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泉ピン子の若い頃や学歴は?本名や実家・父親と母親兄弟についても

izumipinko_career 女優

ドラマやバラエティー番組など多方面で活躍している泉ピン子さんですが、若い頃はどんな姿だったのでしょうか。

どこの高校や大学に通っていたのでしょうか。

今回は、泉ピン子さんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。

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泉ピン子の若い頃がきれい?

泉ピン子さんの若い頃の姿はこちらです。

とても綺麗ですね。

ネット上では「面影がある」という声も寄せられていました。

泉ピン子の学歴

泉ピン子さんが通っていた学校について調べてみました。

泉ピン子の出身小学校

泉ピン子さんは、品川区立第二日野小学校(現・品川区立日野学園)出身です。

こちらの学校は、2003年に小中一貫特区として認定され、2016年度から品川区立日野学園に新設されました。

小学生の頃はものまねが得意で、学校でも披露していたそうです。

泉ピン子の出身中学

小学校卒業後は、品川区立日野中学校(現・品川区立日野学園)に進学しました。

勉強はあまり得意ではなく、成績は「1」や「2」ばかりでした。

泉ピン子の出身高校

中学校卒業後は、日本音楽高等学校に進学しました。

現在の偏差値は43です。

お母さんが泉ピン子さんが高校に通うことをあまりよく思っておらず、授業料も「無駄使い」と言われていたそうです。

それが嫌になり、泉ピン子さんは学校を中退しました。

泉ピン子の出身大学

泉ピン子さんは高校中退後、学校には通っていません。

大学や専門学校に通うことなく芸能界に入りました。

泉ピン子のプロフィールや経歴

名前:泉ピン子
生年月日:1947年9月11日
出身地:東京都
血液型:B型
身長:154cm
所属事務所:pi企画株式会社

1966年に牧伸二さんに師事し「三門マリ子 (みかど まりこ)」の芸名で歌謡漫談家としてデビューした泉ピン子さんは、下積み時代を経て、1975年に『テレビ三面記事 ウィークエンダー』の番組リポーターに抜擢されました。

初めてのレポートは豚の性行為で、以後もゲイバー、ストリップなどレポート内容が下ネタ中心になっていた時もあったことから、新日本婦人の会が選ぶ「ワーストタレント1位」に選ばれたことももあったそうです。

その後『神戸国際ギャング』に出演し女優業に進出、1980年に『手ごろな女でドラマ初主演を果たし、歌手としても1977年に「哀恋蝶」が発売、10.9万枚のヒットを記録しています。

1983年のNHK連続テレビ小説『おしん』の母親役で話題を集めると、1990年には『渡る世間は鬼ばかり』が放送開始され、約30年シリーズ放送されました。

泉ピン子の本名

泉ピン子さんの現在の本名は、「武本小夜 (たけもと さよ)」さんです。

旧姓は「江口」でした。

お父さんが命名した名前ですが、実は「いざよ」と読ませる名前にしたかったものの、区役所に受け付けてもらえず断念した経緯があるそうです。

芸名もお父さんの「芸人にはピンからキリまであるのだから、志しの一番なピンの芸人になれ」という言葉からきています。

泉ピン子の所属事務所

泉ピン子さんの現在の事務所は、「pi企画株式会社」です。

こちらは泉ピン子さんの個人事務所で、以前は「佐藤事務所」→「白旗事務所」→「ケィ・サイド」→「株式会社オフィスアイリス」に在籍していました。

泉ピン子の年収

泉ピン子さんの年収は公表されていません。

主演作がヒットし国民的女優になった泉ピン子さんなので、出演作が少なくなった今でも年収は数千万円以上になるのではないかと思われます。

泉ピン子の実家や生い立ち

1947年9月11日に誕生した泉ピン子さんは、東京都中央区日本橋生まれです。

中学生の時にラジオから流れる歌謡曲に夢中になったことがきっかけで「のど自慢荒らし」と呼ばれるようになり、『歌まね読本』でチャンピオンに輝きました。

両親が「これだけ歌が好きなら、芸能界に進ませよう」と歌のレッスンに行き、中学3年生のときには浅草の松竹映画館のアトラクションで歌ったり、歌手の人の前座を務めたりもしていたそうです。

しかし泉ピン子さん自身は「自分に歌の才能がない」ということに気づいており、レコーディングの直前で逃げてしまったのでした。

その後は芸能界を目指してはいなかったものの、高校中退後にお母さんのお店で働いていた時にスカウトされ、芸能界に入ることになりました。

泉ピン子の父親

泉ピン子さんのお父さんは、浪曲師の廣澤龍造(江口鉱三郎)さんです。

泉ピン子さんが幼い頃に肺病になってしまったため、以降は浪曲の台本作家をしていました。

いつもどてらを着て、火鉢の横で本を書いていたそうですよ。

泉ピン子の母親

泉ピン子さんには、2人のお母さんがいます。

実母は、泉ピン子さんが2歳の時に亡くなってしまいました。

そしてすぐにお父さんが継母と再婚したため、泉ピン子さんは小学4年生の頃まで継母を実母だと思っていたそうです。

継母は浪曲師の三門お染さんと言い、従兄弟の河上五郎さんは宝塚歌劇団の有名な振付師でした。

泉ピン子の兄弟や姉妹

泉ピン子さんは、一人っ子です。

兄弟がいなかったこともあり、お父さんには溺愛されていたそうです。

まとめ

芸能界に入ってからすぐにブレイクはしなかったものの、女優という道が泉ピン子さんの人生を大きく変えました。

これからもそんな泉ピン子さんの活躍に注目していきたいと思います。

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