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角野卓造の先祖は徳川家と?実家や父親と母親・妹はグッチ裕三の元カノ?

角野卓造の先祖は徳川家と?実家や父親と母親・妹はグッチ裕三の元カノ? 俳優

舞台からドラマや映画と幅広く活躍し、『渡る世間は鬼ばかり』では「幸楽」の店主役を務めた角野卓造さんは、どんな家庭で生まれ育ったのでしょうか。

実家はどこにあり、両親や兄弟はどんな人なのでしょうか。

今回は、角野卓造さんの実家や家族、先祖について調べてみました。

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角野卓造の先祖は徳川家と縁があった?

角野卓造さんは、母方の先祖に徳川家と縁があるそうです。

こちらは『ファミリーヒストリー』に出演し、発覚しました。

角野卓造の実家

角野卓造さんは、東京都生まれです。

しかし4歳の時には1年間広島県呉市で、その後小学生までを大阪で暮らしていました。

中学からは東京に戻り、荻窪、四ツ谷、武蔵小金井と住まいが変わったそうです。

武蔵小金井はお父さんが初めて買った家で、角野卓造さんは28歳まで実家暮らしでした。

こちらの実家が今もあるのかは不明です。

角野卓造の生い立ち

1948年8月10日、角野卓造さんは叔父が勤務していた慶応病院で誕生しました。

中学2年生の時に卒業生を送る予餞会でたまたま芝居をやったところ、学友や担任の先生から「芝居が上手い」と褒められ、演劇部からスカウトを受けました。

このことがきっかけで演じることにハマり、1970年に文学座研究所に入所、1971年に文学座に入団して俳優デビューを果たしています。

角野卓造の父親

角野卓造さんのお父さんは、元広島県会議員です。

だた議員だったのは1期だけで、2期目には落選したため喫茶店、焼き鳥屋、サラリーマンと職を変えていました。

お父さんは角野卓造さんが役者の道に進むことを良く思っていなかったものの、角野卓造さんが初めて大きな役をもらい舞台に立った時に鑑賞し、お父さんは目を真っ赤にして「良かった」と褒めてくれたそうです。

角野卓造の母親

角野卓造さんのお母さんも一般人ですが、東京・千駄ヶ谷の医者の娘さんでした。

とても優しい方で、角野卓造さんが役者になる時も「お父さんも好きなことやってきたんだから、あなたも好きな道に進めばいい」と背中を押してくれたそうです。

角野卓造の兄弟は妹1人でグッチ裕三の元カノだった

角野卓造さんには、妹さんがいます。

妹さんは一般人ですが、学生時代にグッチ裕三さんとお付き合いしていました。

グッチ裕三さんもこのエピソードは公表しており、「(妹さんは)角野卓造さんに似てない。角野さんはお父さん似で、彼女はお母さん似」と話していました。

妹さんとは別れてしまったものの、角野卓造さんとグッチ裕三さんの交流は今も続いています。

また角野卓造さんにはお兄さんもいましたが、お兄さんは自宅分娩で亡くなっています。

そのため角野卓造さんは自宅ではなく病院で誕生しました。

まとめ

家族に芸能関係者はいなかった角野卓造さんですが、学生時代の演劇との出会いがその後の人生を大きく変えました。

お父さんが褒めてくれた芝居をこれからも続けられるよう、頑張ってほしいですね。

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