石川県金沢市で「サポートハウス」を運営している山本実千代さんは、どんな人なのでしょうか。
何故サポハを始めたのか、山本実千代さんはどんな人生を歩んできたのか、気になります。
今回は、山本実千代さんの経歴や出身学校、生い立ち、結婚などについて調べてみました。
山本実千代(サポハ)のwikiプロフィールや経歴
【拡散希望】石川県で色々な生き辛さを支援している山本実千代さんってこんな人。https://t.co/JrfIwq1sLz
— 峠は越えた。 (@dokudokusiiore4) November 15, 2020
山本さん、アエラにも。https://t.co/ZovTWDpOmN
山本さんのルポ本(新刊) pic.twitter.com/A3CRdd78Sv
名前:山本実千代
生年月日:1960年12月4日
出身地:大阪府
血液型:非公開
身長:非公開
石川県金沢市で、スナック経営や介護ヘルパーなどの仕事をしていた山本実千代さんは、2002年12月に「サポートハウス」を開設しました。
2005年には石川県男女共同参画推進委員、石川県DV見守りネットワーク推進委員に選ばれ、2006年に第8回石川県バリアフリー社会推進県民大会活動部門「バリアフリー大賞」受賞を受賞しました。
石川県児童虐待防止オレンジリボンキャンペーン実行委員、厚生労働省障害者福祉推進事業研究委員にも就任しています。
2009年に「子育て農業応援団」を、2017年には金沢市湯涌の空き家を買い取り再整備した「郷の家ファーム」を開園しました。
山本実千代の実家の家族や生い立ち
1960年12月4日に誕生した山本実千代さんは、両親と弟さんの4人暮らしでした。
両親は競艇選手で、お父さんは日本全国をめぐって賞金を稼ぐ強豪選手だったそうです。
お母さんは結婚を機に引退したものの、実家は裕福でした。
しかしお父さんの浮気で両親が離婚、山本実千代さんはお母さんと弟さんと大阪に移り住みました。
その後お母さんも蒸発し、山本実千代さんも荒れた生活を送っていたそうです。
社会人になったことで山本実千代さんは落ち着いたものの、子供を出産した後に母の借金などがあり、お母さんと弟さんとの関係は溝が出来てしまいました。
山本実千代さんが幼い頃に住んでいた実家、大阪時代の家の場所は公開されていません。
山本実千代の学歴・スケバンだった
山本実千代さんが通っていた学校について調べてみました。
山本実千代の出身小学校
出身小学校は公表されていません。
6年生の時にお母さんが蒸発し、山本実千代さんも荒れた生活を過ごすようになりました。
山本実千代の出身中学
出身中学校も公表されていません。
中学時代の山本実千代さんは、いわゆるスケバンだったそうです。
中学卒業後は進学せず、就職しました。
山本実千代は旦那と離婚している
山本実千代さんは、大阪で働いていた時にお店のお客さんと男女の関係になり、山本実千代さんの妊娠をきっかけに入籍しました。
しかし山本実千代さんには結婚できなかった思い人がおり、結婚した方とは上手くいかずに離婚しています。
元旦那さんは一般人ということもあり、名前や顔写真などは公開されていません。
現在山本実千代さんには、籍は入れていないパートナーがいます。
山本実千代の息子は知的障害者だった
1986年、山本実千代さんは第一子長男を出産しました。
名前はマサハルさんと言い、顔写真などは公開されていません。
マサハルさんには中度の知的障害があり、山本実千代さんは子育てに苦労したそうです。
障害者の息子がサポートハウスのきっかけだった
山本実千代さんがサポートハウスを始めたきっかけとなったのは、「自分と同じように障害のある子供を持つ家庭を支援したい」という思いからでした。
そのためサポートハウスでは、不登校や引きこもり、障害など様々な事情を抱えた人たちとともに暮らしながら、必要な支援をするだけではなく、社会的ルールや礼儀作法、助け合い、そして人との思いやりなど、生きていく術を丁寧に伝えています。
山本実千代(サポートハウス)の年収
山本実千代さんの年収は公表されていません。
サポートハウスの料金は、1食500円、1泊2食3000円、1か月食事つきで6万円となっています。
国からの支援などはありませんが、インタビューを受けたり、メディアに出たり、本を出版したりとサポートハウス以外の活動もすることがあります。
そのため年収は数百万円ほどではないかと思われます。
まとめ
様々な人の支援を行っている山本実千代さんは、自身も幼い頃から辛い生活を送っていました。
生きていくことの大変さ、そして痛みを知っているからこそサポートハウスを立ち上げ、続けていくことが出来ているのだと思います。
これからも山本実千代さんの支えで救われる人が増えていくといいですね。