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望海風斗の年齢や本名は?宝塚退団理由は?事務所や年収・自宅も調査

nozomifuto_career 女優
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「平成・令和を代表するトップスター」と称された元宝塚歌劇団トップスターの望海風斗さんは、どんな人なのでしょうか。

何故宝塚を退団したのでしょうか。

今回は、望海風斗さんの経歴や宝塚歌劇団退団の理由、挨拶などについて調べてみました。

望海風斗が宝塚歌劇団を退団した理由

2021年4月11日、望海風斗さんは宝塚歌劇団を退団しました。

2020年2月18日には退団会見が行われ、理由について「トップという立場にならせていただいたとき、一生できるものではないので2020年が一つの区切りだと感じていたから」と明かしています。

2019年の『壬生義士伝』の稽古中に舞台袖に立っているとき、望海風斗さんは「みんながものすごく輝いていて尊いものを見ているなぁ」と涙が出たそうで、この何とも言えない幸せな瞬間に卒業を意識しました。

退団発表の数日前には雪組の仲間たちに退団を報告、望海風斗さんはこの時点で退団ブルーになり、仲間たちよりも先に自身が泣いてしまったそうです。

望海風斗の宝塚退団あいさつ

望海風斗さんの退団公演は、元々2020年10月11日に行われる予定だった「ミュージカル・シンフォニア『fff-フォルティッシッシモ-』~歓喜に歌え!~」「レビュー・アラベスク『シルクロード~盗賊と宝石~』」でした。

しかし新型コロナウイルス感染拡大による公演スケジュールの変更により、当初の予定より半年遅れて2021年4月11日の同公演の東京公演千秋楽になりました。

望海風斗さんは、最後の挨拶で「本日、全員で舞台に立つことが叶い、最高の千秋楽を迎えることができました。皆様になんとお礼を申し上げたらいいかわかりません。胸がいっぱいです。今日、この日のことは一生忘れません」とコメントしています。

挨拶後の花束贈呈は、同期の沙月愛奈さんと雪組生の彩風咲奈さんでした。

望海風斗のプロフィールや経歴

名前:望海風斗
生年月日:1983年10月19日
出身地:神奈川県
血液型:A型
身長:169センチ
所属事務所:ワタナベエンターテインメント

2001年に宝塚音楽学校に入学し、2003年に宝塚歌劇団89期生として次席入団した望海風斗さんは、月組公演『花の宝塚風土記/シニョール ドン・ファン』で初舞台を踏みました。

その後は花組に配属され、2009年の『太王四神記』で新人公演初主演、『外伝ベルサイユのばら』で2度目の新人公演主演を務めています。

2014年には明日海りおさん、蘭乃はなさんのトップコンビ大劇場お披露目となる『エリザベート』で出世役となるルキーニに抜擢され、同年11月17日付で雪組へと組替えしました。

2015年の『アル・カポネ』では雪組2番手として東上公演初主演を果たしています。

2017年7月24日付で雪組トップスターに就任すると、相手役に真彩希帆さんを迎え『ひかりふる路/SUPER VOYAGER!』で大劇場トップコンビお披露目となりました。

2020年5月に発売された『an・an』では、現役トップスターとしては初めて表紙を飾っています。

2021年の宝塚歌劇団退団後は女優に転身、2023年に第48回菊田一夫演劇賞の演劇賞を受賞しました。

望海風斗の本名やあだ名は?

望海風斗さんの本名は、「大門紋子 (おおかど あやこ)」さんです。

愛称の「だいもん」は、音楽学校生の時に、一期上の華耀きらりさんが本名の苗字を「だいもん」と読み間違えて点呼したことがきっかけだったそうですよ。

望海風斗の所属事務所

望海風斗さんは、「ワタナベエンターテインメント」に所属しています。

こちらの事務所には、元宝塚歌劇団の真飛聖さんや愛加あゆさんらも在籍しています。

望海風斗の年収

望海風斗さんの年収は公表されていません。

宝塚退団後は舞台を中心に活動しており、メディア出演も行っているため、年収は1000万円以上ではないかと思われます。

望海風斗の自宅

望海風斗さんの自宅の場所は公開されていません。

活動の拠点は東京なので、都内のどこかではないかと思われます。

まとめ

憧れだった宝塚に入り、トップスターとして約4年走り続けた望海風斗さんは、女優転身後も活動を続けています。

これからも望海風斗さんの演技で、多くの人を楽しませてほしいですね。

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