俳優の村野武範さんは、過去にがんを患っていました。
現在の体調はどうなのか、がんは再発しないのか、気になります。
今回は、そんな村野武範さんの経歴や出身学校、病気について調べてみました。
村野武範のがんで余命宣告をされた
2015年、村野武範さんは「ステージ4の中咽頭がん」と診断されました。
きっかけはの居酒屋に家族で行ったときの帰り道、何気なく左首筋を触ったところ固い小豆大の突起物があり、「これは何だろう」と不安に思ったので翌日自宅近くにある総合病院を訪れたところ、「風邪でしょう」といわれたのです。
しかし村野武範さんは風邪の症状を感じなかったため、かかりつけ医師の診断を仰ぐため近所の内科クリニックを訪れたところ、「村野さん、これは大きい病院で精密検査を受けたほうがいいですよ」と聞かれ、大きな病院に足を運びました。
するとがんであることが判明し、医師からは「余命いくばくもない」と宣告されました。
当時、がんの原発は舌の付け根にあり、首筋の硬い突起物はそこから転移したリンパ節腫で、さらに舌の近辺にも3~4か所あったそうです。
村野武範のがんは治った?再発の可能性は?
村野武範さんは、がん発覚後に陽子線治療を受けました。
病気を知った奥さんがネットで色々調べ、「中咽頭がん ステージⅣからの生還」というワードを入れて検索したところ、この治療法にたどり着いたのだそうです。
余命宣告も受けていた村野武範さんでしたが、この方法で見事がんを克服し、今の所転移も再発もなく過ごしています。
村野武範のプロフィールや経歴
【ご登壇者プロフィール】
— 目黒シネマ (@megurocinema) October 17, 2022
村野武範さん
1969年、NHKのドラマ『走れ玩具』(文化庁芸術祭優秀賞受賞)の主演でデビュー。
1971年、映画『八月の濡れた砂』に出演し脚光を浴びる。
料理番組『くいしん坊!万才』には1988年から1990年の間七代目くいしん坊として出演、多方面で才能を発揮されています。 pic.twitter.com/Mux3wCKcZ6
名前:村野武範
生年月日:1945年4月19日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:176cm
所属事務所:アネモイエンタテインメント
1969年のドラマ『走れ玩具』の主演でデビューした村野武範さんは、1971年の映画『八月の濡れた砂』で話題を集めました。
1972年には学園ドラマ『飛び出せ!青春』に出演し、熱血教師役で人気を不動のものにしました。
以降はドラマや映画だけではなく、バラエティー番組や吹き替えなどマルチに活動しています。
『食いしん坊!万才』のレポーターも務めた
村野武範さんは、料理番組『くいしん坊!万才』の7代目レポーターを、1988年1月から1990年12月にわたって務めました。
現在は、松岡修造さんが11代目レポーターに就任しています。
村野武範の所属事務所
村野武範さんは、「アネモイエンタテインメント」に所属しています。
こちらの事務所には、高橋元太郎さん、原田大二郎さん、伊藤榮子さんらも在籍しています。
村野武範が経営する店
村野武範さんは、「ぐるめダイニングむらの」というお店を経営していました。
『くいしん坊!万才』で数多くの美味しいものを味わった経験を活かせるのではないかという友人のアドバイスから、その友人と共同で始めたお店でした。
しかし残念ながら現在は閉店しています。
村野武範の年収
村野武範さんの年収は公表されていません。
年齢のこともあり現在はテレビに出る機会が少ないものの、長く活躍している俳優の一人です。
そのため年収は1000万円ほどあるのではないかと思われます。
村野武範の学歴
村野武範さんが通っていた学校について調べてみました。
村野武範の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
子供の頃は、落語やモノマネで人を笑わせるのが得意だったそうです。
村野武範の出身中学
出身中学校も公表されていません。
中学時代は夏休みの毎日練習が嫌で卓球部を辞め、友達に誘われて演劇部に入りました。
村野武範の出身高校
中学校卒業後は、東京都立板橋高等学校に進学しました。
現在の偏差値は、45です。
高校時代は石原裕次郎さんに憧れて船員になる事を考えたものの、商船大学の受験科目に苦手の数学があったことから断念しました。
村野武範の出身大学
高校卒業後は、早稲田大学に進学しました。
村野武範さんは商学部に在籍、現在の偏差値は67.5~70です。
まとめ
余命宣告されるほどの命の危機を迎えていた村野武範さんでしたが、奥さんのおかげで今も生き続けることが出来ていると話していました。
これからも村野武範さんのペースで、俳優業を続けて行ってほしいですね。