俳優の高橋一生さんは、『カルテット』や『凪のお暇』など話題作に出演しており、芸能活動はとても順調そうに見えますが、ブレイク前には長い下積み時代があり、私生活も決して裕福ではありませんでした。
テレビ番組などで高橋一生さんが明かした生い立ちが、ネット上では「壮絶すぎる」と話題になっています。
今回は、そんな高橋一生さんの生い立ちや家族について調べてみました。
高橋一生の生い立ちが壮絶だった!
高橋一生さんは自身に、父親が3人、異父兄弟が4人いることを明かしています。
ほんわかした雰囲気の高橋一生さんからは想像できない生い立ちは衝撃のものでした。
両親が離婚して母親に引き取られた
高橋一生さんのお母さんとお父さんは、高橋一生さんが幼い頃に離婚しました。
離婚理由については明かされていないため分かりません。
両親の離婚によってお母さんと暮らすことになったものの、毎週土曜日はおばあちゃんの家に行き、おばあちゃんと過ごしていたそうです。
おばあちゃんが高橋一生さんを児童劇団に入れてくれたことがきっかけで子役として活動するようになりましたが、家庭は決して裕福ではありませんでした。
高橋一生と母親との関係
高橋一生さんは、お母さんが18歳の時に生まれました。
とても金遣いが荒く、チャレンジ精神が旺盛だったため事業を始めるもすぐに失敗、それでもまた新しい事業を始めるといったことを繰り返していたそうです。
お母さんは一般人のためどんな人かは分かりませんが、噂によると少し子役として活動していた時期があったり、お嬢様育ちだったとのことで、「注目を集めたい」、「構ってほしい」という気持ちが強かったのかもしれませんね。
そんなお母さんと高橋一生さんは、絶縁していた時期がありました。
お母さんは高橋一生さんに対し「あんたなんか大した顔してない」などと発言したことがあり、今でいう毒親だったそうです。
また、子供たちに「お金を借りてこい」と命令し、お金が無くなると勝手に子供たちの私物を売ったりしていました。
ある時お母さんは高橋一生さんの車を勝手に売ってしまい、高橋一生さんの我慢の限界は頂点に達してしまったのです。
高橋一生さんはお母さんに対し「縁を切る」といい家を出て、そこから10年、連絡を取ることはありませんでした。
関係が改善したきっかけは弟からの「お母さんがガンになった」という連絡です。
ただ高橋一生さんはすぐに会いに行くとケンカになってしまうと思い、お母さんが弱ってから会いに行くと告げ、亡くなる1週間前に再会しました。
「ごめんね、今まで」とお母さんに謝られ、高橋一生さんも「もう大丈夫、弟は何とかするから。ゆっくり休んで」と返し、その後お母さんの最期を看取ったそうです。
高橋一生の父親
高橋一生さんは、お父さんについて明かしていません。
「有名人ではないか?」という噂もありますが、証拠はなく噂止まりです。
高橋一生さんと血の繋がりのあるお父さんについては、すでに亡くなっている説と、北海道でお店をやっているという説の2つがありますが、どちらが本当なのかは分かりません。
母親が再婚した後の父親については、高橋一生さんの弟が「亡くなった」と発言しています。
一般人のためいつ亡くなったのかは不明です。
高橋一生は弟4人の面倒見ていた?
高橋一生さんには、デザイン系の職に就いている次男、ロックバンド「never young beach」で活躍している三男、そして四男、寿司職人の見習いの五男がいます。
四男については職業が明かされていないため、学生なのかもしれませんね。
四男と五男については、16歳~18歳も年が離れているため「小さい頃なんて自分の子どものよう。おむつをものすごいスピードで替えられるようになったりして」と弟の父親代わりだったことを明かしています。
また「ちゃんと規律的なことをやってからの自由っていうのが一番美しい。規律みたいなものをしっかり持っていてもらいたい」という思いから、弟たちに家計簿をつけさせているそうです。
他にも、家庭が裕福ではなかったことから高橋一生さんが弟たちの学費を払っていました。
「never young beach」のメンバーである安部勇磨さんとは、ツーショットはないものの、高橋一生さんが出演した映画で「never young beach」が主題歌を担当するなど共演しています。
高橋一生さんは安部勇磨さんに対して「インディーズではなくプロの世界で勝負しろ」と助言し、弟の活躍を応援しています。
まとめ
複雑な環境で育った高橋一生さんは、辛い思いをたくさんしてきたと思いますが、生い立ちを隠すことなく打ち明けていました。
過去を変えることはできませんが、これから高橋一生さんに幸せがたくさん訪れることを願っています。