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生島ヒロシの年収がすごい?事務所経営で借金10億?出身高校や大学は?

ikushimahiroshi_career アナウンサー
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テレビやラジオで活躍しているフリーアナウンサーの生島ヒロシさんは、どんな人なのでしょうか。

過去には借金が10億円もあったそうですが、現在の年収はいくらなのでしょうか。

今回は、生島ヒロシさんの経歴や出身学校、年収などについて調べてみました。

生島ヒロシの年収がすごい?

生島ヒロシさんの現在の年収は公表されていません。

TBSのアナウンサー時代は1200万円あり、フリーに転身してからは1年ごとに1億2千万円→2億4千万円→3億6千万円と増えていったことを明かしています。

しかし今は経費を削減するなど芸能界、テレビ界でも金銭的に厳しい状態が続いています。

そのため生島ヒロシさんの年収も右肩上がりのままというわけではなさそうですが、活動は続けているためTBS時代以上の年収はあると思います。

芸能プロダクション生島企画室の会長でもある

生島ヒロシさんは1989年3月末にTBSを退社し、翌日「株式会社生島企画室」を設立しました。

現在は会長を務めています。

フリー転身後は大手芸能事務所に入るアナウンサーが多いものの、生島ヒロシさんは「とにかく一人で何もかも、自分の好きなようにこなしたい」という思いがあったのだそうです。

今は生島ヒロシさんの息子さんを含め、100人以上のフリーアナウンサーやタレント、俳優が所属しています。

生島ヒロシは10億円の借金があった

生島ヒロシさんは、過去に借金10億円を抱えていました

フリーに転身し億越えの稼ぎになったことで自分たちの家を建て、金融商品やマンションなども購入していました。

当時はバブル期だったこともあり、生島ヒロシさんは「絶対返せる。毎年3億だ、4億だ稼げるんだから」と自信満々だったそうです。

しかし5~6年後にバブルがはじけ、残ったのは多額の借金でした。

10億もの借金は現在完済していますが、その手助けをしたのが生島企画室に所属している優木まおみさんのブレイクだったそうで、生島ヒロシさんは「それまでは自分の収入を中心に回していたけど、自分の収入以外が増えてきたので助かった」と語っています。

生島ヒロシのプロフィールや経歴

名前:生島ヒロシ
生年月日:1950年12月24日
出身地:宮城県
血液型:A型
身長:168cm
所属事務所:生島企画室

1976年4月にTBSのアナウンサーとして入社した生島ヒロシさんは、入社3年目にTBSラジオの夜ワイド『生島ヒロシの夜はともだちII(セカンド)』を担当したことで人気を獲得しました。

その後はテレビにも進出し『そこが知りたい』内のコーナー「各駅停車路線バスの旅」、『アッコにおまかせ!』などに出演していました。

TBSを退社してからは『クイズタイムショック』、『ミュージックステーション』などの司会に抜擢され、現在は『生島ヒロシのおはよう定食』、『生島ヒロシのおはよう一直線』のパーソナリティーを務めています。

生島ヒロシがTBSを退社した理由

生島ヒロシさんは、TBSの最終面接で「僕はTBSの生島ヒロシでは終わりたくありませんので、いずれ独立します」と宣言するなど、初めから独立することは考えていました。

アナウンサーとして数々の番組を担当する中で周りの局からも注目されるようになった頃、あるフジテレビの関係者から「こういうのだったら独立する?」という話が舞い込んできたそうです。

そして「午前10時の番組を用意するから来てくれ」という言葉に、生島ヒロシさんはTBSを離れ、独立することを決めたのでした。

生島ヒロシの学歴

生島ヒロシさんが通っていた学校について調べてみました。

生島ヒロシの出身小学校

出身小学校は公表されていません。

小学生の頃は、野球に打ち込んでいたそうです。

生島ヒロシの出身中学

出身中学校も公表されていません。

ネット上では「気仙沼市立松岩中学校ではないか」と噂されていました。

中学時代は、陸上部に所属していました。

生島ヒロシの出身高校

中学校卒業後は、宮城県気仙沼高等学校に進学しました。

偏差値は、53です。

高校では、空手部に所属していました。

生島ヒロシの出身大学

高校卒業後は、法政大学に進学しました。

生島ヒロシさんは経営学部に在籍、偏差値は58です。

しかし1971年の大学紛争を機に大学を中退、単身渡米しました。

そしてカリフォルニア州立大学ロングビーチ校に進学しています。

生島ヒロシさんは、1975年にこの学校のジャーナリズム科を卒業しました。

まとめ

TBS時代から1000万円越えの年収があった生島ヒロシさんは、フリー転身後も億越えの稼ぎがありました。

しかしバブル崩壊により多額の借金を抱えるなど、決して順風満帆な日々だけではありませんでした。

これからも色んな事が起こるかもしれませんが、生島ヒロシさんらしく乗り越え活動を続けていってほしいと思います。

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