佐藤B作さんといえば、ドラマや映画、舞台まで幅広く活躍し続けてきた名優です。
実は若い頃の写真を見ると、今のユーモラスな印象とは少し違う、爽やかなイケメンぶりに驚かされる人も多いでしょう。
独特な芸名「B作」に込められた背景には意外なエピソードがあり、本名との関わりを知るとさらに親近感がわいてきます。
年齢を重ねた今も第一線で活動を続け、長いキャリアを支えてきた事務所との関係や、気になる年収についても気になるところです。
俳優としての歩みをたどると、舞台裏の努力や人柄が見えてきて、作品の見方も変わってくるかもしれません。
佐藤B作の若い頃がイケメンだった!
佐藤B作さんの若い頃の写真を見ると、今の親しみやすいキャラクターからは少し意外なほど整った顔立ちをされています。
SNSでも「俳優の鎮座DOPENESSさんに雰囲気が似ている」と話題にされることがあり、当時の写真を見た人が驚くのも無理はありません。
NHKの朝ドラ『はね駒』(1986年放送)に出演していた頃の佐藤B作さんは、凛々しい表情と自然体の演技が相まって、役柄をより一層引き立てていました。
舞台俳優としても活動していたため、若い頃から鍛えられた表現力や立ち居振る舞いが映像作品にもよく表れています。
若い頃の佐藤B作が鎮座DOPENESSみたい。 pic.twitter.com/Ftx2MdgNjm
— キクチマサエ (@hahahanuke) August 17, 2022
#今朝の勘太郎
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) June 13, 2020
やや子を隠密でおみつに会わせるために。飯が食い足りないとか、如何にも取って付けたような虚言を吐きつつ。母からやや子の奪取に何とか成功した勘太郎。
演者は佐藤B作さん。#下の家・吉川 #下の家B作 #吉川B作
画像:NHK『はね駒』第72回 pic.twitter.com/tkV2ayseYa
また、当時の佐藤B作さんは女性からの人気も高く、爽やかな笑顔と優しげな雰囲気に惹かれる人が多かったそうです。
いわゆる”二枚目”としての魅力だけでなく、ユーモラスな役もこなせる柔軟さが、長く愛される俳優へとつながっていったのだと感じます。
ちなみに、学生時代から演劇活動に取り組んでいた佐藤B作さんは、早稲田大学演劇研究会を経て劇団「東京ヴォードヴィルショー」を旗揚げし、舞台経験を積み重ねてきました(東京ヴォードヴィルショー公式サイトより)。
この背景を知ると、若い頃から真剣に芝居に打ち込んでいたことがうかがえます。
こうした経歴や当時のエピソードを踏まえると、「イケメン俳優」としての魅力だけでなく、地道に積み重ねた演劇の下地があったからこそ、現在も第一線で活躍できているのだと納得できるでしょう。
佐藤B作の本名や芸名の由来
佐藤B作さんの本名は「佐藤俊夫(さとう としお)」さんです。
お父さんが名付け親で、「砂糖と塩(さとうとしお)」にかけたユーモラスな発想から生まれた名前だといわれています。
こうしたエピソードを知ると、佐藤B作さんの温かみある人柄や、舞台で見せるユーモアのルーツが少し垣間見えるようで興味深いですね。
一方で、芸名の「B作」は少しユニークな由来があります。
ノーベル平和賞を受賞し、総理大臣も務めた佐藤栄作さんにちなんで、もし自分が「栄作(A作)」だったら…という発想から、あえて「B作」と名乗ったそうです。
当時から風刺や洒落っ気を大切にしていたことがうかがえます。
ちなみに、劇団「東京ヴォードヴィルショー」の旗揚げメンバーとして活動を始めた頃から、この芸名で広く知られるようになりました。
舞台やテレビの仕事を通して”佐藤B作”という名前は次第に定着し、今では本名よりも芸名で覚えられる存在になっています。
芸名の由来そのものが話題性を持っていたため、インタビューやメディアでもたびたび紹介され、名前のユーモアと人懐っこいキャラクターが重なって強い印象を残しているのです。
このように、名前の背景を知ると佐藤B作さんのキャリアがより身近に感じられますし、彼が持つ独特の存在感の裏には、幼少期から培われた遊び心が息づいていると考えられます。
佐藤B作のプロフィールや経歴
佐藤B作さんは福島県・飯坂温泉の出身で、実家は八百屋を営んでいたそうです。
高校は福島県立福島高等学校を卒業後、早稲田大学商学部に進学しましたが、演劇への興味が強まり中退。
大学在学中、「劇団木霊」という演劇サークルに所属し、演技の世界へと歩を進めたと伝えられています。
中退後は薄田研二さん主宰の演技研究所で修練を重ね、数多くの劇団にオーディションを受けながら舞台俳優としての道を模索しました。
しかし、福島なまりが抜けずに苦戦した時期もあったようです。
本日は、佐藤B作 さんの誕生日。おめでとうございます。お姿を拝んだのは一度。#三谷幸喜 さん 作・演出「ショウ・マスト・ゴー・オン ~ 幕をおろすな」。ますますのご活躍を、願っております。#佐藤B作 pic.twitter.com/oyri3VAKhl
— takuya live 1200 play 500 (@1000_takuya) February 13, 2022
名前:佐藤B作
生年月日:1949年2月13日
出身地:福島県
血液型:AB型
身長:163cm
所属事務所:UAM株式会社
その後、「自由劇場」の裏方として音響や演出補助などで舞台裏に携わりつつ演劇の現場を学び、1973年には自身が主宰する劇団「東京ヴォードヴィルショー」を旗揚げします。
2023年にこの劇団は創立50周年を迎え、B作さんは創立以来ずっと座長を務めています。(uam inc.)
