TBSの多くのドラマにプロデューサーとして携わってきた石井ふく子さんですが、若い頃には女優活動をしていたこともありました。
そんな石井ふく子さんはこれまでどんな人生を歩んできたのでしょうか。
今回は、石井ふく子さんの経歴や出身学校などについて調べてみました。
石井ふく子の若い頃がすごい!
新東宝の女優時代の石井ふく子さん(左)、右はスクリプターの河辺美津子さん。
— 下村 健 (@Shimo_x2) September 3, 2018
石井さんはシネマヴェーラの新東宝特集の二週目に上映する『望みなきに非ず』にも女中役で出演しています。 pic.twitter.com/rMd2oSUr6n
石井ふく子さんは、1947年に新東宝のニューフェイスとして『大江戸の鬼』という時代劇で女優デビューしました。
その後も『かけ出し時代』、『三百六十五夜 東京篇・大阪篇』などに出演したものの、元々地味なことが好きで「女優のような派手なことは自分に向かない」と感じたため、デビューから3年で引退しています。
石井ふく子の学歴
石井ふく子さんが通っていた学校について調べてみました。
石井ふく子の出身小学校
石井ふく子さんは、台東区立黒門小学校出身です。
勉強は大嫌いだったそうで、3歳から踊りを習っていた石井ふく子さんは早くお稽古場に行くため、先生に嘘をついて教室を逃げ出したこともあったそうです。
石井ふく子の出身中学
小学校卒業後は、お茶の水の文化学院に進学しました。
こちらは2018年に学校法人了徳寺学園と統合し、平成29年度をもって文化学院を閉校しています。
石井ふく子さんは、与謝野晶子さんの教え子でした。
自由で開放的な校風だったこともあり、石井ふく子さんはのびのびと勉強していました。
しかし13歳の時に胸の病気にかかり、1年半の入院生活を送り学校も休んでいました。
石井ふく子の出身高校
入院生活ががあったことから、石井ふく子さんは周囲より2年遅れて女子経済専門学校附属高等女学校(現・新渡戸文化高等学校)に進学しました。
現在の偏差値は、49です。
当時は戦争が激しくなっていた頃だったため、学校に行っても勉強どころではなかったそうです。
石井ふく子の出身大学
石井ふく子さんは大学に進学していません。
高校卒業後、女優になりました。
石井ふく子の年収は?
石井ふく子さんの年収は公表されていません。
全盛期は億越えと噂されている石井ふく子さんですが、現在もプロデューサーとしてドラマ作品を手掛けたり、メディアに出演することがあるため、年収はあまり変わっていないのではないかと思われます。
石井ふく子のプロフィールや経歴
60年で「家族のような存在」に…95歳で亡くなった橋田壽賀子さんを“盟友”石井ふく子が偲ぶ 『徹子の部屋』 https://t.co/14EGn6q6xd #石井ふく子 #黒柳徹子 #徹子の部屋 pic.twitter.com/9qyapyER9r
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名前:石井ふく子
生年月日:1926年9月1日
出身地:東京都
血液型:A型
身長:非公開
女優引退後、石井ふく子さんは住宅メーカーの日本電建に就職し、銀座の本社宣伝部で働き始めました。
当時はテレビよりラジオ優位の時代だったことから、会社の宣伝のためラジオ番組のスポンサーになることを提案、これが通ってラジオ東京(後のTBS)に出入りするようになりました。
1955年のTBSのテレビ開局直後、「『東芝日曜劇場』のプロデューサーになってほしい」と声がかかり、日本電建社員兼TBSの嘱託社員となると、以後3年間は「平日は日本電建の仕事、土日はTBSの仕事」と休日返上で働いていたそうです。
その後TBSの上司から本格的に制作スタッフとしてドラマに携わるよう指示を受け、キュー出しから仕事を学び始め、いくつかの現場の仕事を経験した後の1958年にテレビドラマ『橋づくし』で初めて制作を手掛けました。
その後は多くのドラマに携わり、『肝っ玉かあさん』、『ありがとうシリーズ』、『渡る世間は鬼ばかり』はTBSの看板ドラマになりました。
1985年には「テレビ番組最多プロデュース」、2014年に87歳342日の「世界最高齢の現役テレビプロデューサー」、2015年に「舞台初演作演出本数183作品」とギネス認定を受けています。
2014年4月からは淑徳大学人文学部表現学科客員教授に就任しました。
石井ふく子と泉ピン子の関係がヤバい?
最後は『千の風になって』。橋田壽賀子さんへ盟友の泉ピン子さんと石井ふく子さんがコメント【全文】 https://t.co/Jo8B6AsSfx pic.twitter.com/uMoGPqoxsJ
— のらねこ (@kazu50094665) April 5, 2021
石井ふく子さんと泉ピン子さんは、プロデューサーと女優という関係です。
橋田壽賀子さんを通じで知り合ったものの、プライベートでは特に交流がありませんでした。
ただ石井ふく子さんは泉ピン子さんに不信感があり、橋田壽賀子さんが亡くなった際には泉ピン子さんが最期の様子や遺体の状況までマスコミに話したことから、ますますその思いが強くなってしまったのだそうです。
そして石井ふく子さんは自身がプロデューサーとして携わった『ひとりぼっち -人と人をつなぐ愛の物語-』というドラマに泉ピン子さんを起用しませんでした。
このことから「石井ふく子さんと泉ピン子さんの間には大きな溝があり、今後の修復は不可能」と言われています。
石井ふく子と橋田壽賀子の関係
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— 渡る世間は鬼ばかり 2019年9月16日放送 (@wataoni_tbs) September 5, 2019
石井ふく子さんと橋田壽賀子さんは、1964年の『日曜劇場 愛と死をみつめて』で組んだことから親しくなり、それ以降は橋田壽賀子さんの作品に大きく影響するほどの親交を深めていきました。
プライベートでは、橋田壽賀子さんと夫の岩崎嘉一さんの縁を繋いだのは石井ふく子さんだったそうで、60年近くにわたって何でも言い合える姉妹のような関係が続きました。
まとめ
女優活動は3年で辞めてしまった石井ふく子さんですが、プロデューサーに転身してからは様々な作品で話題を集め、今も現役で活躍しています。
これからも石井ふく子さんがどんな作品を創り出していくのか、注目していきたいですね。