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パンサー尾形は元サッカーエリート!出身高校や大学は?実家なども

パンサー尾形は元サッカーエリート!出身高校や大学は?実家なども お笑い芸人
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お笑いトリオ・パンサーの尾形貴弘さんは元サッカーエリートですが、どこの強豪校でプレーしていたのでしょうか。

また、実家や家族についても気になりますね。

そこで今回は、尾形貴弘さんの学歴や家族、プロフィールなどを調べていきたいと思います。

パンサー尾形貴弘はサッカーエリートだった

尾形貴弘さんは学生時代はサッカーエリートで、一時期はプロを目指したほどでした。

中学時代は宮城県選抜、高校時代は東北の名門・仙台育英高校で背番号10番を背負い、高校1年生の時にはドイツ遠征も経験しています。

大学はスポーツ推薦で中央大学に進み、もちろん体育会のサッカー部に入部。

しかし、高校・大学と進むにつれ、尾形貴弘さんは周囲のサッカーの上手さを感じ、『ドリブルやテクニックで勝つのは無理だ』と気づきます。

そこでプライドの高い選手だとダメになってしまうかもしれませんが、尾形貴弘さんは『上手い選手のサポートをしよう』と決意。

尾形貴弘さんにももちろんプライドはあったはずですが、尾形貴弘さんのような柔軟な考え方も時には必要ですよね。

結果的にプロにはなれませんでしたが、大学までサッカーを続けていたのはすごいことではないでしょうか。

芸人となった今もフットサルチームに所属したり、子供向けサッカー教室を開いたりとサッカーの発展に貢献しています。

パンサー尾形貴弘の学歴

尾形貴弘さんの学歴を調べていきたいと思います。

どこの学校に通っていたのでしょうか。

パンサー尾形貴弘の出身小学校

尾形貴弘さんは、宮城県鳴瀬町立野蒜(のびる)小学校に通っていました。

鳴瀬町立野蒜小学校は、2016年3月に近隣の小学校と統合されたため、東松山市立宮野森小学校に校名が変更されています。

近所の上級生の影響で小学2年からサッカーを始めた尾形貴弘さんは、『松島サッカースポーツ少年団』でプレーしていました。

パンサー尾形貴弘の出身中学

尾形貴弘さんは、宮城県松島町立松島中学校に通っていました。

尾形貴弘さんは地元の中学に進学するも、サッカーが盛んな松島中学校に転入しました。

中学1年生ながら1人暮らしをしてサッカーに打ち込み、宮城県選抜に選ばれています。

パンサー尾形貴弘の出身高校

尾形貴弘さんは、宮城県仙台育英学園高等学校に通っていました。

サッカーの推薦で寮生活をしていた尾形貴弘さんは、高校2年の頃からベンチ入りできるようになったそうです。

高校時代は全国ベスト16という成績を収め、女子からは相当モテたのだとか。

同じ高校出身の有名人には、歌手の高橋ジョージさんや元バレーボール選手の大友愛さんがいます。

パンサー尾形貴弘の出身大学

尾形貴弘さんは、中央大学の文学部に通っていました。

スポーツ推薦で中央大学に入学した尾形貴弘さんは、体育会のサッカー部で汗を流していました。

しかし、大学3年生になる頃にはプロへの道は断念し、毎日ナンパをしていたそうです。

尾形貴弘さんの3学年下には、サッカー元日本代表の中村憲剛さんがいました。

パンサー尾形貴弘の実家

尾形貴弘さんの実家は宮城県東松山市にあり、海から2、3分という距離なのだそうです。

2011年3月11日の東日本大震災の津波で、実家が流されてしまったと尾形貴弘さんは明かしていました。

思い出がたくさん詰まった実家が流されてしまったことは、尾形貴弘さんにとって非常に辛い出来事だったでしょう。

当時は家族となかなか連絡が取れず、無事を確認できるまで1週間ほどかかったのだとか。

ご家族が無事で何よりです。

パンサー尾形貴弘の生い立ち

尾形貴弘さんは自然豊かな宮城県鳴瀬町(現・東松山市)で、すくすくと成長しました。

周囲に野球やサッカーといったメジャーなスポーツをやっている人がいない田舎でしたが、近所の小学生たちが神社の鳥居をゴール代わりにして、サッカーをしていたそう。

そこで仲間に入れてもらった尾形貴弘さんは、上級生たちをドリブルで抜き、サッカーの面白さに目覚めました。

父親に頼み込み、サッカークラブに入れてもらった尾形貴弘さんは、電車の中でもサッカーの練習をするほどだったそうです。

