「女優・波乃久里子さんの“家系”がとにかくすごい」と耳にしたことはありませんか?
実はお父さんは歌舞伎界の大御所、さらに弟は名優・中村勘三郎さん。加えて、実業界で活躍する妹までいるというから驚きです。
これだけでも十分すごいのに、親戚にも名の知れた人物が多く、一族の背景をたどるだけで歌舞伎や芸能史に触れるような気分になります。
そんな華麗なる一族の中で育った波乃久里子さんは、どんな家族に囲まれてきたのでしょうか?
本記事では、波乃さんの生い立ちや兄弟姉妹、親戚にあたる人物まで、家系図のように整理しながら詳しくご紹介していきます。
波乃久里子の家系図がすごい!
波乃久里子さんの家系には、そうそうたる名跡が並んでいます。
波乃さんのお父さんは、歌舞伎界の大御所として知られる十七代目中村勘三郎さん。
江戸時代から続く由緒ある中村家の長女として誕生しました。
そもそもこの中村家は、代々名優を輩出してきた家系。
たとえば、十七代目中村勘三郎さんの父親は三代目中村歌六さん、祖父にあたるのは初代中村歌六さんと、いずれも歌舞伎界で大きな足跡を残した人物です。
代々襲名されてきた名前には、舞台の歴史と重みが刻まれています。
また、波乃さんのお母さんも名門出身で、六代目尾上菊五郎さんの娘にあたります。
つまり、お母さん側の家系も歌舞伎界を代表する一族であり、六代目坂東彦三郎さんとは親戚関係にあることもわかっています。
さらに注目すべきは、次世代へと受け継がれる才能の系譜です。
波乃久里子さんの弟は、2000年代に圧倒的な人気を誇った十八代目中村勘三郎さん。
その息子たちである六代目中村勘九郎さんと二代目中村七之助さんは、波乃さんにとって甥にあたります。
テレビや舞台で目にする機会も多い2人は、それぞれ歌舞伎の枠を超えて映画やドラマでも存在感を放っており、今や日本の芸能界を支える顔のひとつとなっています。
こうして見ていくと、波乃久里子さんの一族は、父方・母方ともに歌舞伎界の中核に関わってきた名門ばかり。
家系図をたどればたどるほど、日本の伝統芸能史そのものと交差していくような感覚を覚えます。
まさに“芸の血筋”をそのまま受け継いだ家系といえるでしょう。
波乃さん自身が舞台女優として長年活躍しているのも、こうした背景に支えられているのかもしれません。
波乃久里子の生い立ち
女優・波乃久里子さん、思い出の着物を語る
— Emi Tanaka🐧 (@pingouin_sp) February 3, 2021
昨年、芸能生活70周年を迎えた波乃久里子さんが、愛蔵の着物を披露してくださいました。https://t.co/ELTWfJee2k
波乃久里子さんは、1945年12月1日に東京で誕生しました。
生まれたときから芸の道と深く関わる環境にあり、わずか4歳にして舞台の世界に足を踏み入れています。
初舞台となったのは1950年の『十七世中村勘三郎襲名披露初春大歌舞伎』。
その名の通り、お父さんである十七代目中村勘三郎さんが襲名する記念の公演でした。
この舞台には、波乃さんを出演させるための工夫が随所に施されていたようです。
当時は男の小姓が登場する演目が定番でしたが、波乃さんに合うように「女小姓」に設定が変えられたというエピソードも残されています。
また、波乃さんが役を得られるようにと、お父さんが自身の役柄を変えたり、作品選びにも細やかな配慮を重ねていたそうです。
こうした一つひとつの選択からは、娘に舞台の世界をしっかりと伝えていきたいという強い思いが感じられます。
幼い頃から舞台に立つ機会に恵まれていた波乃久里子さんですが、その後は歌舞伎ではなく女優としての道を本格的に歩んでいくことになります。
所属先に選んだのは、明治時代から続く伝統ある劇団「新派」。
歌舞伎とは異なるアプローチで人間ドラマを描くことに定評のあるこの劇団で、波乃さんはしなやかな表現力と品格ある立ち居振る舞いを武器に、着実に実績を積み重ねていきました。
新派の舞台に立ちながらも、波乃さんの背景には常に「中村家の娘」としての芸の精神が息づいています。
芸の世界で育ち、親から芸を学び、それを別の形で表現していく。
その姿は、古典と現代を橋渡しするような存在として、多くの観客の心を惹きつけてきました。
波乃さんの生い立ちは、単に名家に生まれたというだけでなく、芸の継承と挑戦が同時に息づく特別な軌跡と言えるでしょう。
波乃久里子の本名
波乃久里子さんは、1945年12月1日に東京で誕生しました。
生まれたときから芸の道と深く関わる環境にあり、わずか4歳にして舞台の世界に足を踏み入れています。
初舞台となったのは1950年の『十七世中村勘三郎襲名披露初春大歌舞伎』。
その名の通り、お父さんである十七代目中村勘三郎さんが襲名する記念の公演でした。
この舞台には、波乃さんを出演させるための工夫が随所に施されていたようです。
