お笑いコンビ「さらば青春の光」で独特の存在感を放つ東ブクロさん。
実はどんな学校に通ってきたのか、学生時代の歩みが気になる方も多いのではないでしょうか。
舞台上で見せる奔放なキャラクターの裏に、意外な学歴やエピソードが隠れているかもしれません。
また、本名や年収といった素顔に迫る情報も話題になりやすいポイントです。
さらに、東ブクロさんを育てたご実家の環境やお父さん・お母さん、兄弟についても知りたいところでしょう。
笑いを届ける芸人としての姿だけでなく、人となりを形作ってきた背景を知ると、東ブクロさんの魅力が一層深く見えてきます。
東ブクロ(さらば青春の光)の実家や生い立ち
東ブクロさんの実家は大阪府茨木市にあります。
芸人として駆け出しの頃は収入が安定せず、お父さんとお母さんから月10万円の仕送りを受けていたと明かしています。
毎月これだけの金額を支援できる家庭環境から、実家は比較的裕福だったのではないかと考えられています。
幼少期からお笑いに触れて育ち、小学生の頃には深夜ラジオ『ナインティナインのオールナイトニッポン』を熱心に聴いていました。
小学校4年生からは空手を習い始め、中学3年まで続けて初段の黒帯を取得しています。
真面目に打ち込む一方で、中学時代には「芸人になりたい」という思いも芽生えていました。
きっかけのひとつが、お父さんと「なんばグランド花月に行こう」と約束したものの、仕事で流れてしまった出来事です。
その悔しさから「親が嫌がる道に進んでやろう」と思い、お笑いの世界を志したと語っています。
また、思春期の東ブクロさんは「お笑いができるイケてる高校生になりたい」という気持ちも強く、校則が比較的自由な高校を選んで進学しました。
ここで舞台に立つ楽しさを実感し、大学進学後は同志社大学の「喜劇研究会」に所属。
大学3年のときに松竹芸能の養成所に入所し、森田哲矢さんと出会って「さらば青春の光」が誕生しました。
学生時代からお笑いへの情熱を絶やさず、環境の支えも受けながら夢を叶えてきた東ブクロさん。
スキャンダルやトラブルに見舞われることもありますが、逆境を跳ね返して第一線で活動を続けている背景には、実家のサポートや幼少期から培った強い芯の存在が大きいのかもしれません。
東ブクロ(さらば青春の光)の父親の職業は?
東ブクロさんのお父さんは一般の方で、名前などの詳細は公表されていません。
ただ、東ブクロさんがテレビ出演の際に「父は一級建築士で、とても厳格な人だった」と語っており、真面目な職業人として家庭を支えてきたことが分かっています。
厳しさの一方でユーモアも持ち合わせていて、過去に両親がバラエティ番組に登場したとき、司会者から「息子さんの経験人数は230人だそうですが?」と振られると、お父さんは笑いながら「羨ましい限りです」と即答。
会場を沸かせたその返しは、「芸人の父らしい」と話題になりました。
さらに、2024年7月に『ラヴィット!』へ“父ブクロ”として出演した際には、開口一番「これまでご心配をおかけしました」と深く頭を下げる真摯な姿勢を見せています。
このとき初めて「孝司」という名前が公に紹介され、親子の距離をテーマにした「別荘企画」では「富士山の見える場所がいい」と希望を語るなど、お茶目な一面も放送されました。
こうしたエピソードからは、建築士としての真面目さと、番組で見せた柔らかなユーモアという二つの顔がうかがえます。
厳しくもお茶目なお父さんの姿勢は、東ブクロさんが舞台で見せる”ひょうひょうとしたキャラクター”にもどこか重なっており、父子の関係性が芸風に影響を与えていると考えるファンも少なくありません。
東ブクロ(さらば青春の光)の母親
東ブクロさんのお母さんは一般の方のため、名前や職業といった詳細は公表されていません。
ただ、過去にお父さんと一緒にテレビ番組へ出演した際には、その飾らない人柄が大きな注目を集めました。