中学時代は宮城県選抜に選ばれたものの、仙台のおしゃれなチームメイトたちに引け目を感じてしまい、自分のプレースタイルを出せなかったこともありました。

そんな時に父親に一喝され、自分を取り戻した尾形貴弘さんは活躍してレギュラーを獲得。

サッカーの強豪校に進学し、上手い選手のサポートに回ることも覚え、熱いプレースタイルに変化していきました。

大学でもサッカーを続けた尾形貴弘さんでしたが、『部活対抗面白風呂入り選手権』という余興で優勝し、芸人への道を意識し始めることとなります。

ふとしたきっかけで、尾形貴弘さんの人生はサッカーからお笑いへと道筋が変わっていくこととなったのです。

パンサー尾形貴弘の父親

尾形貴弘さんのお父さんは一般人のため、名前や職業などは公表されていません。

尾形貴弘さんは中学時代、サッカーで自分のプレーができなかった際に『お前にプロになってほしいとか期待してない。楽しくやればいい』とお父さんから励ましの言葉をもらったそうです。

その言葉は今でも尾形貴弘さんの支えとなっているそうで、息子想いの素敵なお父さんだと思いました。

3.11の津波では、お父さんは一時津波にのまれてしまいますが、間一髪で救助されたのだそう。

お父さんが本当に無事でよかったと思います。

パンサー尾形貴弘の母親

尾形貴弘さんのお母さんは一般人のため、名前や職業などは公表されていません。

中学時代からサッカーをするために1人暮らしをしていた尾形貴弘さんは、毎日食事を作りに来てくれたお母さんに非常に感謝していると話していました。

お母さんはとても忙しかったと思いますが、息子のためを思っていたのでしょう。

尾形貴弘さんは両親の深い愛情に恵まれて育ったんだなと思いました。

パンサー尾形貴弘の兄弟や姉妹

尾形貴弘さんにはお姉さんがいますが、一般人のため名前や年齢は公表されていません。

お姉さんと尾形貴弘さんは、幼い頃に30cmほどの赤鬼を見たことがあるそうです。

おそろしい体験に思えますが、30cmほどというのが可愛いですね。

パンサー尾形貴弘のプロフィールや経歴

名前:尾形貴弘
生年月日:1977年4月27日 46歳
血液型:B型
身長:181cm
出身地:宮城県

尾形貴弘さんは大学卒業後、事務機器大手のリコーに就職しますが、お笑い芸人を目指し25歳の時にNSC東京校に入学しました。

NSCの同期には、お笑いコンビ・ジョイマンの2人やスリムクラブの内間政成さんがいます。

尾形貴弘さんは『グレートホーン』というお笑いコンビを組んでいましたが、売れなかったため解散してしまいました。

ピン芸人にも挑戦した尾形貴弘さんでしたが、思うような結果を得られず、地元に帰ろうかと考えていたところ転機が訪れます。

後にパンサーを結成することとなる菅良太郎さんに偶然出会い、コンビを結成しようという話になりました。

そこに向井慧さんが加わり、お笑いトリオ・パンサーが誕生したのです。

『笑っていいとも!』や『王様のブランチ』のレギュラーを務めるなど、パンサーは人気トリオに成長しています。

人気芸人となった尾形貴弘さんは、2020年からYoutubeチャンネル『パンサー尾形の尾形軍団チャンネル』を開設しドッキリ動画などで話題に。

今後もパンサーのメンバー、そして人気Youtuberとしての活躍が期待されています。

パンサー尾形貴弘の所属事務所

尾形貴弘さんは吉本興業に所属しています。

吉本興業は1912年の創設以来、超人気芸人たちのマネジメントをしてきたことで有名な事務所。

現在所属している有名芸人には、西川きよしさん、明石家さんまさんなどそうそうたるメンバーがそろっています。

パンサー尾形貴弘の年収

2017年5月に放送されたバラエティー番組『有吉弘行のダレトク!?』で、尾形貴弘さんは『月収が28万円だった』と告白していました。

その発言も真実かどうかわかりませんが、芸人は非常に収入が不安定なのは確かなようです。

レギュラー番組やYoutubeチャンネル、イベント出演などで稼いでいる尾形貴弘さん。

尾形貴弘さんは知名度もありますし、年収1000万円以上は稼いでいるのではないでしょうか。

まとめ

尾形貴弘さんはサッカーのエリートで、仙台育英高校や中央大学でプレーしていました。

サッカーのプロへの道は開けませんでしたが、お笑い芸人の道が開けたことは素晴らしいですね。

尾形貴弘さんは芸人魂を感じる熱いリアクションが面白いので、今後の活躍も期待しています。

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