当時は男の小姓が登場する演目が定番でしたが、波乃さんに合うように「女小姓」に設定が変えられたというエピソードも残されています。
また、波乃さんが役を得られるようにと、お父さんが自身の役柄を変えたり、作品選びにも細やかな配慮を重ねていたそうです。
こうした一つひとつの選択からは、娘に舞台の世界をしっかりと伝えていきたいという強い思いが感じられます。
幼い頃から舞台に立つ機会に恵まれていた波乃久里子さんですが、その後は歌舞伎ではなく女優としての道を本格的に歩んでいくことになります。
所属先に選んだのは、明治時代から続く伝統ある劇団「新派」。歌舞伎とは異なるアプローチで人間ドラマを描くことに定評のあるこの劇団で、波乃さんはしなやかな表現力と品格ある立ち居振る舞いを武器に、着実に実績を積み重ねていきました。
新派の舞台に立ちながらも、波乃さんの背景には常に「中村家の娘」としての芸の精神が息づいています。
芸の世界で育ち、親から芸を学び、それを別の形で表現していく。
その姿は、古典と現代を橋渡しするような存在として、多くの観客の心を惹きつけてきました。
波乃さんの生い立ちは、単に名家に生まれたというだけでなく、芸の継承と挑戦が同時に息づく特別な軌跡と言えるでしょう。
波乃久里子の弟は十八代目中村勘三郎
型をしっかり覚えた後に、『型破り』になれる。
— みんなの名言集 (@meigen_minnano) September 3, 2015
十八代目 中村勘三郎(歌舞伎俳優) pic.twitter.com/gd03oLHwRc
波乃久里子さんの弟にあたるのが、名優として知られる十八代目中村勘三郎さんです。
1960年代から2000年代にかけて、歌舞伎界のみならず現代演劇やテレビの世界でも幅広く活躍し、多くの人々に強い印象を残しました。
初舞台は1959年。まだ小学生の年齢でありながら、歌舞伎座で上演された『昔噺桃太郎』に桃太郎役として登場し、このとき五代目中村勘九郎を襲名しました。
当時から才能の片鱗を見せ、舞台だけでなく映画やテレビ、ラジオにも出演するなど、子役として華々しいスタートを切っています。
特に大きな転機となったのが、2001年に歌舞伎座で上演された新作歌舞伎『野田版 研辰の討たれ』。
演出家・野田秀樹さんとのタッグで生まれたこの作品は、古典の枠を超えた大胆な演出で大きな注目を集め、観客からも批評家からも高い評価を受けました。
この舞台によって、作品は第1回朝日舞台芸術賞グランプリに選ばれ、勘三郎さん本人も舞台芸術賞を受賞しています。
伝統と革新の融合に挑みながら、歌舞伎の可能性を広げていく姿勢は、多くの人の心を動かしました。
そして2005年、長年務めてきた「中村勘九郎」の名を息子へ譲り、自身は十八代目中村勘三郎を襲名。この襲名披露公演は、まさに歌舞伎界の一大イベントとして話題となりました。
しかし、輝かしいキャリアの最中、2012年に急逝。訃報が伝えられたとき、多くのファンや関係者が深い悲しみに包まれました。
享年57歳という若さでの旅立ちはあまりに早く、今もその存在を惜しむ声が絶えません。
中村勘三郎さんの人生は、歌舞伎界の名門に生まれながらも、古典に甘んじることなく常に挑戦を重ねてきた道のりでした。
演劇に新風を吹き込み、多くの人に影響を与えたその姿勢は、今なお多くの舞台人に受け継がれています。
そして、波乃久里子さんにとっても弟という枠を超えた、かけがえのない存在だったに違いありません。
波乃久里子の妹は実業家の沢村千代枝
波乃久里子さんには、実業家として活躍している妹の沢村千代枝さんがいます。
かつては姉と同じように芸能活動をしていたこともあり、若い頃には女優として舞台やテレビに出演していた時期があったようです。
ただし現在は芸能界を離れ、家庭と仕事の両立を選ぶ道へと進まれました。
沢村千代枝さんは、その後ご家族の営む店を継ぎ、実業家として歩み始めています。
お母さんから受け継いだお店は、長く続く暖簾を守るだけでなく、新たなスタイルを加えて現代のニーズに合った形へと磨き上げていったようです。
女優という表現の場からは離れても、人をもてなすという点では共通する想いが根底にあるのかもしれません。
また、沢村千代枝さんのご主人は二代目澤村藤十郎さん。
歌舞伎の世界で名を馳せた名優であり、そのご縁もまた、波乃久里子さんの家系がいかに伝統芸能と深く結びついているかを物語っています。
夫婦ともに文化的な素養を持つ家庭環境で、日々の暮らしの中にも豊かな芸の香りが感じられそうです。
家族全体が芸能界や伝統芸能に関わっている波乃久里子さんの一族のなかで、沢村千代枝さんはその“外側”で支える存在として、しなやかなキャリアを築いてきた印象があります。
スポットライトの下に立つだけが人生ではなく、背景で家族や文化を守る役割にもまた、大きな意味があると感じさせてくれる存在です。
