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ジュディ・オングの国籍は台湾?若い頃や年齢・事務所や年収も調査

judy ongg_career 歌手
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歌手で女優のジュディ・オングさんと言えば、「魅せられて」のヒットで大きな話題を集めました。

そんなジュディ・オングさんはどんな人なのでしょうか。

今回は、ジュディ・オングさんの経歴や家族などについて調べてみました。

ジュディ・オングははハーフではない!国籍は?

ジュディ・オングさんは、台湾人の両親から誕生しました。

幼い頃に日本にやってきて、その後日本国籍を取得しています。

そのため現在の国籍は日本で、お母さんが台湾にいること、台湾での仕事も受けていることなどから日本と台湾を行き来する生活を送っているそうですよ。

ジュディ・オングの実家や生い立ち

台湾で「翁倩玉」という名で誕生したジュディ・オングさんは、2歳の時にお父さんの仕事の都合で日本での生活を始めました。

ずっと日本に家を持っていたもののお父さんが元気なうちに処分してしまったため、今はジュディ・オングさんには日本の実家はなく、台湾で暮らしているお母さんの家が実家になるようです。

ジュディ・オングさんは、小学校は東京中華学校に入学、学校で中国語の標準語である北京語を勉強しながら家庭教師について英語も勉強していました。

ここでその家庭教師に「Judy」という英語名をつけてもらったことで、芸能界での活動名も「ジュディ・オング」になったそうです。

家庭では両親の「母語を忘れないように」との教育方針から台湾語を使っていたため、ジュディ・オングさんは台湾語日本語、英語、中国語、スペイン語、広東語の6言語を話すことが出来ます。

ジュディ・オングの父親と母親・兄弟

ジュディ・オングさんのお父さんは、中国民党が設立した中国広播公司ラジオ局長・翁炳榮さんで、終戦後はGHQの心理作戦部チーフという役職で日本に赴任しました。

お母さんは一般人のようで、新型コロナウイルスの影響で3年ほど会いに行くことが出来なかったものの、3年ほど経って対面した時にはとても喜んでくれたと明かしていました。

またジュディ・オングさんにはお兄さんがおり、一般人で建築士をしているそうです。

ジュディ・オングの若い頃がキレイ!子役出身だった

ジュディ・オングさんの若い頃の姿はこちらです。

とても綺麗ですよね。

ジュディ・オングさんは9歳の時に劇団ひまわりに入団、1961年に日米合作映画『大津波』にて映画デビューを果たし、ドラマ『三太物語』や『明日の家族』などに出演していました。

ジュディ・オングのプロフィールや経歴

名前:ジュディ・オング
生年月日:1950年1月24日
出身地:台湾
血液型:A型
身長:153cm
所属事務所:株式会社ヒーモリ

子役から活動を始めたジュディ・オングさんは、1966年に歌手デビュー、『サイボーグ009』・『サイボーグ009怪獣戦争』の劇場用映画二作で003役(初代)として声の出演も果たしています。

1967年に「たそがれの赤い月」がスマッシュヒットし、「夕日の恋」、「悲しみの十字架」、「さようなら17才」、「初めての別れ」、「ひらがなふたつ」などもリリースしています。

『涙くんさよなら』、『青春ア・ゴーゴー』、『帰ってきた狼』、『新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅』、『江戸を斬るIV』など多くの作品にも出演しました。

1979年に「エーゲ海のテーマ~魅せられて」が200万枚超えの大ヒットとなり、見事『第21回日本レコード大賞』を受賞、『第30回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たしました。

この楽曲では扇状に広がる袖がついた優雅な衣装も話題になり、大ヒットをリアルタイムで知る世代の人達では「シーツで真似した」などと言う声も寄せられています。

さらに日本以外でも活動し、1980年には台湾の国民栄誉賞・海光奬彰を受賞しました。

ジュディ・オングの所属事務所

ジュディ・オングさんの事務所は、「株式会社ヒーモリ」です。

レーベルは、「ワーナーミュージック・ジャパン」です。

ジュディ・オングの年収

ジュディ・オングさんの年収は公表されていません。

全盛期ほどではないものの、今でも女優や歌手としての活動を続けています。

そのため年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

まとめ

子役から活動しているジュディ・オングさんの芸歴は、60年以上になります。

これからもジュディ・オングさんが芸能界で輝き続ける姿を応援していきたいですね。

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