スタジオで息子のスキャンダルに触れ、「どうして先輩の奥さんと浮気したの?」と真正面から質問した場面は、率直すぎる発言として笑いと驚きを呼びました。
本人を気づかうというよりは、むしろ”母親だからこそ言えるひと言”をぶつけた姿が印象的で、芸人の母親らしい芯の強さを感じさせます。
実は東ブクロさん自身も、過去のラジオや舞台挨拶で「母は昔から遠慮のない性格で、家でもはっきり物を言う」と話しています。
その姿勢は、本人の持つ開き直りやツッコミの鋭さにも影響していると考えられます。
2024年には『ラヴィット!』に”父ブクロ”が出演した際にお母さんの話題も出ており、SNSでは「母親もきっとテレビに出たら強烈そう」といった声も寄せられていました。
お母さんの登場は限られていますが、わずかな場面でも強い存在感を残しているのが特徴です。
家庭内でも息子に遠慮なく意見を投げかけるお母さんの姿勢は、東ブクロさんが逆境を乗り越えてきた背景に大きく関わっているのかもしれません。
これからの番組企画で再び登場する機会があれば、その率直なキャラクターがさらに知られていくことでしょう。
東ブクロ(さらば青春の光)の兄弟や姉妹
東ブクロさんには弟さんがいることが知られていますが、一般の方のため名前や詳しいプロフィールは明かされていません。
2018年の「キングオブコント」決勝戦では、ちょうど弟さんの結婚式と日程が重なってしまい、東ブクロさんは結婚式を欠席したと語っています。
しかも当時は決勝進出者が事前に非公開だったため、結婚式を欠席する理由を周囲に説明できず、本人も「もどかしかった」と振り返っています。
このエピソードは本人がラジオ番組などで話したもので、芸人としての仕事と家族の大切な行事が重なる難しさを示す印象的なエピソードになっています。
ちなみにテレビ出演時には「弟は自分と正反対のタイプで、しっかりしている」と明かしたこともあり、兄弟の性格の対比もファンの間で話題になりました。
SNS上では「弟さんもきっと面白い人なんじゃないか」「兄弟仲は良さそう」といった声も見られます。
東ブクロさん自身がたびたび家族の話題を笑いに変えていることからも、兄弟関係は良好であると考えられます。
今後は弟さんやその家族がメディアで触れられる機会があるかもしれませんが、プライベートを大切にされていることから詳細は公表されていません。
とはいえ、こうした兄弟エピソードが東ブクロさんの人柄や芸風を形づくっている一面であることは間違いないでしょう。
東ブクロ(さらば青春の光)の学歴
お笑いコンビ「さらば青春の光」でツッコミを担当する東ブクロさんは、実は学生時代から意外な一面を持っていた人物です。
幼少期にはお笑い番組やラジオを熱心に聴いていたといい、将来のお笑い活動の土台はすでにこの頃から育まれていたのかもしれません。
ここからは、小学校から大学までの歩みを順に見ていきます。
東ブクロ(さらば青春の光)の出身小学校
東ブクロさんは出身小学校を公表しておらず、具体的な校名は分かっていません。
ただし地元の公立小学校に通っていた可能性が高いと考えられています。
子どもの頃からラジオ好きで、『ナインティナインのオールナイトニッポン』をよく聴いていたというエピソードも残っています。
ちなみに、このラジオ番組は当時の若者にとって深夜の娯楽の象徴で、東ブクロさんの笑いの感覚にも大きく影響を与えたと言われています。
東ブクロ(さらば青春の光)の出身中学
中学校についても校名は非公開ですが、小学校と同じく地元の公立校に通っていたと考えられています。
この頃の東ブクロさんはスポーツに励んでおり、中学3年まで空手を習っていました。
段位は初段で黒帯を取得するほどの実力で、礼儀や集中力を養った経験はその後の舞台度胸にもつながっているでしょう。
SNS上では「意外と体育会系だった」という声も見られ、現在のひょうひょうとしたキャラクターとのギャップに驚く人も少なくありません。
