財津一郎さんは、俳優やコメディアン、歌手としてバラエティー番組やドラマ、CMなどで活躍していました。
そんな財津一郎さんの代表的なCMといえば「タケモトピアノ」ですが、いつから放送されていたのでしょうか。
今回は、財津一郎さんの経歴やCM、ギャグなどについて調べてみました。
財津一郎の死因は?いつ亡くなった?
財津一郎さんは、2023年10月14日、慢性心不全のため89歳で亡くなりました。
同月18日に通夜、同月19日に告別式が近親者により執り行われ、訃報は同月19日に公になりました。
同年7月までは月1度はゴルフをプレーするなど元気だった財津一郎さんでしたが、9月に体調を崩した際に心臓の具合が悪いと診断され、訪問診療を受けていたそうです。
財津一郎といえばタケモトピアノのCM
財津一郎さんは、「タケモトピアノ」の初代イメージキャラクターとしてCMに出演していました。
長きに渡りCMが放送されていたため、老若男女問わず「タケモトピアノと言えば財津一郎さん」と言われるほど有名なCMでした。
『探偵!ナイトスクープ』では、「CM中の財津さんの歌声を聞くと赤ちゃんの泣き声が止まる」と紹介されたこともあるそうです。
財津一郎とタケモトピアノの関係は?いつから?
財津一郎さんが「タケモトピアノ」のCMに初めて出演したのは、1997年1月でした。
以降は2023年9月まで毎年契約を更新してCMが放送されていました。
CMの内容は作り替える必要がないという理由で、2023年8月の放映終了まで同じものが使われ続けたそうです。
財津一郎の代表的なCM
財津一郎さんは、NECの「バザールでござーる」のCMにも1991年から2004年まで声で出演していました。
エスフーズのホルモン焼き「こてっちゃん」のCMでは、コミカルな演技が話題を集めました。
他にも、アサヒ飲料「十六茶」のCMに出演していたこともありました。
財津一郎のギャグも有名
財津一郎風にですね() pic.twitter.com/GM83Dv7klX
— トム😇透析中 (@nekorin_usarin) February 25, 2023
財津一郎さんのギャグは、「ヒッジョーにキビシ〜ッ!」と「〜してチョーダィ!」です。
これらのギャグはコメディ番組『てなもんや三度笠』で誕生したもので、当初はギャグで言った台詞ではなかったものの、演技中に突発的に奇声を発すると予想外にウケたことで財津一郎さんの鉄板ギャグになったそうですよ。
財津一郎のプロフィールや経歴
タケモトピアノ会長、財津一郎さんの訃報に涙「反対されながらCM契約を延長」叶わなかった最後の面会(週刊女性PRIME) https://t.co/0ycyAFJeD9
— きみのぶ 介護福祉士2024再受験 (@zYlzUhCKDzmKTbL) October 19, 2023
タケモトピアノのCMは長く起用されていて、本当にすごいなって思っていました。記憶に残るCMだし、セリフも頭から離れないしね。寂しいですね。
名前:財津一郎
生年月日:1934年2月22日
出身地:熊本県
血液型:O型
身長:176cm
1955年に劇団「石井均一座」に入門し舞台に出演していた財津一郎さんは、その後吉本興業に入り、吉本新喜劇に参加していました。
1965年に吉本新喜劇座長に就任したものの1969年に吉本興業を退社、その後は拠点を東京に移し、1967年にはアニメ『ピュンピュン丸』で、オープニング曲『ピュンピュン丸の歌』を担当していました。
1970年代前半はコミカルな芝居でさまざまな喜劇作品に出演していたものの、やがて硬軟使い分ける俳優として映画やドラマに出演、1985年には映画『お葬式』日本アカデミー賞助演男優賞を受賞しています。
2010年の映画『ふたたび swing me again』で主演を務め、2011年3月27日放送の『3年B組金八先生ファイナル』の出演を最後に芸能活動を休止、奥さんの介護などを行っていました。
2015年には『熊本日日新聞』において人生をふり返ったコラム「私を語る」を連載、同年9月にそれを1冊にまとめた初の著書『聞いてチョウダイ 根アカ人生』を発売しました。
財津一郎の所属事務所
財津一郎さんは生前在籍していた事務所は、「志母澤事務所」です。
1969年に「吉本興業」から移籍しました。
財津一郎の年収
財津一郎さんの年収は公表されていません。
芸能活動を休止してからは「タケモトピアノ」のCM以外に契約はなく、過去のインタビューでは「CMだけで食べさせてもらっている」と話していました。
長年出演していたということもあり、CMの出演料は数約万円ほどだったのではないかと思われます。
財津一郎の自宅
財津一郎さんの自宅は、東京都世田谷区にあります。
生前、息子さんと二世帯で暮らしていたそうです。
まとめ
テレビの世界で長年活躍していた財津一郎さんは、89歳で旅立ちました。
これからは空の上でゆっくり休んでほしいと思います。