妹という立場でありながら、独自の道を歩んできた沢村千代枝さん。
その生き方は、波乃久里子さんの原点や支えの一部にもなっているのかもしれません。
父親は十七代目中村勘三郎
今日は十七代目 中村勘三郎さんのご命日です pic.twitter.com/q4M0EStNPJ
— 帰ってきたパンク (@Zp5KV5i7yUywtPY) April 15, 2023
波乃久里子さんのお父さんは、名跡「中村勘三郎」を復活させたことで知られる十七代目中村勘三郎さんです。
1909年に三代目中村歌六さんの三男として誕生し、幼い頃から歌舞伎の世界で育ちました。
7歳となる1916年には三代目中村米吉の名で初舞台を踏み、早くも芸の道に足を踏み入れています。
戦後の混乱期を経て、1950年にはそれまで長らく絶えていた「中村勘三郎」の名跡を自らの襲名によって復活させました。
この襲名は、歌舞伎界の中でも大きな意味を持つ出来事とされており、伝統の継承と再興という重責を背負った大舞台でもありました。
十七代目中村勘三郎として新たに名を刻むと同時に、芸の世界における存在感もさらに際立つこととなります。
舞台での活躍はもちろん、テレビドラマなど映像作品にも出演しており、中でも大河ドラマ『源義経』への出演歴があるなど、その活動は多岐にわたっていました。
歌舞伎俳優としての風格と実力を持ちつつも、一般の視聴者にも親しまれる存在として幅広い支持を集めていたことがうかがえます。
そんな十七代目中村勘三郎さんは、家庭の中でも厳しくも温かい父親だったようです。
娘である波乃久里子さんを自身の舞台に出演させる際には、役柄や演目そのものに工夫を凝らすなど、芸の道へ導くための配慮を惜しまず注いでいました。
自身の立場や演出を柔軟に変えてでも、娘に舞台経験を積ませようとするその姿勢には、父親としての愛情と芸に対する覚悟の両方がにじんでいます。
1988年に亡くなるまで、十七代目中村勘三郎さんは生涯を通じて芸道一筋を貫き、多くの後進や観客に強い影響を残しました。
その足跡は、今なお歌舞伎界の中で語り継がれています。
そして、波乃久里子さんをはじめ、家族の多くが芸の道を歩み続けていることからも、父の背中がいかに大きな存在だったかが伝わってきます。
波乃久里子の母親は波乃久枝
波乃久里子さんのお母さんは、波乃久枝さんです。
名門・尾上家に生まれた久枝さんは、六代目尾上菊五郎さんの娘にあたります。
つまり、波乃さんは父方・母方の両方に、歌舞伎界を代表する血筋を持つという、まさに芸の名家に生まれ育った方なのです。
そんな波乃久枝さんは、家庭内でもしっかりとした芯を持ち、娘に対しても非常に厳格な姿勢で接していたそうです。
舞台という非日常の空間に身を置く中でも、母として、そして芸の継承者を育てる一人としての責任を感じていたのかもしれません。
印象的なエピソードとして、ある日の舞台本番中、休憩時間に波乃久里子さんが舞台袖に戻ると、お母さんの久枝さんが涙を流していたことがあったそうです。
「今日はお客様がかわいそう」と、演技に対しての真剣な想いが溢れ出ていたのでしょう。
演者が自らの演技を省みることはあっても、家族からそこまで真っすぐに感想をぶつけられるというのは、並の家庭ではなかなか経験できることではありません。
それだけ、久枝さんは一観客としても、一指導者としても、娘の舞台に対して真摯に向き合っていたことがうかがえます。
その一方で、波乃久枝さんは、家族の芸に対して強い誇りと責任を持っていた人物でもあります。
娘の久里子さんだけでなく、息子の中村勘三郎さん、そして次の世代へと続く孫たちへも、芸の心を伝える存在として、家庭のなかで大きな役割を担ってきたのではないでしょうか。
波乃久枝さん自身は表舞台に立つ機会はなかったものの、家族を通じて芸の伝統を守り、支え続けたその存在感は計り知れません。
表には見えにくい“芸の土台”をつくる人として、そして、厳しさの裏にある深い愛情を持つ母として、波乃久里子さんの人生にも大きな影響を与えてきたようです。
まとめ
波乃久里子さんは、由緒ある歌舞伎の家系に生まれながらも、女優として独自の道を歩んできました。
お父さんの十七代目中村勘三郎さん、弟の十八代目中村勘三郎さんという大きな存在に囲まれながらも、ご自身もまた舞台や映像の世界で確かな存在感を示してきた方です。
妹の沢村千代枝さんも実業家としてしっかりとした道を築いており、それぞれが異なる形で「芸の家系」のあり方を体現しているように感じられます。
まさに一家を通じて、日本の芸能文化を多角的に支えてきた背景がうかがえますね。
こうした華やかな家系図を知ることで、波乃久里子さんが背負ってきた想いや歩んできた道にも、より深い理解と共感を持てたという方も多いのではないでしょうか。
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