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GACKTが本名を改名?代表曲は?病気は治った?経歴や事務所も調査

GACKTが本名を改名?代表曲は?病気は治った?経歴や事務所も調査 歌手
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シンガーソングライターとしてこれまでに多くの楽曲をリリースし、俳優、声優としても活動しているGACKTさんは、2021年に病気のため活動を休止しました。

どんな病気で、現在の健康状態は良好なのでしょうか。

今回は、GACKTさんの経歴や代表曲、病気について調べてみました。

GACKTの本名は?何度も改名してる?

GACKTさんの現在の本名は、「大城ガクト」さんと言います。

出生時は「岡部学」だったものの両親が離婚し「大城」姓に変更、その後名前も「学」から「ガクト」に変わりました。

名前が変わった理由は明かされておらず、わかりませんでした。

芸能活動の方もデビュー時は「Gackt」でしたが、2009年に「GACKT」に変更しています。

GACKTの病気は?もう治った?

GACKTさんは、2021年9月8日から2022年5月16日まで活動を無期限休止していました。

きっかけは2021年8月に体調が悪くなったことで、事務所に連絡した後に容体が急変、幼少期からの神経系疾患がきっかけとなり一時は命にも関わる状態に陥ってしまいました。

重度の発声障害を併発し、声を発する仕事の続行は不可能との診断を受けたそうです。

ただ未だに病名は明確ではなく、GACKTさんは「これだからっていうものじゃない」と明かしています。

さらに休養中、GACKTさんは重度の乾癬を発症し、髪の毛が抜け落ちて体中の肌がボロボロになってしまいました。

「もう復帰は出来ないかもしれない」と引退を覚悟していたものの、友人から「幹細胞治療を受けてみないか?」と提案され、再生医療を始めたところ効果があったことからGACKTさんは復帰を決めました。

GACKTの代表曲は?

GACKTさんの代表曲は、2007年2月7日に26枚目のシングルとしてリリースした「野に咲く花のように」です。

この楽曲はGACKTさんのラジオのリスナーだった兵庫県立舞子高等学校の生徒からお願いされ作った曲で、2006年2月28日に同校へ来校、卒業式にサプライズゲストとして飛び入り参加し話題になりました。

2007年6月20日に27枚目のシングルとしてリリースした「RETURNER 〜闇の終焉〜」は、GACKTさんにとって初のオリコンシングルチャート初登場1位を獲得した楽曲です。

こちらは2007年12月31日の『第58回NHK紅白歌合戦』に「RETURNER 〜闇の終焉〜 消え逝く武士(サムライ)への鎮魂歌(レクイエム)」と改題して披露されました。

GACKTのプロフィールや経歴

名前:GACKT
生年月日:1973年7月4日
出身地:沖縄県生まれ、滋賀県育ち
血液型:A型
身長:180cm
所属事務所:合同会社VENUS

1999年にソロデビューしたGACKTさんは、これまでにCDシングル48枚とアルバム19枚をリリースし、男性ソロアーティストの『オリコンシングルランキングTOP10獲得作品数』において日本で首位の記録を持っています。

2010年3月には「YELLOW FRIED CHICKENz」を結成、バンド活動も行っていました(2012年に解散)。

俳優としては2007年に大河ドラマ『風林火山』に出演し上杉謙信役を演じ切り、翌年ハリウッド映画『BUNRAKU』に準主役として出演することが決定しました。

他にも映画『翔んで埼玉』に出演し、第43回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞しています。

デビューはMALICE MIZERだった

GACKTさんのメジャーデビューは、ヴィジュアル系ロックバンド「MALICE MIZER」でした。

1995年10月から1999年1月まで、2代目ボーカルを務めていました。

脱退した理由は、メディアに出てGACKTさんの出番が増えるたびに孤立してしまい誰も仲介・フォローに入らなかったこと、お金の問題や自覚の違い、『やらなければいけない』という強迫観念が色々重なって悪循環になってしまったからだったそうです。

GACKTの所属事務所

GACKTさんの日本のマネジメントは、「合同会社VENUS」が行っています。

過去には「GORDIE ENTERTAINMENT」に在籍していました。

まとめ

ヴィジュアル系ロックバンドの元メンバーだったGACKTさんは、ソロで日本のみならず海外でもライブを行うほどの人気アーティストになりました。

今後も健康を第一に、無理のない範囲で活動を続けていってほしいですね。

歌手
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