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岡本知高は難病だった!出身高校や大学は?実家や父親と母親兄弟について

okamototomotaka_family 歌手

ソプラニスタの岡本知高さんは、学生時代どこの学校に通っていたのでしょうか。

両親も音楽家なのか、気になります。

そこで今回は、岡本知高さんの出身学校や家族について調べてみました。

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岡本知高は難病で特別支援学校に通っていた

岡本知高さんは、小学1年生の夏休み直前に「ペルテス病」という脚の病気を患いました。

股関節への負担を減らすには専門の施設で治療を受けたほうがいいとの判断から、高知市の養護学校に行くことになったそうです。

まだ幼かった岡本知高さんは週末は自宅に帰れるとはいえ、両親との別れが辛く泣いてばかりいました。

しかし1週間後に養護学校が「子供の楽園」だったことが分かり、そこから小学4年生まで毎日夕方になると皆で集まって歌ったり、普通の小学校に通っていたら経験できないような体験をしたそうです。

土曜日にお父さんの運転で自宅に戻り、日曜日にお母さんの運転で施設に戻るという暮らしで、車で片道3時間の道のりでしたが、この時車の中でお母さんと一緒に歌ったことが岡本知高さんの歌の原点であると明かしていました。

岡本知高の学歴

岡本知高さんが通っていた学校について調べてみました。

岡本知高の出身小学校

出身小学校は公表されていません。

養護学校に通っていたのは4年生までで、5年生からは地元の学校に通っていたようです。

岡本知高の出身中学

出身中学校も公表されていません。

中学では吹奏楽部に入部し、サックスを担当しました。

当時の趣味は楽器のカタログを読むことで、「生涯吹奏楽とともにありたい」という思いから、音楽教師を目指していたそうです。

岡本知高の出身高校

中学校卒業後は、宿毛高等学校に進学しました。

偏差値は、42です。

高校でも吹奏楽部に所属していました。

音楽教師になるための受験の準備もしていたものの、レッスンを受けているときに「このままでは演奏家になるのでは?」と疑問が湧き、自分が本当に何をしたいのか、選んだ道に後悔しないかを自問していたそうです。

その後、恩師となる瀬川武さんと出会ったことで岡本知高さんの目指す道は大きく変わりました。

岡本知高の出身大学

高校卒業後は、国立音楽大学に進学しました。

岡本知高さんは声楽科に在籍、偏差値は44~45です。

大学を準首席卒業した後は、パリ市立プーランク音楽院に入学しました。

こちらの学校も、首席で卒業しています。

岡本知高の実家は宿毛市?

岡本知高さんは、高知県宿毛市出身です。

実家の詳しい場所は公表されていないためわかりませんでした。

岡本知高の生い立ち

1976年12月3日に誕生した岡本知高さんは、小学5年生の時に両親にお願いしてピアノを始めました。

翌年には市の音楽祭でドヴォルザークの『新世界より』を合奏、中学・高校では吹奏楽部で音楽を続け、大学在学中には音楽コンクールの入賞・優勝を果たしています。

1998年に「第九」日本初演80周年記念再現リサイタル”蘇る第九!”にソプラノ・ソリストとして抜擢され、2003年11月にCDデビューしました。

岡本知高の父親

岡本知高さんのお父さんは一般人です。

ガソリンスタンドに勤務していたお父さんは、筋肉質な方だそうです。

そんなお父さんから教わったのはバードウォッチングで、岡本知高さんは「高知県内のあちこちに鳥が見られるスポットがあって、そういう場所を巡っては望遠鏡をのぞかせてもらったり。父が漬けたカリカリ梅を持ってきてくれて、車に乗っている間に食べた」と話していました。

岡本知高の母親

岡本知高さんのお母さんも一般人です。

農協で働いてたお母さんはふくよかな方ですが、岡本知高さんほどではないそうです。

両親は共に音楽好きで、市民合唱団をきっかけに出会い、結婚しました。

岡本知高の兄弟や姉妹

岡本知高さんには、お兄さんとお姉さんがいます。

二人とも一般人ですが、お兄さんはヘヴィメタルをやっていた時期があるそうです。

ピアノを習っていたお姉さんは、保育士の資格を持っています。

まとめ

幼い頃に病気を患い養護学校に通っていた岡本知高さんですが、全てがマイナスな出来事ではありませんでした。

これからも音楽好きな家族の支えを力に、活躍し続けてほしいと思います。

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