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小田凱人はハーフ?生い立ちが壮絶!実家や父親と母親兄弟など家族構成も

odatokito_family スポーツ

プロの車いすテニス選手である小田凱人さんは、10歳の時に車いすテニスを始めました。

2023年には史上最年少での世界ランク1位が確定しましたが、その道のりは決していいことばかりではありませんでした。

今回は、小田凱人さんの家族や実家、生い立ちについて調べてみました。

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小田凱人はハーフ?

ネット上では、「小田凱人さんはハーフではないか?」という噂があります。

整った顔立ち、「凱人(ときと)」という名前が珍しいというのが理由のようですね。

しかし小田凱人さん自身がハーフだと発言したことはありません。

メディアに出演した際にも「ハーフ」という言葉は出てきていないため、両親は共に日本人だと思われます。

小田凱人の生い立ちが壮絶

2006年5月8日に誕生した小田凱人さんは、元々サッカーに打ち込んでいました。

「サッカー選手になること」が夢だった少年に襲ったのは、悪性腫瘍の骨肉腫です。

小田凱人さんは左足の自由を失い、サッカー選手になることを断念すなければいけなくなりました。

インタビューでは、当時について

「手術した後とかめちゃくちゃ痛くて、毎日泣いてるような感じで、大きい病気だったんだなって、治療が全部終わってから感じました」

引用元:メーテレ

と語っています。

毎日寝たきりだった小田凱人さんは、パラスポーツを主治医から勧められたことをきっかけに、車いすテニスを始めることになります。

車いすテニスの第一人者と言われている国枝慎吾さんの姿を見て、

「次はサッカーのプロではなく、車いすテニスの世界一に」

引用元:テレ朝ニュース

という新たな目標も出来ました。

最初は左足をほとんど地面に付けることができない状態だったものの、リハビリを経て徐々にできることが増えていったそうです。

11歳と13歳のときにがんが肺に転移したものの、小田凱人さんは

「『うまくいくわけがない』。うまくいかないのが、僕の中で普通。そこでくじけたりっていうのは全くない」

引用元:テレ朝ニュース

と、テニスを諦めずに続けました。

その結果、車いすテニス界の「史上最年少記録」を次々と作っていく選手になりました。

小田凱人の実家

小田凱人さんは、愛知県一宮市出身です。

実家の詳しい場所は公表されていないためわかりませんが、現在も市内にあるのではないかと思われます。

自宅の土間には卓球台があり、新型コロナウイルスの影響でテニスが出来なかった時には家族で卓球をしていたそうですよ。

小田凱人の父親

小田凱人さんのお父さんは、一般人です。

名前や職業は公開されておらず、わかりませんでした。

小田凱人の母親

小田凱人さんのお母さんは、小田直子さんと言います。

YouTube動画の中でインタビューに応えていました。

ただ一般人のため、年齢や経歴などは明かされていません。

小田凱人の兄弟や姉妹

小田凱人さんには、お姉さんと弟さんがいます。

お姉さんはこれまでに一切メディアに出ていないため、情報がありませんでした。

弟さんは「桃太郎」さんと言い、小田凱人さんとは3~4歳ほどの差になります。

小田凱人さんの活躍は弟さんの自慢になっているようで、弟さんがインタビューで「新聞に載ったら新聞持って行って同級生に見せたりしてる」と話していました。

まとめ

小田凱人さんは家族ととても仲が良く、テニス選手としての活躍は家族の支えも大きかったようです。

これからも家族の笑顔をたくさん見られるよう、世界で頑張ってほしいですね。

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