漫才コンビ「やすしきよし」として活躍し、「小さなことからコツコツと」をスローガンに政治家としても活動していた漫才師・西川きよしさんはどんな人なのでしょうか。
どこの学校に通っていたのか、どんな家庭で育ったのか、気になりますね。
そこで今回は、西川きよしさんの経歴や出身学校、家族などについて調べてみました。
西川きよしの年収がすごい!
西川きよしさんの現在の年収は公表されていません。
漫才コンビ「やすしきよし」として活動していた頃は漫才ブームを引っ張っていた存在で、多くのテレビ番組に出演していました。
そのため当時の最高年収は4億円だったと明かしています。
しかし国会議員になったことで収入が激減、現在はタレント業に専念していますが不景気などの影響から全盛期ほどの稼ぎではないと思われます。
西川きよしの伝説がすごい!
西川きよしさんには、様々な伝説があるといわれています。
西川きよしの伝説①晴れ男
西川きよしさんについて後輩芸人は、「どんな雨予報でも、きよし師匠が『晴れろ』と言ったら晴れる奇跡を僕らは何度も見てきた」と明かしています。
雨予報だったイベントでも、西川きよしさんがいたため奇跡的に雨が降らなかったということがあったそうですよ。
西川きよしの伝説②大食い
西川きよしさんは、とても後輩思いの方で、若手芸人とご飯に食べに行くこともあるそうです。
お笑いコンビ「千鳥」のノブさんは、「フグを食べに行こうと連れて行ってくれたんですけど、その後さらに中華のフルコースを食べに行った。師匠は胃がバケモノ」と語っていました。
西川きよしのプロフィールや経歴
西川きよし pic.twitter.com/kc73BQavoT
— ハマカゼ・リク (@2021sasaki) July 21, 2023
名前:西川きよし
生年月日:1946年7月2日
出身地:高知県生まれ、大阪府育ち
血液型:O型
身長:166cm
所属事務所:吉本興業
自動車整備工場で働いていた西川きよしさんは大けがにより仕事を辞め、芸人になるためにミヤコ蝶々さん、藤田まことさん、白木みのるさん、佐々十郎さんらの喜劇役者に弟子入りを志願しました。
しかし全員に断られたため石井均さんに入門、1年後に杉浦エノスケさんから「人手が足りないから」と吉本新喜劇に誘われて研究生として入団、白木みのるさんの付き人時代になんば花月の舞台に端役で出演するようになり、『てなもんや三度笠』の着ぐるみの熊役がテレビ初出演になりました。
当時吉本の人気女優であったヘレンさんと結婚したことで会社や劇団からは冷遇されていたものの、1966年に横山やすしさんと漫才コンビ「やすしきよし」を結成、1967年にはデビュー10ヵ月後にして上方漫才大賞新人賞を受賞しています。
1970年には上方漫才大賞を受賞し、『素人名人会』、『爆笑寄席』、『パンチDEデート』、『仁鶴・きよしのただいま恋愛中』、『プロポーズ大作戦』などテレビ司会者としての露出が増え、さらに1980年代初頭の漫才ブームでは人気が頂点に達しました。
西川きよしは元参議院議員
1986年に参議院議員選挙に大阪選挙区から無所属で立候補し当選、「小さなことからコツコツと」をキャッチフレーズに3期18年間に渡る議員生活を展開しました。
2004年の参議院選挙に立候補はせず政界を引退、タレント活動に専念し、大平サブローさんとの「新やすし・きよし」での活動も行っています。
西川きよしの所属事務所
西川きよしさんは、「吉本興業」に所属しています。
1989年に相方の横山やすしさんが自身の不祥事により吉本興業を解雇されたことでコンビは事実上の解散となりましたが、西川きよしさん自身は事務所を辞めることなくずっと在籍しています。
西川きよしの学歴
西川きよしさんが通っていた学校について調べてみました。
西川きよしの出身小学校
西川きよしさんは、高知市立朝倉小学校に入学しました。
その後、大阪市立市岡小学校に転校しています。
小学生の頃はサッカーや野球、相撲などスポーツが好きな少年でした。
転校後は新聞の手売り、牛乳配達、八百屋のアルバイトをしていたそうです。
西川きよしの出身中学
小学校卒業後は、大阪市立三稜中学校に進学しました。
中学ではサッカー部に入り、アルバイトも続けていました。
西川きよしの出身高校
中学校卒業後は、進学していません。
高校に進学するつもりでいたものの、家が貧しかったこと、さらに中学卒業前にお父さんが病気で倒れてしまったことから中学卒業の翌日から自動車修理工場で働いていました。
西川きよしの出身大学
西川きよしさんは大学にも進学していません。
自動車修理工場は17歳で退職していますが、その後は芸能界で活躍しているため学校に通う時間はなかったようです。
西川きよしの実家や生い立ち
1946年7月2日に誕生した西川きよしさんは、高知県高知市朝倉生まれ、大阪市港区住吉区出身です。
高知時代の実家では裕福な暮らしをしていましたが、お父さんが知人の保証人となったことから債務取り立てに追われるようになり、1954年に一家で逃げるように大阪に転居しました。
その後はお父さんやお母さんはもちろん、子供たちもアルバイトをして家計を支えなければいけないほどの貧しい暮らしをしていたそうです。
中学卒業後に社会人になった西川きよしさんでしたが、1年目に溶接中の引火事故で首から上に大やけどを負い、4ヵ月の長期入院により奇蹟的に回復したものの、大事故のトラウマを抱えたまま整備工の仕事を続けるのは無理だと感じ退院と同時に退職しました。
職場の先輩から「陽気で頓智がきく」と褒められたこと、さらに「カネなし、コネなし、学歴なし」でも勝負できることから第2の人生を芸人の道に決めたのでした。
西川きよしの父親と母親
西川きよしさんの両親は一般人です。
お父さんの西川義道さんは製材所を営んでいましたが、大阪で暮らすようになってからはタクシーの運転手に転職し、一度出勤すると2日に1回しか帰宅できないシフトで、過酷な勤務だったそうです。
お母さんの西川清意さんも内職し、子供たちを育てながら家計も支えていました。
そんなお母さんは2016年1月1日、老衰のため95歳で生涯を終えました。
西川きよしの兄弟や姉妹
西川きよしさんには、お姉さんが3人、お兄さんが1人います。
兄弟は一般人ですが、お姉さんの1人は六代目桂文枝さんと同級生だったそうです。
まとめ
幼い頃からアルバイトをし、家庭の事情で高校進学を断念したという西川きよしさんですが、芸人の道で成功を掴むことが出来ました。
これからも西川きよしさんの活躍で、多くの人を楽しませてほしいですね。