歌手で俳優の福山雅治さんは、どんな場所で、どんな幼少期を過ごしていたのでしょうか。
そして芸能界きってのイケメン・福山雅治さんの両親や兄弟は、どんな人たちなのか気になりますね。
そこで今回は、福山雅治さんの学歴や実家、家族について調べてみたいと思います。
福山雅治の学歴
福山雅治さんの学歴を調べてみたいと思います。
どこの学校に通っていたのでしょうか。
福山雅治の出身小学校
福山雅治さんは、長崎県長崎市立稲佐小学校に通っていました。
福山雅治さんは野球少年で、空手も習っていたことからガキ大将だったそうです。
端正なイケメンのイメージなので意外に思う方も多いかもしれませんね。
福山雅治の出身中学
福山雅治さんは、長崎県長崎市立淵中学校に通っていました。
福山雅治さんは、中学時代ブラスバンド部でホルンを担当していました。
中学3年になると、真面目な生徒だった福山雅治さんが部長になり、部をまとめていたそうです。
福山雅治の出身高校
福山雅治さんは、長崎県立長崎工業高等学校情報技術科に通っていました。
福山雅治さんは母親に勧められたため、長崎工業高校に進学しましたが、内心は辞めたくて仕方がなかったそうです。
そして高校時代は『お菓子が食べられるから』という理由で、茶道部に入部しています。
福山雅治の出身大学
福山雅治さんは、大学などに進学せずに就職する道を選びました。
地元の電機メーカーに営業として就職するものの、わずか5ヶ月で退職してしまいました。
福山雅治の実家は長崎県?
福山雅治さんの実家は、長崎県長崎市曙町付近だと言われています。
長崎の有名観光地である稲佐山に近く、観光で訪れた人がタクシーに乗ると、運転手さんに福山雅治さんの実家付近を案内されることがあるのだとか。
福山雅治さんは長崎のスーパースターなので、ある程度は仕方がないのかもしれませんが、福山雅治さんにしてみたら実家が観光地になってしまうことは心配でしょうね。
数年前の母の日に、福山雅治さんはお母さんに実家のリフォームをプレゼントしていて、現在は新築同様になっているのだとか。
福山雅治の生い立ち
福山雅治さんは、1969年2月6日に4000グラムを超える大きさで元気に生まれました。
幼少期から目立つことが大好きだった福山雅治さんは、とてもやんちゃな少年で、友達の家の仏壇のお供え物を勝手に食べたり、父親のウイスキーを牛乳で割って飲むなどの破天荒な行動をしていたそうです。
ガキ大将だった福山雅治さんですが、弱い者いじめは絶対せずに、逆にいじめられた子のために仕返しをしていました。
とても真っすぐな少年だったことがわかりますね。
中学に入学した福山雅治さんは、ブラスバンド部に入部していて、かなりモテていた様です。
音楽室には『福山君大好き』『福山君命』などの落書きがたくさんあったのだとか。
ブラスバンド部の活動に力を入れる一方で、福山雅治さんは友達やお兄さんとバンドを結成しています。
この頃から音楽に対する思いが強くなっていったのかもしれませんね。
高校に入学すると、どうしても学校を辞めたかった福山雅治さんは『暴力行為をすれば退学になる』と思い、気に入らないクラスメイト相手に暴力をふるいます。
しかし、駆け付けた先生が内密に仲直りをさせてしまい、福山雅治さんは高校を辞めずに済んでいます。
高校時代もバンドを続けていた福山雅治さんは、『有名になりたい』という夢も抱いていましたが、高校を卒業後は母親を想って就職を選びました。
それにもかかわらず、福山雅治さんは5ヶ月で会社を退職して『俺はビッグになる!』と言って上京を決意。
バイクを売って得た20万円の資金を頼りに上京し、アルバイトをしながらオーディションを受ける生活を続け、19歳の時に見事アミューズに合格。
『俺はビッグになる!』という宣言通りに、スーパースターへの道を歩み始めるのです。
福山雅治の父親
福山雅治さんのお父さんは、福山アキラさんという名前です。
福山アキラさんは、『まるふく不動産』という会社を経営していましたが、あまり仕事はせずに雀荘に入り浸ってお酒を飲んでいたそうです。
そして福山アキラさんは、長崎原爆で被爆した過去を持っていました。
仕事をしないお父さんでも、福山雅治さんはお父さんのことを全く恨むことはなく、『やんちゃで、他の家のお父さんとちょっと違うところが好きだった』と話しています。
そんなやんちゃなお父さんですが、福山雅治さんが17歳の時に肺癌で亡くなりました。
福山雅治さんは17歳という若さでしたし、闘病に苦しむお父さんを見ているのは辛かったでしょうね。
今も草葉の陰から福山雅治さんの活躍を見守っているのではないでしょうか。
福山雅治の母親
福山雅治さんのお母さんは、福山勝子さんという名前で、2023年で78歳になるそうです。
お父さんがあまり働かなかったため、お母さんの勝子さんのパート収入が家計を支えていました。
洋裁の仕事をしていた勝子さんは、35年ほど前に福山雅治さんとお兄さんに手縫いでコートを作ってくれたそうです。
洋裁のプロだけあって素晴らしいクオリティーのコートなのではないでしょうか。
また、福山雅治さんは小学校時代に体育の授業をボイコットしたことがあるらしく、その時はお母さんにボコボコに殴られたのだそう。
勝子さんは、息子である福山雅治さんに対し深い愛を持ってるからこそ、厳しく育てていたのでしょう。
とても素敵なお母さんですね。
福山雅治の兄弟や姉妹
福山雅治さんにはお兄さんがいて、福山一明さんという名前です。
年齢は福山雅治さんの1歳年上で、職業は自衛官と言われています。
福山雅治さんが音楽を始めたのはお兄さんの影響で、学生時代は一緒にバンド活動をしていました。
数々の名曲を生み出す才能のきっかけは、お兄さんだったのかもしれません。
また、一明さんは結婚されていて、お子さんは3人いるそうです。
福山雅治さんのライブにお兄さん家族とお母さんで出向くこともあり、仲が良いことで知られています。
まとめ
福山雅治さんは、意外にもガキ大将だった過去を持っていましたが、弱い者いじめをしないまっすぐな少年でした。
お父さんは破天荒な方で、お母さんは厳しくも愛情深い方だったことがわかります。
素敵な家族の元で育った福山雅治さんだからこそ、人々の胸に響く歌詞を書けるのだろうと思いました。
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