術史学科に在籍、現在の偏差値は67.5です。
大学では新聞研究所(現・社会情報研究所)本科で学び、柏葉会合唱団に所属していました。
また、全日本学生新聞連盟の活動にも参加していたそうです。
まとめ
2人の旦那さんとは死別という形で別れてしまっている樋口恵子さんですが、現在は娘さんと暮らしながら評論家としての活動を続けています。
これからも健康第一に、樋口恵子さんらしく活躍し続けてほしいですね。