シンガーソングライターの石崎ひゅーいさんは、個性的な名前は本名なのでしょうか。
そして年収はどのくらい稼いでいて、どこの学校に通っていたのかも気になりますね。
そこで今回は、石崎ひゅーいさんの本名、年収や学歴、実家や家族について調べていきたいと思います。
石崎ひゅーいの本名は?
『石崎ひゅーい』という名前は、なんと本名です。
日本中を探しても、同名の人は見つからないかもしれませんね。
『ひゅーい』という名前は、石崎ひゅーいさんのお母さんがアニメ『巨人の星』とイギリス人歌手のデヴィット・ボウイさんのファンだったことが由来になります。
石崎ひゅーいさんのお母さんは『巨人の星』の主人公の父親・星一徹のファンで、主人公は『飛雄馬(ひゅうま)』という名前でした。
そして歌手のデヴィット・ボウイさんは、息子の名前が『ゾーイ』。
『飛雄馬(ひゅうま)』と『ゾーイ』を合わせて『ひゅーい』という名前にしたそうです。
とても個性的な名前の付け方ですし、石崎ひゅーいさんの母親の熱い情熱を感じました。
石崎ひゅーいのプロフィールや経歴
名前:石崎ひゅーい
生年月日:1984年3月7日 39歳
血液型:A型
身長:非公表
出身地:茨城県
石崎ひゅーいさんは、大学生の時に『astrcoast』というバンドを結成しました。
『astrcoast』が人気を集めたことで、石崎ひゅーいさんは音楽プロデューサーの須藤晃さんと出会います。
須藤晃さんは石崎ひゅーいさんに『ひゅーいくんの書く歌詞は個人的なものだからソロで歌ったほうがいいよ』というアドバイスを受けました。
そこで石崎ひゅーいさんは可能性に賭け、バンドを解散してソロアーティストに。
2012年7月にミニアルバム『第三惑星交響曲』でメジャーデビューを果たしました。
『歌詞がグッと心に響く』という声が多く、徐々に人気者になっていた石崎ひゅーいさんは、2015年6月にロックオペラ『彼女の起源』で俳優デビューを飾ります。
俳優としても仕事が増え、2019年ドラマ『左利きのエレン』にレギュラー出演。
2020年公開の映画『糸』にも出演するなど、話題作への出演も増えています。
また、石崎ひゅーいさんは映画『糸』で主演した俳優の菅田将暉さんに『さよならエレジー』の楽曲提供を行い、楽曲は大ヒットしました。
歌手・俳優としての評価が高い石崎ひゅーいさんなので、今後の活躍に大いに楽しみな方のひとりですね。
石崎ひゅーいの所属事務所
石崎ひゅーいさんは、ソニー・ミュージックエンタテインメントに所属しています。
ソニーグループの音楽系事業を運営している事務所で、様々なアーティストが所属していることで有名です。
所属アーティストには、音楽ユニットYOASOBIさんがいます。
石崎ひゅーいの年収
石崎ひゅーいさんは、ミュージシャンとしての活動や俳優活動で収入を得ています。
実力は認められていますが、誰もが知っているアーティストとは言い難く、トップミュージシャンの様に億を稼ぐ領域には達していないのではないでしょうか。
そのため、年収は800万円~1000万円ほどなのではと言われています。
石崎ひゅーいの学歴
石崎ひゅーいさんの学歴を調べていきたいと思います。
どこの学校に通っていたのでしょうか。
石崎ひゅーいの出身小学校
石崎ひゅーいさんは、出身小学校を公表していません。
おそらく、出身地の茨城県水戸市の公立小学校出身と思われますが、校名は不明です。
石崎ひゅーいさんは、小学校時代からデヴィット・ボウイやビートルズなどの音楽に触れて育ちました。
石崎ひゅーいの出身中学
石崎ひゅーいさんは、出身中学校を公表していません。
小学校同様、水戸市内の公立中学校に通っていたと思われますが、校名は不明です。
中学時代に母親の勧めで児童劇団に所属し、演技の勉強をしていました。
石崎ひゅーいの出身高校
石崎ひゅーいさんは、茨城県の私立水城高等学校に通っていました。
水城高等学校は、茨城県有数のマンモス校として知られ、部活動が盛んな学校です。
石崎ひゅーいさんは、高校時代にバンドを結成して音楽活動に力を入れていました。
石崎ひゅーいの出身大学
石崎ひゅーいさんは、和光大学に通っていました。
石崎ひゅーいさんがどの学部に通っていたのかは不明です。
バンド『astrcoast』を結成し、本格的な音楽活動を始めた石崎ひゅーいさん。
大学卒業後、就職せずに音楽の道に進むことになります。
石崎ひゅーいの実家や生い立ち
石崎ひゅーいさんの実家は茨城県水戸市にあり、現在も家族は水戸に住んでいるのではないでしょうか。
茨城県水戸市は大きな街なので、石崎ひゅーいさんの独自の感性が形成されたのかもしれません。
1984年3月7日に生まれた石崎ひゅーいさんは、母親の影響で音楽に深く関わりながら育ちました。
小学校時代から母親とアンダーグラウンドな舞台を鑑賞していた石崎ひゅーいさんは、この時の経験が後の音楽活動や俳優活動にいい影響を与えています。
中学時代は、ダンス&ボーカルグループ『SPEED』の大ファンでファンクラブにも入っていました。
文化祭でコピーバンドを組み演奏したところ、女子からモテたので所属していた児童劇団を辞めてバンド活動を始めることに。
この時結成したバンドは高校に進学しても続け、水戸市のライブハウス『水戸ライトハウス』でライブも行い、『高校時代は音楽漬けだった』と明かしています。
このように青春時代は音楽で彩られていた石崎ひゅーいさん。
この時はすでに音楽の道に進む将来像がうっすら見えていたのかもしれません。
石崎ひゅーいの父親
石崎ひゅーいさんのお父さんは、一般人のため名前などの情報は公表されていません。
息子の音楽への情熱を否定することなく、見守っていた素敵なお父さんなのではないでしょうか。
アーティストや俳優として知名度を上げている石崎ひゅーいさんの活躍を喜んでいるかもしれませんね。
石崎ひゅーいの母親
石崎ひゅーいさんのお母さんは、一般人のため名前などの情報は公表されていません。
石崎ひゅーいさんは自身をマザコンと認め、『地球で一番尊敬し、一番影響を受けた人』とお母さんについて語っています。
また、石崎ひゅーいさんの楽曲はお母さんに捧げる曲が多く、芸術的な感性を育ててくれたお母さんへの深い感謝を感じます。
しかし、石崎ひゅーいさんのお母さんは、2008年に亡くなりました。
天国で息子の活躍を喜んでいるのではないでしょうか。
石崎ひゅーいの兄弟や姉妹
石崎ひゅーいさんには、お姉さんと弟がいます。
お姉さんは『きらら』さん、弟は『なっしゅ』さんという名前で、3人とも個性的で忘れない名前ですね。
姉弟仲は非常に良いようで、石崎ひゅーいさんはお姉さんが結婚した時に『ねえちゃん』という曲を作っています。
石崎ひゅーいさんは、ツイッターに『弟と会って一緒に歌った』とつぶやいていて、一緒に歌える兄弟なんて素晴らしいと思いました。
まとめ
石崎ひゅーいさんは本名で、お母さんの影響を深く受け、アーティスト活動をしていました。
幼いころから音楽や演劇に触れたことで、素晴らしい感性を磨いてきたこともわかりましたね。
石崎ひゅーいさんが芸能界で活躍することは、亡くなったお母さんへの最高の供養にもなるのではないでしょうか。