テレビ・舞台での出演面でも活躍が目立ちます。
萩本欽一さんの番組『週刊欽曜日』で注目を浴びた後、大河ドラマ『新選組!』『鎌倉殿の13人』、人気ドラマ『渡る世間は鬼ばかり』『こちら本池上署』など、幅広いジャンルの作品に出演。
若手時代には三木まうす(現・佐渡稔)さんと漫才コンビも組み、「佐藤B作とジミーハーディー」というバンドを組んで多才ぶりを見せていた時期もあります。
地元・福島県との縁も深く、2010年には「しゃくなげ大使」、2017年には「福島市もりりん大使」に就任し、観光振興や文化発信にも寄与。
さらに2023年2月、所属事務所を「UAM株式会社(United Artists & Managers)」へ移籍したことが劇団公式から発表されています。(vaudeville-show.com)
最近では、2025年5月には舞台『陽気な幽霊』に出演し、その演技力が健在であることを示しました。
また、10月には明治座で上演予定の『また本日も休診 ~山医者のうた~』にも出演予定との報もあります。
なお、2025年3月には過去に受けた胃がん手術後、食道がんも発覚していたことが報じられており、体調面にも注目が集まっています。(メディカルドック)
こうした経歴と最新の動きを見ると、単なる俳優ではなく、舞台の旗手・地域文化の担い手・表現者としても活動を続ける多面的な人物像が浮かび上がります。
今後も、出演作や舞台活動を通して新たな一面が見えてくるかもしれません。
佐藤B作の所属事務所
佐藤B作さんは、2023年2月から芸能マネジメント会社「UAM株式会社(United Artists & Managers)」に所属しています。
UAMは俳優やタレント、クリエイターのマネジメントを行う新興事務所で、近年はベテランから若手まで幅広い人材が所属しており、業界でも注目を集めています。
公式サイトでも「幅広いジャンルで活躍するアーティストを支援する」という方針が示されており、佐藤B作さんのように長年第一線で活動してきた俳優にとっても、新しい挑戦や活動の場を広げやすい環境だと考えられます。
一方で、佐藤B作さんと切っても切れないのが、自身が主宰している「劇団東京ヴォードヴィルショー」です。
1973年の旗揚げから50年以上にわたり座長を務めており、舞台の創作活動と劇団運営の両方で中心的な役割を担ってきました。
実際に劇団の公式ページでも「佐藤B作さんは旗揚げ以来の座長」と明記されており、今も看板俳優として存在感を発揮しています。
舞台を土台に活動を続けながら、テレビドラマや映画へと活動を広げてきたのは、この劇団を軸に据えていたからこそと言えるでしょう。
ちなみに、事務所の移籍に伴って公式プロフィールの更新や舞台出演情報の発信がスムーズになり、近年では最新公演やイベントの告知が早く出るようになったと感じる人もいるようです。
地元・福島での地域活動や大使就任といったライフワークも含め、UAMでの活動は今後の露出や企画面でプラスに働く可能性が高いでしょう。
こうした流れを見ると、佐藤B作さんは「劇団主宰」という拠点を守りつつ、事務所のサポートを得て活動の幅をさらに広げている段階にあると考えられます。
佐藤B作の年収
佐藤B作さんの具体的な年収は公表されていません。
ただ、これまでの長い芸能活動を振り返ると、複数の収入源があることがわかります。
まず大きいのは、俳優としてのテレビドラマや映画出演料です。
『渡る世間は鬼ばかり』や大河ドラマなどの長期出演作に加え、近年も舞台や連続ドラマに出演しており、コンスタントに仕事がある状況です。
主演でなくとも名バイプレイヤーとして起用される機会が多いため、安定した収入基盤を築いていると考えられます。
さらに、1973年に旗揚げした「劇団東京ヴォードヴィルショー」の主宰者としての収益も見逃せません。
劇団の公演や関連イベント、劇団員の活動サポートなどからの収入が継続的に入っているとみられます。
実際に劇団は2023年に創立50周年を迎え、記念公演なども行われており、長年にわたる運営が安定した活動基盤につながっています。
また、地域活動として福島県の「しゃくなげ大使」や「福島市もりりん大使」を務めており、こうした公的な役職からの謝礼や出演関連の収入も一部あると考えられます。
最近では2025年5月に舞台『陽気な幽霊』へ出演、さらに同年10月には明治座公演『また本日も休診』にも名を連ねており、現役での舞台出演料も健在です。
こうした複数の活動を総合すると、年収は数千万円規模に達している可能性が高いとみられます。
もちろん具体的な金額は非公開ですが、長年にわたって舞台・映像・地域活動のすべてで第一線を走り続けていることから、安定した収入を維持していると考えてよいでしょう。
まとめ
佐藤B作さんについて振り返ると、若い頃から舞台と映像の両方で活躍し、独特の芸名の由来や劇団の旗揚げといった背景まで、多彩な経歴が見えてきます。
ユーモラスで人懐っこい一面を持ちながらも、長年にわたり第一線に立ち続けてきた姿は、多くの人に愛されてきた理由を物語っているようです。
最近では所属事務所を移籍し、新たな舞台にも挑戦するなど、年齢を重ねてもなお進化を続けています。
地域活動や大使としての役割も担い、俳優業にとどまらない幅広い貢献をしている点も印象的です。
これからの出演情報や活動の広がりを追いかけることで、佐藤B作さんの新しい魅力に出会えるはずですし、関連するドラマや舞台の情報とあわせてチェックしていくとより楽しめるでしょう。