東ブクロ(さらば青春の光)の出身高校
東ブクロさんは大阪府立春日丘高等学校に通っていました。
春日丘高校は偏差値の高い進学校として知られ、一般入試で合格していることからも、東ブクロさんが学業にもしっかり取り組んでいたことがうかがえます。
高校時代には人前で初めて漫才を披露し、大いにウケた経験があるそうです。
この体験がのちにお笑いを志すきっかけのひとつになった可能性もあり、学業だけでなく表現の才能を開花させた時期だったといえるでしょう。
東ブクロ(さらば青春の光)の出身大学
東ブクロさんは同志社大学の文学部に通っていました。
同志社大学は関西でも特に人気の高い大学で、お笑い界に進む前から知性を磨いた環境でもあります。
在学中に喜劇研究会へ所属し、ここでカズレーザーさんと出会いました。
2人は「フルハウス」というコンビを組み、学生漫才として活動をスタートさせています。
この経験がなければ「さらば青春の光」という現在の活躍にはつながらなかったともいえる重要なターニングポイントでした。
また、同志社大学の喜劇研究会は過去にも数多くの芸人を輩出している団体で、東ブクロさんもその系譜に連なる存在です。
大学での出会いが、後のキャリアに大きく影響を与えたことは間違いないでしょう。
カズレーザーの出身高校や大学は?身長や年齢・年収や自宅は中野坂上?
東ブクロ(さらば青春の光)のプロフィールや経歴
東ブクロさんは大学在学中の2006年、松竹芸能タレント養成所に入所し、本格的に芸人を志しました。
その後2008年に森田哲矢さんとコンビ「さらば青春の光」を結成し、同年にはキングオブコントへ挑戦します。
初出場は惜しくも敗退でしたが、結成直後から大舞台に挑む積極性は当時から話題を集めていました。
関西での活動を経て東京進出を果たし、地道にライブ出演を重ねる中で徐々に知名度を高めていきます。
2012年のキングオブコントでは準優勝を獲得し、一気にブレイクのきっかけをつかみました。
名前:東ブクロ
生年月日:1985年10月6日 37歳
血液型:O型
身長:166cm
出身地:大阪府
しかし翌2013年、所属していた松竹芸能を退所しフリーに転身。
東京に拠点を移すも、事務所の後ろ盾を失ったことで一時は仕事が激減します。
さらにプライベートでのスキャンダルが報じられ、コンビ存続の危機に立たされました。
そんな時期に支えとなったのが、先輩芸人の小沢一敬さんでした。
小沢さんが東京の芸人仲間へ積極的に橋渡しをしてくれたことで、東ブクロさんと森田さんは孤立することなく活動を続けられたといいます。
転機となったのは2018年に開設した公式YouTubeチャンネルです。
ネタだけでなく舞台裏やトーク企画も人気を呼び、テレビの仕事と並行して新しいファン層を獲得しました。
YouTubeは芸人にとって副次的な活動のイメージが強かった時期に、さらば青春の光は先駆け的に活用し、現在では登録者数も40万人を超える規模に成長しています(2024年時点)。
執筆活動にも力を入れており、2023年4月には著書『お笑いについて』(幻冬舎)を刊行しました。
芸人としての視点から笑いの仕組みや業界の裏側を綴った内容は、業界関係者からも注目を集めています。
さらに、ラジオや配信番組でのレギュラー出演も増え、漫才やコントだけにとどまらない多方面での発信が続いています。
実は東ブクロさんは、芸人仲間から「トーク力の高さ」「場を回すセンス」で信頼を寄せられる存在で、これも現在の幅広い活躍につながっていると考えられます。
波乱の経歴を経ながらも、多彩な活動で存在感を示してきた東ブクロさん。
芸人としての歩みはもちろん、著書やYouTubeを通じてお笑いの新しい形を模索し続けている姿勢に、多くのファンが惹かれているのでしょう。
東ブクロ(さらば青春の光)の本名は?改名した理由
