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日色ともゑの旦那や子供は?実家や父親と母親兄弟・自宅についても

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女優の日色ともゑさんは、1969年に結婚しました。

旦那さんはどんな人で、子供がいるのでしょうか。

今回は、日色ともゑさんの結婚や実家、家族について調べてみました。

日色ともゑの旦那は建築家

日色ともゑさんの旦那さんは、建築家の中園正樹さんと言います。

中園正樹さんは、武蔵工業大学工学部建築学科卒業後に「株式会社松田平田設計」に入社、その後代表取締役社長に就任しました。

東京国際空港(羽田空港)の第2旅客ターミナルビルや茨城県庁、横浜国際競技場等を手掛け、1999年の日本建築学会賞(業績賞)、2000年の建築業協会賞(BCS賞) を受賞しています。

第9回空間デザインコンペティション審査委員長や、第15回村野藤吾賞選考委員なども務めました。

2018年12月25日、76歳で旅立っています。

日色ともゑと旦那の馴れ初め

日色ともゑさんと中園正樹さんは、日色ともゑさんが18歳の時に出会いました。

日色ともゑさんの親友が就職した先が中園正樹さんの会社で、皆でご飯を食べるなど交流を深めていく中で、親友から「日色ともゑさんも一緒にどう?」と誘いを受けたそうです。

そこで日色ともゑさんが会社の食事会に足を運んだところ中園正樹さんもおり初対面、その後も何度か会う中で交際に発展しました。

結婚は日色ともゑさんが「女優業は辞めない」ということを条件にしていたため、中園正樹さんは周囲に「日色ともゑさんが安心して芝居ができるようにしてあげていたい」と言ってたそうですよ。

日色ともゑの子供は?

日色ともゑさんに子供はいません。

女優業を優先していたことから、子供を強くは望まなかったのかもしれません。

インタビューでは「劇団が私にとっての家族」と話していました。

日色ともゑの自宅

日色ともゑさんの自宅の場所は公開されていません。

ネット上では「東京都世田谷区のマンション」と噂されていました。

日色ともゑの実家や生い立ち

1941年6月4日に誕生した日色ともゑさんは、東京都出身です。

実家の詳しい場所は情報がなく、わかりませんでした。

子供の頃は「将来は絶対、“書く人”になりたい」という思いがあり、「いきなり小説家は無理だろうから、新聞や雑誌の記者になろうかな」と考えていたそうです。

そんな日色ともゑさんは高校卒業後に劇団民藝俳優教室に入所、1961年に劇団民藝に入団し女優業をスタートさせました。

日色ともゑの父親

日色ともゑさんのお父さんは、日色恵さんと言います。

お父さんは、東京新聞社社員でした。

定年後は囲碁・将棋の観戦記者、芸能記者として活躍しており、日色ともゑさんは棋譜や原稿の受け渡し、譜面作成を手伝っていたため将棋が強いそうです。

日色ともゑの母親

日色ともゑさんのお母さんは一般人です。

東京の下町・本所の生まれのお母さんの実家はブリキ工場で、お母さんはお嬢さま育ちでした。

高校には人力車で通い、本所小町と呼ばれた美人だったことから、パラソルをかざしながら市電に乗る時はお母さんの姿見たさに職人さんたちが工場の窓から身を乗り出していたそうですよ。

そんなお母さんはお父さんとの結婚後、お父さんの生活スタイルに合わせていたため、子供たちの食事はお手伝いさん任せ、外出することもほとんどなく、学校の参観日にも行きませんでした。

日色ともゑの兄弟や姉妹

日色ともゑさんには、お姉さんと弟さんがいます。

二人とも一般人で、情報は公開されていませんでした。

まとめ

日色ともゑさんの女優活動に理解があった旦那さんは、2018年に旅立ちました。

子供がいないため日色ともゑさんは現在1人ですが、劇団の仲間たちと支え合いながら生活しています。

空の上で見守ってくれている両親や旦那さんに安心してもらえるよう、これからも日色ともゑさんらしく笑顔で幸せな日々を過ごしてほしいですね。

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