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阿木燿子の若い頃や現在|作詞の代表作や年収は?年齢や本名なども

akiyoko_career 作詞家
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作詞家の阿木燿子さんは、歌手で俳優の宇崎竜童さんの奥さんとして知られていますが、どんな活動をしてきた方なのでしょうか。

いつから作詞家として活動を始めたのでしょうか。

今回は、阿木燿子さんの経歴や代表作、年収などについて調べてみました。

阿木燿子の若い頃病気だった?対人恐怖症?

阿木燿子さんは、これまでに大きな病気を患ったことはありません。

ただ10代の頃に人前で言葉を発することが一切できなくなり、「おはよう」の挨拶はもちろん、クラスメイト同士の雑談にも加わることができなくなるなどの対人恐怖症になったことがあるそうです。

阿木燿子の現在は?

阿木燿子さんは、現在も作詞家やエッセイストとして活動しています。

夫の宇崎竜童さんと一緒にテレビや雑誌のインタビューに出演することもあります。

阿木燿子の作詞の代表作

阿木燿子さんは、これまでに数々の賞を作詞家として受賞してきました。

日本レコード大賞では、1976年に山口百恵さんの「横須賀ストーリー」 が作詞賞に、内藤やす子さんの「想い出ぼろぼろ」 が最優秀新人賞に選ばれました。

1979年にはジュディ・オングさんの「魅せられて」 が、1986年に中森明菜さんの「DESIRE -情熱-」 が大賞に輝いています。

日本作詩大賞でも山口百恵さんの「横須賀ストーリー」が大衆賞に選出され、内藤やす子さんの「想い出ぼろぼろ」 と山口百恵さんの「プレイバックPart2」で作品賞を受賞しました。

阿木燿子の年収は?印税がすごい?

阿木燿子さんの年収は公表されていません。

これまでに1000曲以上の作詞をしてきた阿木燿子さんは、ヒット曲にも恵まれました。

そのため印税を含めて、年収は数千万円以上になるのかもしれません。

阿木燿子のプロフィールや経歴

名前:阿木燿子
生年月日:1945年5月1日
出身地:長野県生まれ、神奈川県育ち
血液型:A型
身長:非公開

1969年にグループ・サウンズのジュリーとバロンのデビュー曲「ブルー・ロンサム・ドリーム」で作詞家デビューした阿木燿子さんは、山口百恵さんや中森明菜さんらの楽曲に携わっていました。

女優としてドラマや映画にも出演しており、映画『四季・奈津子』では報知映画賞助演女優賞を受賞しています。

他にもフラメンコにも挑戦、2001年度文化庁芸術祭舞踊部門・優秀賞の「FLAMENCO曽根崎心中」の公演プロデュースなどを行いました。

2006年には、映画『TANNKA 短歌』で初脚本・初監督を務めました。

阿木燿子の本名

阿木燿子さんの本名は「木村 広子」さんです。

旧姓は「福田」で、宇崎竜童さんとの結婚で「木村」姓になりました。

阿木燿子の所属事務所

阿木燿子さんは、「オフィス・ドラゴン」に所属しています。

こちらは阿木燿子さんの個人事務所のようですね。

まとめ

10代の頃は対人恐怖症だったという阿木燿子さんですが、作詞家として多くのアーティストの作詞を手掛け成功しました。

これからも阿木燿子さんの活躍に注目していきたいですね。

作詞家
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