東ブクロさんの本名は「東口宜隆(ひがしぐち よしたか)」さんです。
大学卒業後に芸人として活動を始めた頃から長らく本名で舞台に立っていましたが、2017年4月に出演したAbemaTVの番組『フジモンが芸能界から干される前にやりたい10のこと』で大きな転機が訪れます。
占い師から「本名のままだと運気が下がる」と指摘され、その場で急きょ改名を勧められたのです。
改名候補には「東口宜史」「東口宜矢」「ブラザー東口」などが挙がりましたが、最終的に字画の相性が最も良いとされた「東ブクロ」を採用しました。
ちなみに「ブクロ」という呼び名は、学生時代から親しい仲間に池袋のイメージで呼ばれていたこともあり、本人にとって馴染みのある響きでもあったそうです。
ただし、改名後には相方の森田哲矢さんが交通事故に遭う出来事や、東ブクロさん自身のスキャンダルが報じられるなど、順風満帆とは言い切れない時期もありました。
その一方で、コンビとしてはテレビやラジオへの出演が増え、2018年にはYouTubeチャンネルを開設するなど活動の幅を広げています。
結果的に「改名が吉凶どちらだったのか」は一概に言えませんが、占いをきっかけにした新しい芸名が現在の知名度に結びついているのは確かでしょう。
また、芸名改名の背景には「芸人は名前も芸の一部」という考え方も影響していると考えられます。
SNS上でも「東口さんより東ブクロさんの方がしっくりくる」といった声が多く見られ、ファンからも自然に受け入れられている点が印象的です。
芸名を通じて独自のキャラクターを確立できたことが、今の活躍につながっているといえるのではないでしょうか。
東ブクロ(さらば青春の光)の年収
東ブクロさんの収入は、個人事務所「ザ・森東」の売上と深く関わっています。
社長を務めるのは相方の森田哲矢さん、副社長は東ブクロさんで、マネージャーを含めた3人で利益を分配していると公言していました。
過去のインタビューでも「売り上げは完全に3等分」と明かされており、事務所の経営方針がシンプルであることが分かります。
「ザ・森東」の年商はすでに4億円規模に達していると報じられており、この数字が事実であれば、東ブクロさんの年収は1億円を超えている可能性も考えられます。
特に近年はテレビ出演に加えて、YouTubeチャンネルの収益、イベントの単独ライブ、ラジオやCM出演など複数の収入源があるため、一般的な芸人のイメージを超えた高収入層に入っているのは間違いなさそうです。
ちなみに、SNS上では「フリーになった頃は仕事が激減していたのに今はすごい成功ぶり」といった声も多く見られます。
実際、松竹芸能を退所して間もない頃は経済的に苦しい時期が続いたそうですが、地道にライブ出演を重ね、YouTubeや舞台の収益モデルを確立したことが現在の大きな飛躍につながっています。
また、書籍『お笑いについて』の印税やイベントでのグッズ販売も含めれば、年収の総額はさらに膨らむ可能性があります。
お笑いコンビとしての活動だけでなく、多方面に挑戦していることが収入の安定につながっている点は、東ブクロさんの努力と戦略の成果といえるでしょう。
まとめ
東ブクロさんについて学歴から本名、実家やご家族、そして現在の活動や年収までを振り返ると、その歩みが決して順風満帆ではなかったことが見えてきます。
同志社大学でのお笑いサークル活動をきっかけに芸人の道へ進み、松竹芸能を経てフリーとなった後は苦しい時期も経験しましたが、相方の森田哲矢さんと二人三脚で立ち上げた「ザ・森東」の経営が軌道に乗り、安定した地位を築いています。
家族との印象的なエピソードや人柄を感じさせるエピソードも多く、プライベートな部分が垣間見えることで東ブクロさんの魅力はさらに広がっているように思います。
これからも芸人としてだけでなく、著書やYouTubeなど幅広い活動を通じて、また新しい一面を見せてくれるのではないでしょうか。
