歌手の平山みきさんは、野宮真貴さんとコラボするなど今も精力的に活動されています。
そんな平山みきさんはどんな家族のもとで学生生活を送っていたのでしょうか?
今回は、平山みきさんの学歴や本名、家族について調べてみました。
平山みきの学歴
平山みきの出身小学校と中学校
平山みきさんは大田区出身で、大田区の小中学校に通われていたと思われます。
残念ながらあまり情報がないのですが、卒業した小学校は大田区立北蒲小学校、卒業した中学校は大田区立蒲田中学校のようです。
平山みきの出身高校や大学
平山みきさんの出身高校は、日本音楽高等学校です。
現在は品川学藝高等学校と改称して、共学となっていますが、平山みきさんが通っていた当時は女子校でした。
工藤静香さんや深津絵里さんなど、多くの女性芸能人が卒業に名を連ねています。
銀座の「メイツ」で、高校在学時からジャズやポップスを歌っていました。
高校卒業後は進学せずに、『ビューティフル・ヨコハマ』で1970年にデビューしています。
平山みきのプロフィールや経歴
生年月日:1949年8月22日
出身地:東京都大田区
血液型:A型
趣味・特技:写真撮影
ラッキーカラー:黄色
平山みきさんは、1949年の8月22日に東京都大田区の街で生まれ、その才能を音楽の道に捧げ、多くのファンを魅了するアーティストとして成長しました。
日本音楽高等学校で学びつつ、銀座にある音楽喫茶「メイツ」で熱心にジャズとポップスのパフォーマンスを重ねていた時期もあります。
1970年に「ビューティフル・ヨコハマ」で音楽業界に華々しくデビューを果たし、そのハスキーで独特な歌声で急速に人気を博していきました。
そして2枚目のシングル「真夏の出来事」は50万枚という大ヒットを記録し、これを皮切りに「フレンズ」「真夜中のエンジェル・ベイビー」「冗談じゃない朝」といった多くの名曲を世に送り出しました。
作詞家橋本淳さん、作曲家筒美京平さんとのコラボレーションも平山みきさんのキャリアを彩っていますが、アルバムでは近田春夫さんやサンディー&サンセッツとも創作活動を行い、常に新しい音楽を追求し続けました。
また、音楽の世界だけに留まらず、映画やドラマにも出演し、多才な才能を見せています。
平山みきさんが1977年にお笑い芸人であるばんばひろふみさんと結婚したものの、2005年に離婚。
その後も変わらず音楽活動を精力的に行っています。
そして2006年、音楽プロデューサーの久保田麻琴さんと共にアルバム『This is Miki Hirayama』を世に出しました。
現在、平山さんは京都での生活を楽しみながら、その風情ある風景や美味しいグルメをブログやインスタグラムでファンと共有しています。
黄色をラッキーカラーとし、多くの舞台で黄色い衣装を身に纏っています。
彼女の「自分の好きなことをやっているだけ」という言葉は、多くの人にとって感動を与え、勇気づけられる存在です。
平山みきの本名
平山みきさんの本名は公表されていませんが、「平山三紀」ではないかと思われます。
息子さんの「高賀」姓が本名ではないかという情報もあるのですが、お姉さんの平山洋子さんの本名が「平山園江」という情報もあり、そのことから「平山」姓である可能性が高そうです。
平山みきの所属事務所
平山みきさんの所属事務所は「イエローライオン」です。
この事務所はほかに所属しているタレントなどはおらず、平山みきさんの個人事務所となっています。
平山みきさんのラッキーカラーの黄色が事務所の名前に入っているのが大きな特徴ですね。
平山みきの実家や両親
平山みきさんは、東京都大田区で生まれ育ちました。
しかし、平山みきさんの実家が具体的にどこにあったのかなどの情報はありませんでした。
平山みきさんのお父さんは、警察官で機動隊の幹部だったそうです。
お母さんの情報はありませんでした。
お金持ちだったかなどはわかりませんが、お父さんが警察官の幹部ということで、お金に不自由をするまでではなかったのではないかと思われます。
平山みきの姉は平山洋子
平山みきさんのお姉さんは、女優の平山洋子さんです。
19歳のときにミス・エールフランスコンテストで優勝したことをきっかけに、園江梨子という名前で映画デビューしました。
デビュー当時は”グラマー女優誕生”と話題にもなったのです。
後に平山洋子と改名をしています。
2013年の平山三紀さんのブログで「3年前になくなった姉」と書いているところから、2010年頃に亡くなったようです。
まとめ
高校生の頃から歌手としての活動をスタートして、今も精力的に活動しているのは素晴らしいですよね。
今後のどのような活躍を見せてくれるのか、これからの平山みきさんの活躍にも期待です。