シングル「INORI〜祈り〜」で話題を集めた歌手・クミコさんはどんな人なのでしょうか。
学生時代に通っていた学校はどこなのでしょうか。
今回は、クミコさんの経歴や出身学校、本名などについて調べてみました。
クミコ(歌手)の代表曲
クミコさんの代表曲は、2010年2月にリリースされたシングル「INORI〜祈り〜」です。
広島平和記念公園にある「原爆の子の像」のモデル・佐々木禎子さんの甥である佐々木祐滋さんが禎子さんと平和への想いを綴った歌になっています。
クミコさんはこの楽曲で「週間HIT 演歌/歌謡曲 USENチャート」で1位を獲得し、同年の『NHK紅白歌合戦』に初出場しました。
クミコ(歌手)の本名
クミコさんの本名は、「斉藤久美子」さんです。
歌手活動を始めた頃は「高橋久美子」名義でしたが、この「高橋」は元旦那さんの苗字でした。
クミコさんのプロデュースに名乗りを上げた松本隆さんが「別れた亭主の名前をいつまでも付けているから売れない」と言い、姓を取って現在の「クミコ」に改名したそうです。
クミコ(歌手)の学歴
クミコさんが通っていた学校について調べてみました。
クミコ(歌手)の出身小学校
クミコさんは、藤枝市立大洲小学校出身です。
3年生の時に静岡県藤枝市に引っ越し、こちらの学校に転校しました。
転校前の学校については情報がなかったため不明です。
クミコ(歌手)の出身中学
小学校卒業後は、藤枝市立大洲中学校に進学しました。
当時は「ザ・タイガース」の大ファンで、沢田研二さんのことが大好きだったそうです。
クミコ(歌手)の出身高校
中学校卒業後は、埼玉県立春日部女子高等学校に進学しました。
現在の偏差値は、59~62です。
クミコ(歌手)の出身大学
高校卒業後は、早稲田大学に進学しました。
クミコさんは教育学部に在籍、現在の偏差値は62.5〜65です。
役者を目指し劇団に入ったものの、歌で表現することに目覚めて劇団を退団しています。
クミコ(歌手)のプロフィールや経歴
そして、こんなお祝いをしていただきました。ありがとうございました。 pic.twitter.com/4EZwVRtC65
— クミコ (@kumiko926) September 15, 2021
名前:クミコ
生年月日:1954年9月26日
出身地:茨意見生まれ、埼玉県育ち
血液型:B型
身長:非公開
所属事務所:プエルタ・デル・ソル
1978年、クミコさんがボーカルを務めていたバンド「ホンキートンク」が、第16回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場し、予選を勝ち抜いてつま恋本選会に出場しました。
その後『第9回「世界歌謡祭」』に日本代表のひとりとしてソロで出場したものの落選、以降は小さなスペースで少数の熱心なファンなどの支援者に支えられながら歌い続けたそうです。
1982年6月、日本におけるシャンソニエの老舗・銀座「銀巴里」のオーディションに合格しプロデビューを果たすと、1987年にはミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本初演にアンサンブルの一員として出演しました。
1996年のアルバム「世紀末の円舞曲(ワルツ)」をきっかけに作詞家・松本隆さんプロデュースに名乗りを上げ、2002年にリリースしたアルバム「愛の讃歌」の収録曲「わが麗しき恋物語」が口コミで評判になりました。
2010年に「INORI〜祈り〜」でさらに知名度を上げると、2011年にはNHKラジオ『ラジオ深夜便』の「深夜便のうた」で「合歓の孤悲」が採用されました。
クミコ(歌手)の所属事務所
クミコさんは、「プエルタ・デル・ソル」に所属しています。
こちらの事務所には、松本隆さん、宋美玄さん、美輪明宏さんも在籍しています。
クミコ(歌手)の年収
クミコさんの年収は公表されていません。
ブレイクまでは長い下積み時代があったクミコさんですが、現在は全国を回り、歌い続けています。
新曲もリリースしており、年収は数百万円以上になるのではないかと思われます。
まとめ
クミコさんのプロデビューは27歳と遅咲きでしたが、これまでにリリースした楽曲は多くの人の心に届いています。
これからもそんなクミコさんの活躍を、応援し続けていきたいと思います。