1987年にレコードデビューし、海外でも活躍していたシンガーソングライターのKANさんは、どんな人なのでしょうか。
どこの学校に通い、どんな生活を送っていたのでしょうか。
今回は、KANさんの経歴や出身学校、家族について調べてみました。
KAN(歌手)の代表曲
KANさんの代表曲は、「愛は勝つ」です。
この楽曲は1990年にリリースした5枚目のアルバム『野球選手が夢だった。』の収録曲で、テレビ朝日『クイズおもしろTV』エンディング曲に採用されました。
この時はあまり話題にならずヒットに繋がらなかったものの、1991年1月の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』の第三期エンディングテーマに用いられたことで大ヒット、シングルは200万枚を超えるセールスとなりオリコンチャートイン52週のロングヒットを記録しています。
KAN(歌手)の年収や印税は?
KANさんの年収や印税は公表されていません。
ブレイク後も音楽活動を続け、海外のイベントにも出演していました。
ヒット曲も持っているため、年収・印税は数千万円ほどになるのではないかと思われます。
KAN(歌手)の学歴
KANさんが通っていた学校について調べてみました。
KAN(歌手)の出身小学校
KANさんは、福岡市立田島小学校(現・福岡市立笹丘小学校)出身です。
福岡市唐人町のピアノ講師・中村順子さん師事しクラシックピアノを習い始めたKANさんは、4年生の時に福岡市団地対抗少年野球連盟のチームに入団、6年生でレギュラーに昇格し副キャプテンを兼任しました。
学内唯一の長髪、赤いベルボトムジーンズ、オーバーオールを着こなすなど、ファッションリーダーとしても生徒間で注目を集め、福岡の老舗デパート「岩田屋」のランドセルのテレビCMや広告にモデルとして出演していたそうです。
KAN(歌手)の出身中学
小学校卒業後は、福岡市立友泉中学校に進学しました。
中学では独学でギターを弾き始め、2年生の秋に高校受験を理由にクラシックピアノを辞めたものの、3年生の年にビートルズのコピーバンド「ミートルズ」を結成しています。
KAN(歌手)の出身高校
中学校卒業後は、福岡県立城南高等学校に進学しました。
偏差値は、68です。
高校時代は、水泳部に所属していました。
同じ部活の人から借りたビリー・ジョエルのアルバム『ニューヨーク52番街』に衝撃を受け、ピアノロックに目覚めました。
KAN(歌手)の出身大学
高校卒業後は、法政大学に進学しました。
KANさんは社会学部に在籍、偏差値は63~68です。
ピアノを買うために大学にはほとんど行かず、銀座のレストランや六本木のディスコでのアルバイトに明け暮れていたため、2年生の時に留年しています。
KAN(歌手)のプロフィールや経歴
まる1週間ヒゲを剃らなかったら、
— KAN_official (@_kimuraKAN) February 9, 2023
どんな感じになるのか?
あるシーンを想定して実験してみました。
次のツイートでクイズです。#kimurakan pic.twitter.com/RZSYiA3jc4
名前:KAN
本名:木村和
生年月日:1962年9月24日
出身地:福岡県
血液型:AB型
身長:164cm
所属事務所:アップフロントクリエイト
1984年にヤマハ「East West ’84」決戦大会で優秀賞、集英社週刊ヤングジャンプ「Sound Contest ’84」でヤングジャンプ奨励賞を受賞したKANさんは、1986年に事務所と契約しました。
そして1987年4月25日にシングル&アルバム「テレビの中に」でデビュー、1991年の「愛は勝つ」のヒットで第33回日本レコード大賞(ポップス・ロック部門大賞)を受賞、『第42回NHK紅白歌合戦』にも出場しました。
2005年には初の単身弾き語りツアー「弾き語りばったり#1」を開催しています。
KAN(歌手)の所属事務所
KANさんは、「アップフロントクリエイト」に所属しています。
こちらの事務所には、堀内孝雄さん、ばんばひろふみさん、森高千里さんらも在籍しています。
KAN(歌手)の実家
KANさんは、福岡県福岡市出身です。
幼い頃は団地住まいでした。
実家の詳しい場所は公表されていないため、不明です。
KAN(歌手)の生い立ち
1962年9月24日に誕生したKANさんは、1968年にヤマハ音楽教室に入室し、ピアノのレッスンを受けるようになりました。
中学生からはピアノだけではなくギターも始め、コピーバンドも結成しました。
1983年には、高校の水泳部の先輩らが所属していたフュージョン系バンド「アネット」に、“自分のオリジナル曲をやること”を条件に加入しています。
KAN(歌手)の父親
KANさんのお父さんは、木村満さんと言います。
RKB毎日放送の番組プロデューサーとして音楽関係の業務を担当し、学校の校歌の作曲やアルバイトで博多どんたくの音楽編曲も行う音楽家でした。
KANさんの本名「和(かん)」を命名したのはお父さんですが、何故「和」を「かん」と読ませたのかは語ることなく、1990年に亡くなりました。
KAN(歌手)の母親
KANさんのお母さんは一般人です。
名前や顔写真などは公開されていません。
KAN(歌手)の兄弟や姉妹
私の兄です。
— KAN_official (@_kimuraKAN) September 11, 2020
木村索 9月11日 還暦。#kimurakan #kimurasaku pic.twitter.com/bHEzAkEe4R
KANさんには、お兄さんがいます。
名前は「木村索(さく)」さんと言い、KANさんのSNSにも登場したことがありました。
まとめ
幼い頃から音楽に触れていたKANさんは、多くの楽曲を手掛けました。
新しいKANさんの曲はもう聞くことが出来ませんが、KANさんが残してくれた曲をこれからも大切にしていきたいですね。